オスカー俳優ミシェル・ヨーの波瀾万丈なマルチライフ!
Culture 2023.03.18
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』でアカデミー賞主演女優賞を受賞したミシェル・ヨー。マレーシア出身の60歳の彼女は、映画で演じた役柄と同様、いくつもの人生を生きる能力を持っているよう。横顔を紹介しよう。
「ヴァニティ・フェア」主催のオスカーパーティーでのミシェル・ヨーとフローレンス・ピュー。photography: bfa.com/Aflo
「あなたはもう全盛期を過ぎたなんて、誰にも言わせないで」。3月12日にハリウッドで行われたアカデミー賞授賞式。『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(作品賞を含む7部門で受賞)で主演女優賞の栄冠に輝いたミシェル・ヨーは、すでに長いキャリアを持っていても、たとえその間に何度も停滞期を経験していても、栄光は訪れると証明してみせた。
雑誌「タイム」の「今年のアイコン」に選ばれ、『アバター』次回作への出演も決定。プロデューサーであり女優であるミシェル・ヨーは華々しいカムバックを遂げた。『007 トゥモロー・ネバー・ダイ』(1997年)でボンドガールを演じ、『SAYURI』(2005年)で芸者に扮した現在60歳のマレーシア出身の女優が再び新境地を切り開いている。
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スポーツ万能、そしてミス。
1962年生まれのミシェル・ヨーは、弁護士の父親の一存で、幼い頃から全寮制の学校に進学し、英語とスポーツの英才教育を受けた。クラシック・バレエを学ぶ一方で、スカッシュや水泳、ダイビングでも卓越した才能を発揮している。
15歳のとき、バレリーナを夢見てロンドンのロイヤル・バレエ・スクールに入学。ところが卒業試験の準備に取り掛かり、休暇を利用して両親の家に戻っている間に、母親が彼女に内緒でミス・マレーシア・コンテストに応募してしまう。2023年2月3日に「グラハム・ノートン・ショー」に出演した際、彼女は「母親を黙らせる」ためにコンテストへの参加を承諾したと語っている。運命の悪戯というべきか、彼女は見事、ミス・マレーシアに選ばれる。
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億万長者の妻。
ひとつのことがまた別の出来事を招き寄せる。ミス・マレーシアは大手デパート数社を所有する香港の億万長者ディクソン・プーンの目に留まる。1984年に彼はギ・ラロッシュの腕時計の広告でのデビューを彼女に提案。共演者は武術界のスター、ジャッキー・チェンだ。やがてジャッキーの女性版と呼ばれるようになる彼女は、この広告出演で大成功を収め、プーンは彼女に自身が経営する映画プロダクションD&Bフィルムズと契約を結ばせる。
キャリアがスタートした。デビューはアクション映画。より“バンカブル”なミシェル・カンという芸名のもと、彼女は武術で卓越した腕前を発揮する。撮影現場で初めて学んだ武術に彼女は熱中した。かつて受けたバレエ教育も役に立ち、カンフー、太極拳、テコンドーをマスターすると、敏捷さと自らスタントを行うほどの身体能力の高さで注目されるように。
1987年、28歳で彼女はディクソン・プーンと結婚、同時に女優引退を決意する。2022年3月にオンラインマガジン「バサル」のインタビューで、当時は家庭を築くことを夢見ていたと語っている。自分はマルチタスクが苦手だから、夢とキャリアを両立できるとは思えなかった、と。しかし、やがて子どもが産めないことがわかり、結局、それが主な原因となって、夫婦は離婚に至る。
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アジア映画界で最も稼ぐ女優。
プーンと離婚すると、ミシェルはすぐに女優業に復活。このときから本名を名乗るようになる。映画監督のスタンリー・トンから彼の初期作品である『ポリス・ストーリー/香港国際警察 3』(1992年)への出演をオファーされる。彼女はデビューの頃に、当時、スタントマンをしていたトン監督に出会っている。ジャッキー・チェンと共演したこの作品は大ヒットを博し、彼女を国際的スターの地位に押し上げた。
その5年後には『007 トゥモロー・ネバー・ダイ』(1997年)でボンドガールを務め、ピアース・ブロスナンと共演。ハリウッドデビューを果たし、地位を確立した。
ジャッキー・チェンやジェット・リーをはじめとするカンフー映画の大スターたちとの共演を重ね、このジャンルで最も有名な女優のひとりになった彼女は、2000年に公開された『グリーン・デスティニー』でも、壁の上で宙返りをし、剣を誰よりもたくみに操り、華麗なアクションを見せている。アン・リー監督による本作はアカデミー賞で4部門、ゴールデングローブ賞では2部門で受賞を果たし、いまではカンフー映画の名作と呼ばれている。この成功でミシェルはアジア映画界で最も稼ぐ女優となった。
『イップ・マン外伝 マスターZ』(2018年)では最強の女ボスを演じ、華麗なカンフーを披露。
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さまざまなジャンルの映画を求めて。
『グリーン・デスティニー』に出演するために標準中国語を学んだ。自分が出演する作品に全身全霊を捧げる彼女は、つねに新しい可能性を追求している。やがて映画のプロデュースにも挑戦する。初プロデュース作の『三蔵法師の秘宝』では自ら主演も務めたが、評価は芳しくなかった。
そこで、女優ミシェル・ヨーは方向転換を図り、ロブ・マーシャル監督作『SAYURI』(2005年)のような、より劇的な役柄に挑戦してゆく。
ミャンマーの政治家アウン・サン・スーチーの生涯を描いたリュック・ベッソン監督作『The Lady アウンサンスーチー 引き裂かれた愛』(2011年)では、それまで見せたことのない、心のひだを表現する繊細な演技を披露した。
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ジャン・トッドとフルスピードで駆け抜ける。
この間に彼女は完璧な愛を紡いでいる。2004年にミシェルは、フェラーリのディレクターに任命されたばかりのフランス人ジャン・トッドと出会う。2022年11月に週刊誌「ヴォワシ」のインタビューに応じたジャンは、出会った瞬間に一目惚れだったと打ち明けている。女優にSMSを送ろうとしたが、どうしたらいいかわからなかったので、友人のミハエル・シューマッハに手助けを求めたという。
このメッセージは女優の心をがっしり掴んだようだ。以後、幸せそのものという様子で、多くのイベントやパーティーに揃って出席している。昨年8月に雑誌「タウン&カントリー」の記者がミシェルにどこに住んでいるのかと尋ねると、彼女は「ジャンのいるところ!」と答えていた。
2023年1月24日、パリのレストランを出るミシェル・ヨーとジャン・トッド。photography: Abaca
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『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』革命。
2000年代に入ると、マイナーなアクション映画への出演や、アニメの吹き替え(『カンフー・パンダ 2』)を担当することはあっても、残念ながら、重要な役どころに巡り合う機会は少なくなっていた。
しかし2018年に公開されたラブコメ映画『クレイジー・リッチ!』の撮影が終了する頃、彼女のもとにダニエル・クワン&ダニエル・シャイナート監督から『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』のシナリオが届く。
忘れられかけていた女優が手にした、40年のキャリアで初の主役。彼女が演じるのは、家族の問題や仕事に追われて爆発寸前の女性だ。そんな彼女がパラレルワールドにアクセスする方法を見つけてしまう。ミシェルは本作で、武術の腕前だけでなく演技の幅においても、豊かな才能を開花させている。
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ステレオタイプの重荷。
本作での彼女の演技は高く評価され、去る2月27日に行われた全米映画俳優組合賞では最優秀主演女優賞を獲得。アジア人女性で初の同賞受賞者となった。彼女はこの象徴的な瞬間を「私のようなすべての少女」に捧げると語った。
スピーチから、キャリアの過程で彼女がさまざまな困難に遭遇してきたことが伝わる。事実、週刊誌「ピープル」に1週間前に掲載されたインタビューのなかで、彼女は『007 トゥモロー・ネバー・ダイ』の公開後、2年間、仕事を中断したと語っている。ステレオタイプな役柄を断ったり、ハリウッド特有の人種差別に耐えることに疲れ果てたのだという。
「映画産業の人たちは、私が中国人なのか、日本人なのか、韓国人なのかも言えなかったし、私が英語を話せるかどうかさえ知らなかった。私に話しかけるときは、とてもゆっくりと、大きな声で話すのです」と彼女は明かしている。
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』の主人公を演じることは、こうしたステレオタイプを破壊するひとつの手段でもあった。やはり主演女優賞を受賞したゴールデン・グローブ賞授賞式でのスピーチで、彼女はこの賞は自分にとって「贈り物」だと語っている。そして、その勝利を今度はハリウッドの年齢や性差別の問題に切り込むためのチャンスと捉え、次のように語った。
「ここにいるすべての女性たちは理解してします。月日が経ち、年月が経つにつれ、チャンスが減って行くことを」
60歳のミシェル・ヨーは、私たちはいつだってスーパー・ヒロインを演じられることを証明して見せた。世界中の俳優たちが狙うオスカー像を手にし、彼女は新たなスーパーパワーを獲得した。
text: Zoé Grandjacques (madame.lefigaro.fr)