"大統領の料理番"が経験した、激動のフランス現代史。
Culture 2021.10.01
25年勤めた大統領官邸の厨房を去るギヨーム・ゴメス(2021年2月24日、パリにて)photo : Abaca
4人の大統領に仕え、厨房スタッフの指揮を執り、膨大な数の食事を提供してきた料理人ギヨーム・ゴメスは、大統領官邸・エリゼ宮の厨房を通して、衝撃的な歴史の瞬間を経験してきた。その中には、2018年サッカーのワールドカップ優勝もあり、2015年11月13日パリ同時多発テロ事件もあった。マダムフィガロ誌のインタビューに、政権のすぐそばで過ごした日々を語る。
ギヨーム・ゴメスは「25年間、常時出動態勢で仕事に尽くしてきましたので、そろそろ離れるタイミングでした」と言う。パリ出身、42歳。去る2月、フランスのガストロノミー大使に任命され、エリゼ宮料理長の職は後任のファブリス・デヴィーニュに譲ることになったが、思い残すことはない。フランスだけでなく世界のガストロノミー界のリーダーとして、仲間と共に、フランスの食材を広く紹介し世界の食の将来を考えることが、アンバサダーとしての今後の仕事になる。
ジャック・シラク大統領在任中、兵役に代えてエリゼ宮の厨房に入り、MOF(フランス国家最優秀職人章)で表彰されたギヨーム・ゴメスが、25年間の思い出、各国首脳や招待客にふるまった数々の料理などを振り返る。
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エリゼ宮で仕事を始めた頃
――25歳でMOFを最年少受賞、そしてエリゼ宮の厨房で料理長。今度はフランスのガストロノミー大使とのことですが、そのような経歴をお持ちの上、さらにどんなことを目指していらっしゃるのでしょうか。
私はかなり早い時期に自分のしたいことがわかって、運がよかったと思います。30年以上前のあの頃は、まだ料理人というものがいまほど認知されていない時代です。まず料理の見習いから始めて、その後、国家最優秀職人章のコンテストに応募しました。750人の応募者の中で私がいちばん若いということだったので、受賞した際には必然的に当時最年少でしたし、歴代でも最年少受賞者となりました。
受賞のあとも特に料理に対する思い入れは変わらず、コンテストは単なるステップのひとつでした。けれども、こういう賞をとると、自分に求められるものが厳しくなります。私が生産者たちと近い関係を築く必要があると考えたのも、おそらくこの頃だったように思います。MOFの称号を得た職人の印、トリコロールカラー襟のコックコートを身に着けると、フランスの代表であることがとても誇らしいと感じるものです。現在のアンバサダーとしての役割も光栄な仕事ですが、何よりもフランス大統領、そしてガストロノミー界の代弁をするという責務があります。
これまで幸運にも4人の大統領とガストロノミーについて話ができる立場にありましたので、今度はフランスのガストロノミー界に関わる人々のために話をしたいと思っています。
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――25年勤めてきたエリゼ宮の料理長の職を最近退かれたわけですが、後任のファブリス・デヴィーニュ氏への引継ぎは、いかがでしたか。
ファブリスは世間に認められた著名なシェフですし、国家最優秀職人章の受賞者、ボキューズ・ドール国際料理コンクールの受賞者です。今回48歳でエリゼ宮料理長となったわけです。私とも良い関係を築いていますし、厨房スタッフも同じメンバーを受け継ぎ、その中でうまく馴染んでくれています。ですので、引継ぎはスムーズに問題なく進みました。
――1997年に初めてエリゼ宮に入った当時、一番驚いたことは何ですか。
何より、建物です。エリゼ宮に足を踏み入れた瞬間から、日常的にフランスの歴史を生で経験することになるわけですが、そういう歴史的な出来事以外では、まず建物自体に驚きました。もちろん、厨房の大きさもインパクトがありました。地下にあって、500平方メートル近い広さですからね。エリゼ宮の前に2つ星のレストランで働いていた頃は、厨房に段差があり、そこを休みなく行ったり来たりしていました。一方、エリゼ宮では全ての動線がきちんと決められているのです。
建物内の落ち着いた静けさにも驚きました。仕事は大量にあっても、皆すべきことがきちんとわかっているのです。ちなみに、私がジョエル・ノルマンやベルナール・ヴォシオンといった歴代料理長たちの下で学んだのは、比較的くつろいだ雰囲気で、仕事に間違いがないよう注意を払いつつ、堂々と指揮をとること。フランス大統領のため、フランスのために働くという点では、警察官や憲兵、軍人や消防士と似ていますよね。だから、仕事に対する奉仕の心と使命感が肝心なのです。スケジュール、仕事の大変さなどに対して、決して不満を言うことはありませんでした。常時出動態勢の任務なのです。
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大統領たちと過ごした貴重な時間
――エリゼ宮でいちばんの思い出は何ですか。
ジャック・シラク大統領から国家最優秀職人章をいただいたことは、忘れがたい出来事です。同じく、その他の大統領と過ごした時間も大変貴重なものでした。自分は本当に幸運だったと思います。大統領と直に話し、時を過ごすことができる立場は、なかなか他にないですよね。各国の首脳以外ということで思い出深いのは、バッキンガム宮殿におけるイギリス女王との謁見です。あれは、首脳のシェフクラブ(1)の集まりの時でした。フランスを訪れるたびにすばらしいもてなしを受け、美味しい料理を味わえることを毎回嬉しく思うというお言葉をいただいたのです。
――いちばん嫌な思い出は何ですか。
そう言うフランス人は多いと思いますが、テロ事件が続いた頃です。あの頃、厨房も通常と違うリズムで動いていました。ターゲットになり得る場所にいるわけですから、恐怖も感じていました。厨房スタッフにとっても非常に難しい時期で、家族を心配させないようにしながら、国防・国家安全保障会議に合わせ夜昼なしに仕事をしなければなりませんし、大規模行進のためにエリゼ宮に迎えた各国首脳にも、それぞれ食事を用意する必要がありました。例えば、土曜の午後14時になって、日曜11時に600人分の食事が必要だと知らされるのですから、かなりの仕事になります。そういう時に歴史は作られ、仕事の経験を積むことにもなるのです。
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挑戦するタイプ
――つまり、エリゼ宮の料理人にとって、同じような日はほとんどないということですね・・・。
はい、だから私は25年間とどまっていられたのです。私は挑戦好きな人間です。エリゼ宮の厨房で働き始めた時、当時の料理長ジョエル・ノルマンとパティシエ部門長フランシス・ロワジェに会いました。2人ともド・ゴール時代に料理人となった人たちです。私は「刺激のないモノクロのキッチンで、どうやって長く働き続けていられたのだろう」と思いました。その当時、彼らは35年か36年だったか、もうずいぶん長く仕事を続けていたのです。私は内心「自分は1年か2年続けたら、辞めるだろう」と思っていました。しかし、実際は厨房に型どおりのことなど何もなかったのです。例えば、大統領と他の国の首脳がエリゼ宮で会談する際の食事を準備したと思ったら、今度はチャドに派遣された部隊のクリスマス用の料理。パイ包みのパテ、フォアグラ、チーズ、鶏肉、モリーユ茸。本格的なクリスマス料理を口にして、涙を見せる軍人もいます。その日まで2、3か月ずっと配給されたレーションを食べていた人たちもいますからね。そういう時、自分の仕事が本当に役に立ったと実感するのです。
――国の昼食会や晩餐会の際に、予想外の注文を受けたことはありますか。
気まぐれな注文は、一度もありませんでしたよ。私達が仕えているのは、重い責任を抱えている方たちですし、大統領も招待客も通常、食事の間も仕事をしているのです。でも時には、いつもと少し違うオーダーもありました。例えば、サッカーワールドカップの時、大統領がフランスチームをオフィスに招待し、アペリティフを出すことになりました。結局そのままディナーも用意することになり、これは事前に知らされていたことではなかったのです。こういう場合にも、私達は何とか工夫して対応します。
大統領とアフリカに移動中、公式昼食会が急にキャンセルになったこともありました。つまり、直前になってこちらで食事を準備しなければならなかったわけです。何度自分のホテルの部屋で料理したことか、もう数えきれませんね・・・。
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食事を野菜と果物中心に
――ブリジット・マクロン夫人は、野菜と果物を毎日10種類とご希望されているそうですね。これについては、どんな影響を受けましたか。
私は現在、国連が主導している国際果実野菜年2021をサポートしており、私が次に出す本も、まさに野菜や果物の料理がメインになると思います。皆の食事を野菜と果物中心にすることが目標です。ベジタリアンになってもらおうと言っているのではなく、おいしい料理や新しい味を提案することで、野菜や果物ベースの食事を増やすよう間接的に勧めるということです。皆に広く伝えること、若者たちへの食育によって推進できると思います。
幸運なことに、フランスは世界有数の農業国です。海外県・海外領土を含め、北の方から南のコルシカまで、様々な野菜や果物が栽培されています。国際果実野菜年は、こういった知識や技術を広める機会です。
――エリゼ宮を離れるときの気持ちはどうでしたか。
心の準備はできていました。というのは、2年前から新しいことをしたいという希望を伝えていましたので。私はいま42歳なので、25年間というのは自分の人生の半分以上で、それだけの年月をエリゼ宮で過ごしたことになります。プライベートでも大きな出来事がありました。子供が産まれ、両親が亡くなり・・・。兵役でエリゼ宮の厨房に入り、最後は料理長として任務を終えたわけです。当然、一抹の寂しさを感じずにはいられません。けれども、エリゼ宮の厨房で成し遂げたことを振り返ると、誇りに思います。その上、私には果たすべき使命があって、だからこそエリゼ宮の厨房を去るのです。これからも、今までと別のやり方でフランスのために尽くし続けます。より一層、フランスのガストロノミー界の仲間たちに寄り添って行きたいと思っています。
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「ガストロノミー界のG20」首脳のシェフクラブ
プラザアテネのシェフクラブ会合で、再会を祝い合うギヨーム・ゴメス。2列目一番右。(2021年7月12日、パリにて)Baptiste Fauchille / @bkfprod
――パリで7月12日に首脳のシェフクラブの集まりを開きましたよね。どんな点が重要だったのでしょうか。
私は最近ガストロノミー大使に任命され、美食、食品、調理法などに関してフランス大統領の代弁をする立場となりました。この仕事の目的は、フランスのガストロノミーを国内だけでなく世界中に広めることです。シェフクラブのようなイベントも、料理外交を進める上で大事なことです。フランスに世界各国首脳の専属シェフたちを迎えた際に、シェフたちをもてなし、フランスの良い面に改めて関心をもってもらうのが私の役目。例えば、ガストロノミーに関する知識や技術、継承、社会面や環境面での取り組み。それだけでなく、食品ロスや無駄をなくすこと、男女の平等、インクルージョン(誰ひとり取り残さないこと)などの価値観にも目を向けてもらうよう働きかけます。
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専属シェフの資質は、謙虚で口が堅いこと
――シェフクラブのメンバーの共通点は何だとお考えですか。
何よりも、謙虚で口が堅いことでしょうね。バッキンガム宮殿やエリゼ宮の招待客というのは、料理を味わうのが目的ではなく、国や首脳に招かれて訪れる人々です。自分の料理が評価されたら嬉しいですが、私達が仕えているのはそれぞれの官邸、大統領や首相、国なのです。自分自身より、各国のガストロノミー、その知と技、業界を支えている人達の知恵と技術を見てほしいという思いは共通しています。
――シェフクラブではどんなことが話されているのですか。
メンバーはたいてい友人同士になるので、それぞれの官邸や自分の家族、旅の話などについても密かにシェアしますし、食事や料理についても語り合います。クラブは「ガストロノミーのG20」とも呼ばれ、G20で各国首脳たちが今後のことを考えるために集まるのと同じです。クラブでは、他の国のことをきちんと知ることが大切です。新しいシェフを迎え入れるたびに、ないがしろにしてよい料理や小国など1つもないのだということをわかってもらうよう心がけています。
(1)シェフクラブとは、ジル・ブラガールが1977年に設立した世界各国のトップに仕える専属シェフの集まりで、それぞれの国の伝統料理の普及を目指す団体。今年のシェフクラブ会議は7月12日の月曜日、パリの高級ホテル・プラザアテネで行われた。
Texte : Chloé Friedmann, Traduction : Aki Saitama