フィリップ殿下の、記憶に残るユーモアの数々。

Culture 2021.04.10

エリザベス女王の夫君が99歳で亡くなった。時に抑えのきかない暴走を見せつつも、ユーモアのセンスで知られたフィリップ王配。そのユーモアの矛先は、政治、家族だけでなく、どんな対象にも向けられていた。

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記念ミサに出席の後、エリザベス女王とともに小学生に言葉をかけるフィリップ王配。(ロンドン、2017年6月15日)photo : Mark Cuthbert/Getty Images

「その帽子はどこで見つけたのかい?」――1953年6月2日の戴冠式で、フィリップ王配が妻にかけた言葉はこんなものだったのではないだろうか。実際に何といったかは知られていないが、確実なことがひとつ。99歳で亡くなったエリザベス女王の夫君は機知に富んだ発言が得意で、公の場でそれが頻繁に飛び出したこと。時には外交上の問題すれすれのきわどいものもあった。

【写真】エリザベス王女の礎、フィリップ殿下の歩み。

 

フィリップ王配は、妻に付き添って世界中を旅することが多かった。「率直に言えば、海軍に留まっているべきだったな」と彼は1992年に語っている。とはいえ、そのおかげで、エディンバラ公は一生を通して、数々の大統領や大臣、世界中のビッグネームに出会うことになったのだ。

だが、その分、失敗談も少なくない。2009年、バラク・オバマ大統領が、ロシア、英国、中国の国家責任者たちと朝食をとった話をすると、フィリップ王配は「彼らの見分けがつきましたか」と質問。その場の空気は想像するに難くない。

1997年には、当時のヘルムート・コール・ドイツ首相に対して、他ならぬ「Reichskanzler」の称号を使用。これはそのまま...ヒトラーの称号だった。

また、1967年に、ある記者がソヴィエト連邦を訪問したいかと尋ねた時の返答も忘れられない。「ロシアにはとても行きたいですね。あいつらは私の家族の半分を殺してしまいましたが」。確かに、ロシア最後のツァーリの皇后、ロマノフ家のアレクサンドラ・フョードロヴナは、フィリップ王配の大叔母にあたる。

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動物にも、子どもにも

最も安全圏と思われる類の公務においても、油断はできない。オーストラリアでかわいいコアラを撫でませんかと提案されると?「ああ、いや結構。病気になるといけませんから」

2000年に、カーディフの聾唖学校を訪問した際には、打楽器のコンサートの後、のんきな様子で生徒にこう話しかける。「耳が聞こえないんですね? この演奏を前にしっかり座っていられるも不思議じゃない」。そう、フィリップ王配のダイレクトな言葉は、子どもだって容赦しないのだ。

宇宙飛行士になりたいと打ち明けた13歳のアンドリュー・アダムズ君に向かって、王配がこう答えた時の反応はいかがなものだっただろう。「もちろん君の夢は叶いますよ。もう少し体重を落とせばね」

2013年には、学校に行く権利を主張してタリバンによるテロの被害者となった、16歳のマララ・ユスフザイをも笑わせている。「子どもたちを学校にやるのは、親が子どもを家に置いておきたくないからですよ」

けれど、フィリップ王配の冗談には、どう受け止めるべきかわからないものも多かった。例えば、1965年に、自然保護の運動家たちを招いて会見した時の、こんなサジェスチョンのように。「猫は人間よりも、ずっとたくさんの鳥を殺しています。こんなスローガンはいかがです? “猫を殺して鳥を救おう”というのは?」

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ダイレクトに

英国国民も、王配のユーモアの餌食になった。1969年に、王配は、豊かなバッキンガム宮殿での王家の日常をカメラが追うという企画を発案。かの有名な(そして屈辱的な)BBCの特別番組が生まれた。その中で、フィリップ王配は財政状態を心配してこう発言。「来年は赤字だ…。きっとポロを諦めなくてはいけないな」。この番組は今では放送が禁止され、不思議なことに行方不明となった。

1993年、テロで飛行機が住宅の上に墜落したロッカビー事件(編集部注:事件は1988年)の生存者を見舞った際には、同情を込めた次の言葉を。「火災で最悪なのは、火を消すために使った水による損害だ、と言われます。実際、ウィンザー城も、まだ乾ききっていない有様です(編集部注:ウィンザー城は1992年に火災にあった)」

1995年にスコットランドで自動車の教習官を紹介された時には、ほほ笑んでこう尋ねる。「教習生たちが無事に免許証を取れるくらい長い間、一体どうやって教習所からアルコールをよけておくのですか?」

1961年にフェミニン・インスティテュートで発言された有名な「英国女性は料理を知らない」は多くの女性をがっかりさせた。王配の数々の機知に飛んだ発言の中には、許容範囲を大きく超えてしまうものも多かったのだ。

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ファミリーも、大いに恩恵を被った。1976年、アン王女は、乗馬チームとともにモントリオール・オリンピックに参加した。娘を誇りに思う父はこう発言。「おならをしないものや、まぐさを食べないものに、アンは興味を示さない」

成功する結婚のための賢いアドバイスも忘れてはならない。「いちばん大事なのは寛容。女王陛下はこれをたっぷりと持っている」と1997年に語っている。

そう、寛容は、フィリップ王配のユーモアに向き合うために、確かに必要な要素だった。幸運なことに、王配は自分についても寛容であることを忘れなかった。「最初にまず、なにか良いことから話すようにしている。そうすれば、思わぬところに足を突っ込んでしまっても許してもらえる」とは、1956年の説明だ。

90歳の誕生日が近づいてきた時、彼はこう発言した。「部品が落ち始めた」と。2017年以来、フィリップ・マウントバッテンは公の場から身を引き、孫であるハリー王子やユージェニー王女の結婚式など、ごくわずかな機会を除いては、姿を表すことがなかった。バッキンガム、ウィンザー、サンドリンガムの城を妻とともに行き来し、静かに暮らした日々。

エリザベス女王は、おそらくほほ笑みをもって、74年間の結婚生活を思い返したに違いない。そして、フィリップ王配の腕に抱かれながらも、大きな孤独を感じた日々を。

texte : pascaline potdevin (madame.lefigaro.fr)

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