ダイアナ妃に「クラーク・ケント」と呼ばれた記者の告白。

Culture 2023.01.27

ベージュのロングトレンチコートと大きな眼鏡がトレードマークのアンドリュー・モートンは「ザ・クラウン」シーズン5第2話のスターだ。ダイアナ妃の伝記を書いたジャーナリスト本人が、ロサンゼルスの邸宅から、この本を出版するに至った内幕を語ってくれた。

 

ダイアナ妃公認の伝記を書いたのは彼だけだ。インタビューで自ら語っているように、伝記の執筆は彼の人生最大の冒険だった。1986年、コラムニストのアンドリュー・モートンは、ほかの大勢の記者たちに混じって、ダイアナ妃のロンドン・セント・トーマス病院公式訪問を取材。その日、彼はダイアナ妃の親友のひとりであるジェームス・コルサースト医師と知り合う。そして、ふたりは友人となった。ベストセラー本『ダイアナ妃の真実』の誕生につながるその後のすべては、この時の思いがけない出会いと、ふたりの間に芽生えた友情に端を発している。その経緯はドラマ「ザ・クラウン」でも1話を割いて描かれている。

同ドラマのシーズン5第2話は王室記者のモートンと伝記執筆の内幕がメインテーマだ。ウェールズ公夫妻の離婚を加速させたこの本は、いまもなお波紋を投げかけている。ダイアナ妃が「クラーク・ケント」と呼んだ伝記作家がロサンゼルスの自邸からインタビューに答えてくれた。彼はその後も、ダイアナ妃に関連する著書『Diana, In Pursuit of Love(ダイアナ妃、愛を追って)』を上梓している。

 

 

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——(マダムフィガロ:)『ザ・クラウン』シーズン5で、ピーター・モーガンは引き続きウィンザー家の物語を綴っています。特にチャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚が掘り下げられていますが、このテーマについてドラマで描かれていることは正しいですか? すべて信用できるものでしょうか?

(アンドリュー・モートン:)すべて事実に基づいていると思います。そうですね、1990年代のウィンザー家という、現代史のなかで最も華々しい時期のひとつを題材にしたドラマです。エリザベス女王も1992年は「annus horribilis(ひどい年)」だったと語っています。製作者はかなり好意的な姿勢でドラマ化に取り組んでいると思いますね。シーズン5ではチャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚だけでなく、アン王女とティム・ローレンスのロマンス、マーガレット王女とピーター・タウンゼントとの悲恋、ファーギー(セーラ・ファーガソン)とアンドルー王子のことにも触れています。正直な話、脚本家にとっては題材がありすぎて悩ましいくらいです。

——ピーター・モーガン製作のドラマでエリザベス・デビッキが演じている「ダイアナ妃」は、あなたが身近で接した女性を忠実に再現していますか?

率直な感想を言うと、第2話を見ながら震えてしまったほどです。亡霊を見ているような気分でした。何年も前にさかのぼって、ダイアナ妃と同じ部屋にいるような気持ちになりました。私はそう簡単に感動する方ではありませんが、これには心底衝撃を受けました。スクリーンで私の質問に答える彼女の姿を見ていると、ダイアナ妃本人がそうしているように思えてなりませんでした。私にとっては、限りなく本物に近い肖像画です。彼女の演技はゴールデン・グローブ賞に値します。惚れ惚れしました。

——シーズン2はウィンザー家にとってカオスだった1991年に焦点を当てています。当時のあなたの立場はどのようなものでしたか? どこで働いていましたか? その頃すでに、世間で言うところの「ロイヤル・ウォッチャー」、つまりロイヤルファミリーの一挙一動を報道する記者のひとりだったのですか?

それまでにすでに本を10冊出していました。皮肉にも新人と見なされましたが、かなり前から執筆者として活動していたのです。最初の本はアンドルー王子を主題にしたもの(『Andrew : The Playboy Prince』)で、1982年に出版されました。王室が所有するヨット「ブリタニア」や、セーラ・ファーガソンに関する本も書きました。ですから1991年の時点で、私はすでに執筆者でした。また、複数のメディアに寄稿するフリーランスの記者でもありました。

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「このエピソードで語られていることはすべて真実」

——ドラマの中で、あなたはいつもベージュのロングトレンチコートを羽織り、分厚い眼鏡をかけています。あまり笑顔は見せず、むしろ陰気な雰囲気です。自分自身の描かれ方をどう思いますか?

スクリーンで私の役を演じているアンドリュー・スティールが、私よりだいぶ毛量が豊かであるという点は違いますが、人となりそれ自体は、まさに当時の私そのものです。一見こだわりのあるようでいて、かなり直感的な面も持ち、ダイアナ妃に対して好意的な人物として描かれています。なかなか悪くないなと自分でも思っています。

——ドラマの製作者のピーター・モーガンは、どうやってあなたにコンタクトを取ってきたのですか?

彼と直接話してはいません。私はシーズン5第2話のコンサルタントとして雇われたに過ぎません。具体的に言うと、製作チームはあらゆるディテールを詰めるために、私の脳を誘拐したのです。ですからこのエピソードで描かれていることは、すべて本当にあったことだと断言できます。私は実際にダイアナ妃がセント・トーマス病院を訪れた日にジェームス・コルサースト医師に出会いました。私たちは確かにレストラン「ラ・バルカ」で一緒にランチを取りました。ちなみに、ドラマではずいぶんおいしそうに描かれていますが、そこまでではありませんでしたよ……。ダイアナ妃が言っていることも事実です。

——ドラマのなかでダイアナ妃はあなたのことを「クラーク・ケント」というあだ名で呼び、記者たちのなかで「最も優しい人のひとり」と言っています。これも本当のことですか?

その通りです。「クラーク・ケント」というのは、私は身長が1,93mあり、分厚い眼鏡をかけていたからです。Noahとも呼ばれていました。「Notable historian and author(「傑出した歴史家兼作家」という意味)」の短縮系です。もちろん冗談ですが。

——あなたとジェームス・コルサースト医師との関係については、ドラマの中であまり掘り下げられていません。具体的にどうやって医師を説得し、ダイアナ妃の話を聞き出すことができたのですか?

ドラマは時間の制約があるため、この点はかなり端折っています。私が病院で彼に出会ったのは1986年か1987年のこと。一緒にお茶を飲み、連絡先をもらいましたが、それだけです。私には何の下心もありませんでした。私たちは連絡を取り続け、そのうち一緒にスカッシュをするようになりました。何年もの間、親しく付き合っていましたが、彼がダイアナ妃の話をしたことは一度もありませんでした。

彼が話してくれるようになったのは、ようやく最後の頃です。ダイアナ妃も私にネタを提供するために、彼に情報を渡すようになりました。こうして私たちの間にプロフェッショナルな関係が出来上がっていったのです。私たちはその後もずっと連絡を取り合っています。彼の結婚式にも出席しましたし、彼の娘のひとりの代父も務めました……。Netflixとの冒険についてもメッセージを送りましたが、彼はNetflixのアカウントを持っていないのでドラマは視聴できません。

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——ダイアナ妃とは書籍発売後もコンタクトを取っていたのですか?

本は1992年1月に出版されました。それから夫妻の離婚まで、私たちはお互いのスケジュールが許す限り、かなり定期的に連絡を取り合っていました。通常、週に1回、時には3回、電話で話していました。当時はWhatsAppはありませんでしたし、人目につかないように相当気をつけなければなりませんでした。

それから、ジェームスといっしょに協力して彼女の手助けをしました。彼女がその後実行しようとしていることのサポートをしたのです。たとえば、彼女に田舎に家を購入するよう提案しました。そうすれば子どもたちと静かな環境で会えるようになるからと。彼女は実家が所有する領地内のコテージに引っ越したいと言っていて、チャールズ・スペンサーも了解していましたが、その後、領地に不審者が侵入したら困ると前言を撤回してしまいました。

——あなたがダイアナ妃のカセットを最初に受け取ったとき、自分は黄金を手にしていると思ったはすです。同時にダイナマイトでもありますが……。

私はジェームスから手渡された最初のカセットをロンドン北部のとあるカフェで試聴しました。ヘッドホンをつけると、まるで別世界に足を踏み入れた気分でした。このような展開になるとはまったく予想していませんでした。ダイアナ妃がインタビューを受けると言ったときには、彼女が人道援助に関する仕事や、その種のことについて話すつもりだろうと考えていました。しかし彼女が語っているのは、過食症やカミラのこと、彼女がケンジントン宮殿で日々直面している生きづらさについてだったのです。最初の録音テープをしばらく聞いた後、私は秘密クラブの一員に迎えられたような気分になりました。ですから私の最初の気持ちは「自分は黄金を手に入れた」ではなく、むしろ「これはダイナマイトだ。これからそのことを証明してみせる」というものでした。

——あなたは彼女がテープで語っていることをすぐに信じましたか? 彼女の告白を疑ったことはなかったのですか?

本当のことを言うと、すぐには信じませんでした。単純でまっとうな理由からです。私はそれまでにチャールズ皇太子に何度も会う機会があり、非常に魅力的で才気に満ちた人物だと感じていました。当時、彼女が主張することをすべて信じるのは難しかった。なぜなら、みんなと同じように、夫妻のおとぎ話を信じていたからです。

ですがその年、チャールズ皇太子の振る舞いを間近にする機会がありました。そして、彼女が言っていることには信憑性があると気付いたのです。ある日、ウィリアム王子が学校で同級生との事故で頭蓋骨を骨折し、病院に搬送されました。チャールズ皇太子は病院にやって来ましたが、また出て行ってしまいました。その日はオペラに行かなければならなかったからです。ダイアナ妃は不安にさいなまれながら、ひとりで病院に残りました。これだけ取り上げると些細な出来事のように見えるかもしれません。しかし、一見何でもないこのような行動が度重なり、彼女がどんな状況を生きているのかを示していたのです。

——カセットを託されて恐怖を覚えましたか? 脅迫されるのではと心配になったことは?

私はかなり神経質になっていました。ダイアナ妃も同じです。リチャード・ケイ(「デイリー・メール」紙の王室担当記者)と、当時の有名カメラマンのアーサー・エドワーズが同じ頃に連絡を取ってきて、ふたりとも「用心しろ、目をつけられているぞ」というのです。私は「サンデー・タイムズ」紙にダイアナ妃関連の記事を数点寄稿したところでした。記事に書いたことは毎回、核心を突いていたのです。その後、事務所に強盗が入りました。ダイアナ妃と連絡を取るときは固定電話ではなく、公衆電話を利用していました。そうですね、私はこの時期、かなり身の危険を感じていて、自分の背後をいつも気にしていた。当時の私の生活は、映画『大統領の陰謀』の王室バージョンといった感じでした。

——著書『ダイアナ妃の真実』は衝撃でした。出版後にあなたが経験した嵐がどんなものだったか、なかなか想像ができないのですが……。

「ザ・クラウン」では書籍出版後の批判の嵐について十分に描かれていません。私自身、報道機関や大手マスコミ経営者だけでなく、国会議員からも激しく叩かれました。「サンデー・タイムズ」紙は攻撃されました。非常に騒然とした時期でした。私も「オーケー、そうさ、ダイアナ妃と話したんだ」と言うことができたら楽だったでしょう。でも私はダイアナ妃と約束したのです。絶対に私たちの契約について明かすことはしないと。彼女が女王と面会するときに、まっすぐ女王の目を見て、「この本は私とは一切関係がありません」と言えるように。

——あなたの人生最大の冒険だったと言えますか?

それは明白です。地球上にいったいどのくらい、英国の未来の王妃となる人の私的な告白を聞いた人がいるでしょうか?

text: Marion Galy-Ramounot (madame.lefigaro.fr)

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