かこさとしさんの新しい絵本『秋』には、絵本作家としての思いがつまっている。

Culture 2021.09.21

文/瀧 晴巳

かこさとしさんに初めてお目にかかったのは、2013年の夏のことでした。あの懐かしい絵本『だるまちゃん』シリーズや『カラスのパンやさん』の作者に会うのだと思うと、もう大人なのに、サンタクロースと会うような不思議な感じがしたのを覚えています。  
この時87歳だったかこさんは、アロハシャツとパナマ帽で現れて、言いました。
「緑内障で左目がほとんど見えなくなったので、部屋の中でもつばのある帽子をかぶっているんです。万一どこかにぶつかりそうになったときこそ、このつばの出番です」
語りおろしの自伝『未来のだるまちゃんへ』の取材をするため、それから毎月のようにご自宅にうかがったのですが、ちゃめっけたっぷりのユーモアの底に、深い覚悟があることを知ることになりました。どうして絵本作家になったのかを訊ねたら、かこさんは、きっぱりとこう言いました。
「僕は、決して終戦とは言いません。あれは、敗戦です」

航空士官になることを夢見ていたかこ少年は、日本が戦争に負けたあの時、それまで自分が信じていたことが全部間違いだったことを思い知ることになりました。自分は近視だったから軍人になれなかったけれど、軍人になった友人はみんな死んでしまった。何よりかこさんを失望させたのは、なんの責任もとろうとせず、手のひらを返した大人たちの姿でした。大人はもう信用できない。19歳の自分も、もう子どもとは言えない、大人の一員だ。深い悔恨の気持ちが、せめて未来を担う子どもたちのために何かできないかという想いに繋がっていったのです。

はじまりは、川崎のセツルメントの子どもたちのためにつくった紙芝居でした。子どもは正直だから、つまらなかったら、すぐどこかに行ってしまう。かこさんの絵本が長く愛されるのは「子どもたちに弟子入りする気持ち」でつくってきたからなのだと思います。
サラリーマンをしながら、週末は子どもたちに手作りの紙芝居を読み聞かせていたかこさんが『だむのおじさんたち』で絵本作家としてデビューしたのは1959年、32歳の時でした。

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この秋、刊行された絵本『秋』はそれよりも前、1953年に最初の原稿が執筆された作品です。2018年にかこさんが亡くなった後、長女の鈴木万里さんが原稿整理をしていた際に、未発表の原稿を見つけたのだと言います。そこに描かれていたのは、かこさんが生涯憎んだ戦争でした。

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〈秋は、本当にいい季節です。
私はちいさいときから、秋が大好きでした。

ところが、そのすてきな秋を
とてもきらいになったときがありました。
とてもいやな秋だったことがあります。

それは、今からずっとむかしの、
昭和十九年のことでした。〉

絵本の中に、盲腸で入院したかこさんの手術をしてくれたおでこ先生が出征することになり、俳句を送ったエピソードが出てきます。

何がなんでもの南瓜も食はで往くか君

この話は、自伝の中にも出てくる、かこさんご自身の体験です。この時の俳号が本名の「哲(さとし)」からつけた「三斗子(さとし)」。戦争中に紙代、インク代を節約するため、三文字の俳号は二文字で表記するようになったため、「三斗子」が「里子」になり、「加古里子(かこさとし)」というペンネームは、ここからきているのです。

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それにしても「いつか戦争を描いた絵本を描きたい」と言っていたかこさんが、すでにご自身の体験をベースにした作品を描いていたことを知って、驚きました。それも敗戦から8年後。まだ絵本作家としてデビューする前に描いた作品で、きっと、描かずにはいられなかったのだと思います。絵本作家としての原点と言える作品が68年後の今になって息を吹き返し、新刊として届いたことに、今は亡きかこさんの強い思いを感じてしまうのは、なぜでしょう。
「プロフェッショナル 仕事の流儀 絵本作家・かこさとしの仕事」
はDVD化されているので、ぜひご覧になってください。目が悪くなり、体調を崩してからも一日も欠かさず机に向かったこの人の命を燃やす静かな戦いが記録されています。それは絵本『秋』に描かれたあの時から始まった、長い不屈の道のりだったのだと思います。
「『どろぼうがっこう』も、もともとは紙芝居だったんですよ」

そう言って、かこさん自ら読み聞かせをしてくれた夢のようなひとときを忘れることはないでしょう。それはひとりの人生の大先輩が、世の中がひっくり返って、何もかもに失望することがあったとしても、こういう闘い方もあるよ、と身をもって教えてくれた、この上なく優しい、かけがえのない時間でした。
「『おたまじゃくしの101ちゃん』を読んで、ちゃんと全部、数えた子がいてね。1匹足りないと手紙をくれたんですよ。こどもは本当によく見ているからね、侮ってはいけない」

そうして、その日の取材を終えて帰ろうとすると「お菓子を持っていきなさい」と持たせてくれようとするのです。素晴らしい絵本を読む時と同じように、かこさんの前では、いつも、ひとりの子どもに還ったような気がしました。もしかしたら、かこさんの中にも、19歳の秋のままの少年がずっといたのかもしれません。

〈青い空や澄んだ秋晴れは、
戦争のためにあるんじゃないんだ。
空襲や戦争のために、青く澄んでいるなら、
こんな秋なんかないほうがいいんだ。
はやくどこかへいってしまえ!
そしてはやく、一日もはやく、
平和な春がきてほしいーー
私は願いました。
切に私は思いました。〉

本特集に寄せて、ウエブでかこさんの新しい絵本を紹介する機会をくれた編集部に感謝します。大人の心も折れそうな今だからこそ、かこさんの祈りが、たくさんの読者に届きますように。あらためて、願わずにいられません。

Harumi Taki / 瀧 晴巳
インタビュー、書評を中心に執筆。西原理恵子著『女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと』(KADOKAWA刊)、かこさとし著『未来のだるまちゃんへ』(文藝春秋刊)、よしもとばなな著『「違うこと」をしないこと』(KADOKAWA刊)、ヤマザキマリ著『仕事にしばられない生き方』(小学館刊)など構成も多数手がける。

 

text:HARUMI TAKI

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