ロバート・レッドフォード、ベッドシーンで「身を守るため」ブリーフ2枚を重ね履きした過去とは?
Culture 2023.01.31
シドニー・ポラックによる1973年の名作映画『追憶』撮影時の舞台裏を明かした本が1月24日に発売された。アメリカの伝記作家、ロバート・ホフラーの新刊本だ。主役ふたりの温度差に現場は右往左往した。
『追憶』でのバーブラ・ストライサンドとロバート・レッドフォード。(1973年)photography: Abaca
1月24日に出たロバート・ホフラーの新著『The Way They Were』によると、1970年代初頭、ロバート・レッドフォードはバーブラ・ストライサンドを評価しておらず、シドニー・ポラック監督の『追憶』(1973年)出演を渋ったそうだ。
ロバート・レッドフォードとの出演交渉の大きな障害となったのが、主演女優に決まっていたバーブラ・ストライザンドの存在だった。それまでミュージカルや「ライトな」作品に出演していたため、「本格的な女優」ではないと俳優は考え、共演を嫌がったのだ。もっともロバート・レッドフォードがどう思っていたとしても、バーブラ・ストライサンドはこの作品でアカデミー主演女優賞を得ることになるのだが。
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彼女は彼に夢中
監督のシドニー・ポラックは、ロバート・レッドフォードが出演を承諾するまで8ヵ月以上、粘り強く交渉した。俳優の方は頑なに、バーブラ・ストライサンドに映画の中で歌わせない条件を持ち出した。
一方、バーブラ・ストライサンドはロバート・レッドフォードに「すぐに好感を持った」ことをシドニー・ポラックは当時語っている。「撮影が始まる前から、彼女は彼に夢中だった」そうだ。だからバーブラ・ストライサンドは、初ベッドシーンを楽しみにしていた。本の中で共演者のひとりが指摘しているところによれば、彼女は「出演作の多くでメインキャストと寝ていた」そうだ。
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ベッドシーンでのそれぞれの思惑
件のシーンは、泥酔したハベル(ロバート・レッドフォード)が眠るベッドにケイティ(バーブラ・ストライサンド)がもぐりこむ。彼女が彼を揺り起こすとふたりは愛しあう、という展開になっていた。ふたりはそれぞれの思惑をめぐらせてベッドシーンに臨んだ。
ロバート・ホフラーの新著によれば、彼の方は「身を守る」ために備えた。具体的には、通常よりも分厚くてサポート力のある「スポーツブリーフ2枚重ね履きしていた」そうだ。余談だが、何を着て寝るかたずねられたロバート・レッドフォードが「アラミス」の香りと答えたのは有名な話だ。対照的に、彼女はシンプルなビキニショーツだけだった。
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下手だったことなんかない
2回目のベッドシーンではふたりがブドウを食べさせあい、盛りあがってきたところでハベルがケイティに「今度はもっと上手にやる」と言うことになっていた。だがロバート・レッドフォードは、プレイボーイの評判を保ちたかったのか、このセリフをきっぱりと拒否した。ロバート・ホフラーは、俳優の心境をこんなふうに想像している。「レッドフォードが下手だったことなんかない。だったらハベルだってそんなことはありえない」
ニューコダックシアターで開催された第74回アカデミー賞授賞式で名誉賞を受賞したロバート・レッドフォードが受賞後の楽屋でバーブラ・ストライサンドと。 (ロサンゼルス、2002年3月25日)photography: Abaca
作品の成功を受けて、プロデューサーらは続編を作りたがったものの、ロバート・レッドフォードが拒否して実現しなかった。ロバート・レッドフォードは「わたしはやりたくなかったが、バーブラはやりたかったようだ」とそっけない発言をのちにしている。しかしながら......2010年、オプラ・ウィンフリーの番組で思いがけずロバート・レッドフォードからバーブラ・ストライザンドの「エネルギーと精神」が好きだと称賛の言葉が飛びだした。長い年月を経て彼女はようやく彼に認めてもらえたようだ。
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【写真】ロバート・レッドフォード
舞台やテレビで注目を浴びたのち、映画界へ。チャーミングなナタリー・ウッドと共演したロバート・マリガン監督の『サンセット物語』(1965年)で二枚目のハリウッドスターながらゲイというリスキーな役を見事に演じ、ゴールデン・グローブ賞新人男優賞を獲得した。こうしてハリウッドへの扉が開かれた。
photography: Getty Images
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1969年、『明日に向かって撃て!』(ジョージ・ロイ・ヒル監督)の撮影現場でポール・ニューマンと出会う。この作品は、アカデミー賞5部門、英国アカデミー賞9部門を受賞し、ロバート・レッドフォードは英国アカデミー賞主演男優賞を手にした。
photography: Getty Images
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天使の顔をした俳優は模範的な家庭生活を送っていた。1969年、ニューヨークの街角で(左から)息子のデヴィッド・ジェームズ、娘のショーナ、妻のローラとともに。
photography: Getty Images
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1972年、ロバート・レッドフォードは、カリフォルニア州上院議員選挙の舞台裏を描いた映画『候補者ビル・マッケイ』の制作総指揮兼主演を務めた。やがてハリウッドで最も政治に傾倒するひとりとなる俳優にとって初めての政治ジャンルでの大作だった。
photography: Getty Images
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同年、仲良しのシドニー・ポラック監督とともに、映画『大いなる勇者』を携えてカンヌ映画祭に参加する。ふたりは合計で7本の映画を一緒に作っている。ポーランド出身のピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタインが妻のアニエラ・ムイナルスキ(写真右)と同行しているのは、ピアニストの息子のジョンが映画のサウンドトラックを作曲したからだ。
photography: Getty Images
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1973年、ロバート・レッドフォードは再びシドニー・ポラック作品に出演した。名作『追憶』は、人々の記憶に残る社会派恋愛映画であった。共演のバーバラ・ストライサンドは大ヒット曲となった主題歌も歌っている。
photography: Getty Images
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フランシス・スコット・フィッツジェラルドの小説『グレート・ギャツビー』の主人公に彼はまさに適役だった。恋人役はミア・ファロー。フランシス・フォード・コッポラ監督の映画は1974年に公開され、ヒットした。
photography: Getty Images
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1976年、この二枚目俳優はウォーターゲート事件を描いた政治映画で主役のひとりを演じ、人々の意表をついた。プレミア上映会にはハリウッド中の人々が集まった。 (ロバート・レッドフォードとライザ・ミネリ、ニューヨーク、1976年4月5日)
photography: Getty Images
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1980年代に入り、ロバート・レッドフォードはキャリアの転機を迎えた。初の監督作品『普通の人々』は、悲劇にみまわれたあるアメリカ中流家族の気持ちがすれちがう様を描く。この作品でロバート・レッドフォードはアカデミー賞監督賞とゴールデン・グローブ賞映画監督賞を手にした。
photography: Getty Images
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ロバート・レッドフォードは仕事も私生活も手を抜かない。子どもたちを可愛がり、時には華やかな場にも連れていった。ニューヨークの国際写真センターでの展覧会オープニングパーティーで娘のショーナと共に。(1983年11月)
photography: Getty Images
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1984年、かつて憧れたスポーツの世界へ。と言っても映画の話で、野球選手ロイ・ハブスを演じた。共演はグレン・クローズ、キム・ベイシンガーら。ヒットしなかったが、ロバート・レッドフォードにとってこの作品は野球の手ほどきをしてくれた父親へのオマージュでもあった。
photography: Getty Images
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息を呑むほど美しいアフリカの風景、素晴らしいサウンドトラック、そして壮大なラブストーリーをロバート・レッドフォードとメリル・ストリープという映画界のビッグネームが演じた。1985年公開のシドニー・ポラック監督作品『愛と哀しみの果て』はアカデミー賞10部門にノミネートされ、7部門で受賞したが、残念ながら主演の二人の受賞はなかった。
photography: Getty Images
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『普通の人々』や『ミラグロ/奇跡の地』に続いて監督3作目となったのが、1992年の『リバー・ランズ・スルー・イット』だった。主演のブラッド・ピットが演じたのは自然を愛し、フライ・フィッシングの名手でありながら非業の死を遂げる人物。この作品は興行的にも成功した。
photography: Getty Images
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1998年、監督作品『モンタナの風に抱かれて』が公開され、またしてもヒットを飛ばす。この作品で当時まだローティーンだったスカーレット・ヨハンソンが一躍人気女優に。
photography: Getty Images
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政治に傾倒していることで知られる俳優は芸術分野にも関心が高く、1981年にユタ州の地所にサンダンス・インスティテュートを設立、インディペンデント映画や演劇を支援し、若手育成をおこなっている。
photography: Getty Images
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2002年、ロバート・レッドフォードは、彼のこれまでのキャリアに対してアカデミー賞名誉賞を授与された。ノミネートされながらも受賞に至らなかった悔しい思いもこれで報われただろうか。この賞の歴代受賞者にはチャップリン、ウォルト・ディズニー、ジャン・ルノワールらがいる。
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AFI映画祭で息子のデヴィッド・ジェームズとロバート・レッドフォード。デヴィッド・ジェームズは初監督作品『Spin』を発表した。(ロサンゼルス、2003年11月8日)
photography: Getty Images
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2005年、第28回ケネディ・センター名誉賞を受賞した。家族や、ロバート・レッドフォードの再婚相手の画家シビル・ザガースも一緒だ。私生活は相変わらずきちんとしていて、2009年7月に再婚し、現在も一緒に暮らしている。
photography: Getty Images
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サンダンス・インスティテュート設立後の1985年、サンダンス映画祭を始める。映画祭にはクリステン・スチュワート、テイラー・スウィフト、ジェニファー・アニストン、ブラッド・ピットなど若い世代の俳優が押し寄せ、ユタ州が華やかな場所に。(2009年、デミ・ムーア、アシュトン・カッチャーと)
photography: Getty Images
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ロバート・レッドフォードはまだまだ元気だ。『アベンジャーズ/エンドゲーム』のような超大作でも、2013年のカンヌ国際映画祭で上映された『オール・イズ・ロスト〜最後の手紙〜』のようなきわめて私的な作品でも、この俳優は私たちを驚かせ続ける。
photography: Getty Images
text: Annabelle de Cazanove (madame.lefigaro.fr)