限りなく知的、そしてラディカル。シネマな女、ジュリア・デュクルノー。

Culture 2022.10.05

昨年のカンヌ国際映画祭にて、監督作『TITANE/チタン』で最高賞パルムドールを受賞した史上2人目の女性。美人で、過激で、固定観念をくつがえす異才に話を聞いた。

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Julia Ducournau
1983年11月18日、パリ生まれ。2011年、短編映画『Junior』(原題)で注目される。監督作は基本的に脚本から執筆してオリジナル作品を発表。テレビ映画やテレビシリーズなどの脚本も手がける。長編第1作『RAW~少女のめざめ~』(16年)、近作『TITANE/チタン』(21年、今春日本公開済み)とも、身体性を深く掘り下げた革新的なジャンル映画として話題に。

“表現したいのは、社会的タブーを破らないために抑圧している私たちの感情”

2021年7月17日、カンヌ国際映画祭でジュリア・デュクルノーは映画史に名を残した。『TITANE/チタン』(今春日本公開済み)で、身体やジェンダー、カオスから生まれる愛を、理屈抜きのぶっ飛んだ感覚で描き、審査員長スパイク・リーからパルムドールを授けられたのだ。17年の初監督作品『RAW~少女のめざめ~』で知られるようになったフランス出身のデュクルノー監督は、カンヌの最高賞を手にした「2番目の女性」となった。ジェーン・カンピオン監督作『ピアノ・レッスン』以来28年ぶり。常に男性優位の映画製作業界において、これは象徴のような出来事だが、審査員はあえて女性優位を演出しようとしたわけではない。強烈な印象を残す、過激で特異な作家性に富んだ内容が評価されたのだ。

受賞から1年、現在ジュリアが住むマルセイユの、とあるアパルトマンのテラスで会った。ジュリアが今年開催の第75回カンヌ国際映画祭に向かう数日前のことだった。今年のカンヌでは、『TITANE/チタン』主演のフランス人俳優ヴァンサン・ランドンが審査員長を務めている。

「パルムドールがもたらす効果をようやく実感しています。いろいろな企画が持ち込まれるようになりました。賞を取った監督だから、という理由は嫌です。私の作品が好きで今後の成長を見たいと思って会いに来てほしい」とジュリアは言う。世界的名声を得て変わった点がもうひとつある。俳優や監督から賞賛や祝福のメッセージが届くようになったことだ。最近は尊敬する監督のひとり、ペドロ・アルモドバルとやりとりしている。マドリッドの巨匠は、ジュリアの作品に彼との共通点を見いだしたのかもしれない。魂の変容(メタモルフォーゼ)を映す鏡としての身体の変化(トランスフォーメーション)、流動的な自我同一性(アイデンティティ)、社会的文化的性差(ジェンダー)——これらは、両監督に共通しているものだ。

「私が心魅かれる芸術家は、いまも昔も、誰も気付かないところに美しさを発見し、美を単なる審美的快楽よりも深く切迫したものと捉える人たちばかり」と言うジュリア。映画作家では、ピエル・パオロ・パゾリーニ、デイヴィッド・リンチ、アンドレイ・タルコフスキー、デイヴィッド・クローネンバーグ、フェデリコ・フェリーニ。文学ではエドガー・アラン・ポー、ハワード・フィリップス・ラヴクラフト、画家や写真家ではフランシス・ベーコン、シンディ・シャーマン、ナン・ゴールディン、ロバート・メイプルソープの名前を挙げた。

「私を培ってくれた作品に共通するのは、実存的不安の中に光を感じることなのかもしれない。生命や愛はどんな場所からも生まれる可能性がある。インスパイアされる作品たちは、そんな考えを私に突きつけてくるのです。探しているのは、闇にひそむ活力、呆然とするような何か……」

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探求の場として選んだのが娯楽映画だった。このジャンルは、「一切の制約なしにシンボルを扱い、疑似神話的な物語を作りだし、人類のタブーを超越する」には理想的な、ひとつの言語活動なのだそうだ。

通過儀礼(イニシエーション)の物語、『RAW~少女のめざめ~』では、獣医学生がカニバリズムを通じて性と成熟に目覚める。『TITANE/チタン』では、まったくの新人、アガト・ルセルが演じる殺人衝動を抱えたダンサー、アレクシアが、チタンプレートを埋め込まれた異形の姿でステレオタイプな女性らしさを解体する。心かき乱されながらも引き込まれるストーリーだ。耐えがたいと感じる人もいるかもしれない。ジュリア・デュクルノーはそれでもあえて描く。

「登場人物が社会の周縁で生きる人々と言われたり書かれたりしてきましたが、そうではありません。社会規範から逸脱した人々なのです。両者は異なります。登場人物の身体を通して表現しようとしているのは、私たちが規範に従い、社会的タブーを破らないために普段から抑圧している自分たちの感情。言葉にできないものをこづきまわし、人間性を失わせるような場面や死角をことごとく見せてやりたい。そんな本能的な欲求が私にはあるのです。口当たり良くするために自制するなんてことはしません。隙間の中に美を見いだそうとするのは、おそらく自分の人間性を知り尽くしたいからです。それは、もしかしたら、死の恐怖を払拭するための手段なのかもしれません」

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死は幼い頃からジュリアの身近にあった。両親が皮膚科医と婦人科医の医者の家庭に育ったからだ。

「生や身体に対する感覚は、家庭の影響を当然受けています。医学には、言葉にできないものもなければ、あえて口にしない言葉、あえて触れない身体もない。私にとって、身体は常にすべての中心にありました。幼い頃から、精神と身体は決して切り離すことができないと理解していたのです」

それは身体が自ら語る、ということだ。ジュリアの映画ではしばしば身体的な感覚、身体を通じての共感が台詞に取って代わる。もっともジュリアは作家になりたいと思ったほど、言葉を深く愛しているのだが。

パリに育ち、子どもの頃からひとり物思いにふけるのが好きだった。『不思議の国のアリス』やカルロス・サウラの映画『カラスの飼育』の若いヒロインのように。これらの作品にジュリアはすぐに自己投影した。退屈をしのぎ、「自分の世界」に閉じ込もるために、ジュリアは作文に熱中し、ヴァカンス中には両親に作文の課題を出してもらっていたほどだ。

「3年ほど前、私が小学2年生の頃に書いた作文を母が見つけてきました。読んでいて、涙があふれそうになりました。そこには、いまも自分の関心事であるテーマが書かれていました。第三者による住居への侵入、ジェンダー、変身、言葉にできないもの……映画作家であれ、文筆家であれ、プロットやキャラクターは変化しても、その土台となるものは、どこか遠くてアルカイックなところに由来することが多いものです。それは不変なのだと確信しています」

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“得られるかもしれない陶酔のため、私は創造する! ”

10代になると詩に興味を持ち、詩作にのめり込んだ。この時も妥協することなくイメージをふくらませた。文科系グランゼコール準備クラスに2年通った後、ジュリアはフランスの国立映画学校ラ・フェミス(フランス国立映像音響芸術学院)の存在を知る。ハリウッドの黄金時代からヌーべルバーグまで知り尽くす映画ファンとしての教養を武器に脚本コースの試験を受け、見事合格。在学中は撮る楽しみを知った。「まさに発見でした。自分で映像化することでしか、語り尽くせないことを悟ったのです」

08年に卒業して3年後、短編映画『Junior』がカンヌ国際映画祭の批評家週間に選出される。思春期を迎えた少女の身体から肉片がはがれ落ちて奇妙な液体がもれ出すという、他に類を見ないストーリーだ。

「女性の身体はさまざまな投影の場となります。私はどの作品でも身体を物体ではなく、主体と見なして描こうとしています。ジェンダーや女性の身体が政治的な存在であるのは、外部からの思惑や投影の対象とされる結果、女性の自由にならない状況が常に存在してきたからです。たとえば街中を歩くという単純な行動だけでも、女性がどんな気持ちを強いられているのかわかります。男性は後先考えずに進めるのに、女性は待ちぶせを警戒し、“万が一”に備えておくべき危険な場所かもしれないと慎重になります。これは社会が女性性に強いている被害者という立場と、まさしく呼応しているのです。#MeToo運動が始まるまで、そんな考え方や状況が“普通のこと”と長い間信じられていたのです。『TITANE/チタン』のアレクシアというキャラクターは、女性を獲物と見なすアルカイックな妄想への反動から生まれたと言っていいでしょう。そして、彼女の暴力性の一部は、この悪弊の根深さに対して、私が呆れ、憤りを感じている、その私的な感情から湧いてきたものなのです」と分析した。

ジェンダーの問題は社会における画一的な視点や解釈の反映であり、いろいろな意味で彼女にとって身近な問題だ。いまだに男性が支配的な映画の世界で、ジュリアはしばしば例外的存在、珍獣として扱われ、作家としての仕事やテクニックの評価は二の次だったりする。

「論点をリセットするために、絶え間ない努力が必要です。私の性別やどんな人物であるかは関係なく、大切なのは作品だけ。コミュニケーションがなされるのは作品を通じてなのです」と、持ち前の率直さで語る。

「そもそも自分が共感する作品のクリエイターが、男性か女性かなんて気にしません」

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いま、ジュリアはマルセイユに暮らし始めて3作目の長編映画の脚本を執筆中。この街は創作に向いていると言う。

「私は冬眠するクマのように家にこもって、仕事にエネルギーを注ぐタイプ。過去2作の一部は、ヴィラ・メディチ滞在がきっかけで知ったローマで書きました。ローマには私が愛するものすべて、つまり混沌の中の美があります」

『RAW~少女のめざめ~』の執筆に迷いがなかったことは認めている。一作目ならではのエネルギーと「誰からも期待されていないという絶対的な贅沢」に支えられていたからだ。『TITANE/チタン』では生みの苦しみを味わった。幾たびかのスランプや不安に苛まれた時期を経て、ようやく生まれたのだ。そしてパルムドールを得た後の3作目は、重荷? それとも安心感をもたらすものだろうか?

「最初は受賞したことを厄介に思っていました。スティーヴン・ソダーバーグが『セックスと嘘とビデオテープ』で受賞した時、“もう後退しかない”と言ったそうです。賞をもらった時、まさしく同じことを感じました。心境が変わるまで時間がかかりました……でも、いまではどう立ち向かえばいいのかが見えてきました。パルムドールがあろうとなかろうと、創造に要する時間は長く、とても怖いものと悟ったから。執筆活動は自分の信念や忍耐辛抱を試され、どこか崇高なところがあります。その過程は苦しいことが多いものです」と語った。では、なぜ続けるのだろう?

「得られるかもしれない陶酔のために!」

そう答えると、ジュリアは去っていった。クマのようにこもって、新たな映画を生み出すために。新作については何も教えてくれなかったが、固定観念を壊したところに自分を発見しようとする彼女のこだわりが詰まった作品は、きっとまた脚光を浴びることだろう。

「映画作家がどうやったら作品ごとに完全に切り替え、それまでのこだわりや妄想を忘れ去ることができるのか、よくわかりません」ともジュリアは言っていた。ある映画監督からこんな言葉を聞いたことがある。「映画を創るということは、常に同じダイヤモンドを見つめることだ。ただし異なる角度から」——ジュリア・デュクルノーの創造のダイヤモンド原石は、これまで創った映画を通して得たさまざまな加工方法で、すでに貴重な輝きを放っている。

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『TITANE /チタン』
幼い頃に遭った交通事故で頭蓋にチタンを埋め込まれた女性アレクシアは、車に執着を抱き、センシュアルなダンサーとして働いている。危険な衝動に駆られる彼女は、殺人を犯し、逃げる過程で消防士のヴィンセントと出会うのだが……。
●監督・脚本/ジュリア・デュクルノー
●出演/ヴァンサン・ランドン、アガト・ルセルほか
●2021年、フランス映画
●108分
●DVD ¥4,180 発売・販売:ギャガ(10/5発売)
●問い合わせ先:
プラダ クライアントサービス 0120-45-1913(フリーダイヤル)

*「フィガロジャポン」2022年9月号より抜粋

interview & text: Marilyne Letertre (Madame Figaro) photography: Jean-Baptiste Mondino (Madame Figaro) hair: Cyril Laloue (Madame Figaro) makeup: Christina Lutz (Madame Figaro) set designer: Cédric-Cyril Colonges (Madame Figaro)

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