ただ一人残ったJFKの直系子孫、キャロライン・ケネディの半生。

Culture 2022.01.10

昨年12月15日、バイデン大統領がジョン・F・ケネディの娘キャロラインを駐オーストラリア大使に任命したとホワイトハウスが発表。何度も悲劇に見舞われながらも、自国を愛し続ける女性を紹介しよう。

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民主党全国大会に出席するキャロライン・ケネディ。(2000年8月15日) photo: Getty Images

モノクロ写真にオーバーオールを着た幼い女の子が写っている。満面の笑みを浮かべ、大きな机の下に隠れるその女の子は、ホワイトハウスに引っ越したばかりの3歳のキャロライン・ケネディだ。父のジョン・F・ケネディが1960年11月8日の大統領選挙に当選。母親のジャクリーンはアメリカのファーストレディとなったばかりだった。

 

 

3年後、大統領はダラス訪問中に暗殺された。「キャロラインは父親ととても仲が良かったのです」と『From Jackie, with love(ジャッキーより、愛をこめて)』の著者、エルミーヌ・シモンはフランスのマダムフィガロに語る。「JFKの暗殺後、彼女はとても悲しみ、内向的になってしまいました(…)」。それは、ケネディ家を揺るがすこととなる悲劇の第一幕だった。

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『スウィート・キャロライン』

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リッツ・カールトンを後にする若き日のキャロライン。(ボストン、1979年11月7日) photo: Getty Images

1957年11月27日にニューヨークで生まれたキャロライン・ケネディは、生存するジョン・F・ケネディの唯一の直系子孫だ。長男(キャロラインの弟)のジョン・F・ケネディ・ジュニアは1999年、39歳の時に飛行機事故で命を落とした。長女のアラベラは1956年に出産時に死亡。末っ子のパトリックは1963年、生後2日で息を引き取った。ケネディ家は呪われているとうわさする人がいるが、キャロライン・ケネディはそんなことは気にしない。父親は不吉な運命に翻弄されたが、キャロラインは自分の国を愛し続けている。

アメリカもホワイトハウスも元大統領の愛娘を忘れることはなかった。1969年にニール・ダイアモンドが彼女に『スウィート・キャロライン』という歌を捧げたほどだ。半世紀後、公民権に関する多くの本の著者であり、編集者でもある64歳のキャロラインは、アメリカの駐オーストラリア大使に任命されたとホワイトハウスが12月15日に発表した。ジョー・バイデン大統領の指名で、これから上院外交委員会の採決を待つ。

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元在日本大使

子どもの頃、自分のポニー“マカロニ”ちゃんに乗ってホワイトハウスの庭を散歩していた彼女は、現在のホワイトハウスの主、バイデンを支持すると2020年2月4日の「ボストン・グローブ」紙の社説で明言した。12年前にも「ニューヨーク・タイムズ」紙に「私の父のような大統領」という論説を寄稿し、バラック・オバマへの支持を明らかにした。そのお礼として、元イリノイ州の上院議員であるオバマ大統領は彼女を在日本大使に任命したのだった。キャロラインは2013年から2017年までそのポストを務めた。「沖縄の米軍の再編成を進め、女性の権利を守り、そして米日間の学生の交流を深めた」とホワイトハウスは賞賛する。

 

 

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METでの出来事

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メットガラに登場したキャロライン。(ニューヨーク、2017年5月)photo: Getty Images

ハーバード大学で美術を学ぶ若い女性が、フォトジャーナリストになる夢を抱いていたのは、ずい分昔のことだ。「他人を観察する仕事は自分には無理であることに、気が付くことになりました。なぜなら自分自身が注目の的であり、観察される対象だったからです」と「ピープル」誌には書かれている。キャロライン・ケネディはその後ハーバード大学のロースクールに入学し、卒業後はニューヨークのメトロポリタン美術館(MET)の研究員として働いた。

Metで将来夫となるエドウィン・シュロスバーグと出会い、1986年に結婚。JFKの弟であり叔父のテッド・ケネディとバージンロードを歩いた。同年、キャロライン・ケネディはいとこのマリア・シュライヴァーと……なんとアーノルド・シュワルツェネッガーの結婚式でブライズメイドとして出席した。キャロラインは3人の子どもに恵まれる。1988年にローズ、1990年にタティアナ、1993年にジョン。夫婦は2015年に離別した。

METはキャロラインとエドウィンの出会いの場になっただけではない。毎年開かれる祭典メットガラでキャロラインは、何度もそのセンスを披露している。2017年にはコムデギャルソンのオーバーサイズのフラワードレスを着て登場し、話題を呼んだ。2013年、彼女の私財は2億7800万ドルに及ぶとされた。同年、米ボーイングの取締役に選任され、そして今月の15日に再度大使として任命された。

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運命は国とともに?

 

 

60代である彼女は、選挙に出たことはない。ニューヨーク州のヒラリー・クリントンの上院議員の後任に名前が上がったことはあったが、個人的な理由で辞退した。しかし28歳の息子ジョンは違う。2020年8月の民主党全国党大会で初めて政治的な演説をしたのだ。祖父と同じように、国家の運命を背負う意思を持っているのだろうか。

text: Chloé Friedmann (madame.lefigaro.fr)

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