メディアジェニックな力がとんでもなく高い、羽生結弦の引力。
Culture 2022.02.20
文/森田浩之(ジャーナリスト)
北京五輪でも発揮されたが、羽生は「メディアジェニックな力」がとんでもなく高い。数々の名言は「みなさん」と繋がるための大切な媒介になっている。
北京五輪で前人未到の4回転半ジャンプ。だが彼の影響力の源は技術や演技だけではない。 Rob Schumacher-USA TODAY Sports
「全部出し切ったっていうのが正直な気持ちです」と、羽生結弦は口を開いた。
「明らかに前の大会よりもいいアクセル跳んでましたし、もうちょっとだったなと思う気持ちももちろんあるんですけど。でも、あれが僕のすべてかなって」
これまでの、勝者であり続けた羽生からは聞かれないような言葉だった。北京五輪のフィギュア男子フリーが終わった直後のインタビュー。五輪3連覇を目指した羽生は、4位で競技を終えていた。
「いや、もう一生懸命、頑張りました。正直、これ以上ないくらい頑張ったと思います。報われない努力だったかもしれないですけど。確かに、ショート(プログラム)からうまくいかないこともいっぱいありましたけど。むしろうまくいかなかったことしかないですけど、今回。でも一生懸命、頑張りました」
インタビューはそこで終了。羽生は聞き手のアナウンサーに「ありがとうございました」と礼を言い、次にテレビカメラに目線を合わせて「ありがとうございます」と言った。
いつもながら羽生は、優しく丁寧にメディアに語り掛けていた。敗れた直後の複雑な胸の内を、繊細に言葉を選んで伝えていた。何げない言葉ばかりだが、そのひとつひとつに込められた思いは実に重く、大きかった。
英語に「メディアジェニック」という言葉がある。「メディア映えする」といった意味だが、羽生はこのメディアジェニックな力がとんでもなく高い。
演技を終えた後の表情や視線、観客への会釈などはもちろん、採点発表を待つ「キス・アンド・クライ」のエリアでの振る舞いや、テレビカメラを前にしての話し方など、羽生のあらゆる所作には世界中の多くの人を引き付けるものがある。
その「メディア力」は、北京でも存分に発揮された。今回はこれまでのような「絶対王者」としての振る舞いではなかったが、だからこそ羽生が「絶対メディア王者」であることを改めて印象付けることになった。
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感動を与えるだけではなく。
北京五輪の直前にも、羽生は印象的な言葉をいくつも残している。
彼にとって今大会の課題はふたつ。ひとつは五輪3連覇、もうひとつは前人未到のクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)への挑戦だった。
「(クワッドアクセルは)みなさんが僕に懸けてくれている夢だから。自分のためにというのもあるけど、みなさんのために叶えてあげたい」
「できるって言ってくださる方がいらっしゃるなら、やっぱり僕は諦めずにやらないと、それはみなさんへの裏切りになってしまうと思えたので。北京五輪までに覚悟を持ってやらないといけないなって思いました」
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北京五輪のショートプログラムで最初のジャンプを失敗。演技を終えた後、原因となったリンク上の穴を確認する AP/AFLO
キーワードは「みなさん」だ。すでに羽生は、自らが成し遂げてきたことと、これから成し遂げようとしていることが、自分だけのものではなくなっているのを知っている。
最近のアスリートは、世の中に「元気を与えたい」「感動を届けたい」などとごく普通に口にするが、羽生の覚悟はそれとはレベルが違うものだ。
自分の新たな挑戦がどれだけ人々に影響を与えるかを理解し、きちんと言葉にしてメディアに乗せる。何といっても、それは「みなさんの夢」なのだから。
羽生の「メディア力」「言葉力」は、最近になって身に付いたものではない。彼にはその発言を集めた本が何冊も出ているくらい「名言」とされるものが多い。
なかでも舌を巻くもののひとつは、2014年12月にグランプリファイナルで連覇した後の会見での言葉だ。
記者の問いは「わが子を羽生選手のように育てたいというお母さんが多いのですが、どうしたら羽生選手のように育つと思いますか」というもの。正面から答えようのない困った質問だ。
だが20歳の羽生は巧みに論点をそらしつつ、こう答えた。
「僕は『僕』です。人間はひとりとして同じ人はいない。十人十色です。僕にも悪いところはたくさんあります。でも悪いところだけではなくて、いいところを見つめていただければ、(子どもは)喜んで、もっと成長できるんじゃないかと思います」
記者の質問には、羽生が日本人の「ロールモデル」になっているという前提がある。その答えに「僕にも悪いところはたくさんあります」という、自分を等身大に見せる表現がさらりと入っているところに、高い言葉力が感じられる。
3連覇を目指して臨んだ北京五輪。だがショートプログラムでは、リンク上にあった穴にはまって最初のジャンプを失敗し、8位と出遅れた。
羽生は「氷に嫌われちゃったかな」「僕、なんか悪いことしてたんですかね」「一日一善じゃなく、十善ぐらいしないといけないのかな」などと独特の表現で悔しさを語った。
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テレビカメラの向こうまで。
2日後のフリーでは、巻き返しを期すとともにクワッドアクセルに挑む羽生に向けて、日本だけでなく世界中から熱い声援が寄せられた。SNS上は、さまざまな言語の応援メッセージであふれた。
この影響力の源は何か。
幼い頃の羽生が憧れ、髪形までまねたというフィギュア界の「皇帝」エフゲニー・プルシェンコ(2006年トリノ五輪金メダリスト)は、かつて羽生についてこう語った。
「ユヅルは双眼鏡でしか見えないような席の人も、一緒に滑っているような気分にさせることができる」
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いや、双眼鏡で見えるかどうかの距離どころではない。テレビカメラの向こうにいる数え切れない人々を一緒に滑っている気分にさせられるのが、いまの羽生だ。その人たちこそ、羽生の言う「みなさん」なのだろう。
なかには羽生の言動を「優等生的」「偉そう」と受け止め、嫌う人たちもいる。SNSには「嫌いだと言いにくい空気が嫌い」といった書き込みも見つかる。
ただ、羽生が努力と結果を積み重ね、いまいる場所にたどり着いたことは確かだろう。
メディアジェニックな羽生が、自ら発する言葉に無自覚なはずはない。彼は自身の言葉の重さをどう捉えているのか。
2020年12月、全日本選手権を制した後の発言にヒントがあった。コロナ禍を意識したコメントの中で、羽生はこう語っている。
「暗いトンネルの中、絶対いつかは光が差すと思うので。そういうものも自分の演技から、言葉たちから感じていただけたらと思います」
羽生結弦にとって「言葉たち」は、「みなさん」とつながる上で、演技と同じくらい大切な媒介なのだ。
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text: Hiroyuki Morita