ディオールを30年間率いたデザイナー、マルク・ボアン氏が死去。
Culture 2023.09.12
1957年、クリスチャン・ディオール氏が亡くなった後、1960年からそのポジションを引き継ぎ、その後30年間にわたりメゾンに貢献したマルク・ボアン氏が9月6日死去した。享年97歳だった。
非常に謙虚な人物として知られたパリ生まれのデザイナー、マルク・ボアン氏。photography:Rex/Aflo
彼の名前は、モンテーニュ通りにあるメゾン ディオールとは切っても切れない関係にある。デザイナーのマルク・ボアン氏は、ディオールのアートディレクターとして約30年(1960年から1988年:ラグジュアリーブランドの中で類を見ない長寿記録)にわたり活躍し、9月6日に97歳で亡くなった。この悲報は、LVMH傘下のブランドであるディオールが8日に発表した。
完璧なカット技術と優れたプロポーションセンスで、創業者の精神を受け継いだディオールを創り上げたマルク・ボアン氏は、女性向けプレタポルテ「ミス ディオール」、子ども向け「ベビー ディオール」、そして男性向け「ディオール ムッシュ」などの新しい商品ラインの発売で新たな顧客層を開拓した。
ジャンフランコ・フェレとジョン・ガリアーノという非常に華やかな後継者の存在によって、マルク・ボアン氏の個性は影を潜めていった。しかし彼のクリエイションはディオールの現クリエイティブ・ディレクターであるマリア・グラツィア・キウリのビジョンの中で生き続け、彼が60年代のファッションに影響を与えたことを示す要素を散りばめている。インドで発表された2022年春夏コレクションや2023年秋コレクションのソリッドカラーは、マルク・ボアン氏にインスパイアされている。
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運命のいたずら、ディオール
1926年8月22日、パリに生まれたマルク・ボアン氏は、帽子職人であった母親の勧めもあり、幼い頃からデザインとファッションへの情熱を育んだ。その後、ジャン・パトゥやロベール・ピゲのもとで働き始め、1953年に自身のメゾンを設立したが、ジョルジュ5世通りにあった彼のメゾンは、財政難のため1年しか営業できなかった。しかし、運命が彼のドアをノックした。創設からわずか10年後、その名を冠したデザイナー、クリスチャン・ディオールが1957年10月24日モンテカティーニで心臓発作のため亡くなったのだ。マルク・ボアン氏は、当時ディオールを所有していたブサック社から連絡を受け、ロンドン支社でクリエイティブ・ディレクターとして入社。コレクションの制作を担当することになった。1960年、徴兵のため2代目クチュリエであるイブ・サンローラン氏がメゾンを去ると、その後継者として抜擢される。彼の初の公式コレクションとなった1961年春夏コレクション「スリムルック」は、スカートを短くし、テーラードスタイルが主流となるなど、自由なスタイルの女性を賛美し、このコレクションは大成功を収めた。
マルク・ボアン氏は、作家のフランソワーズ・サガンや画家のニキ・ド・サンファルとも親交があった。その他の主な顧客には、ウィンザー公爵夫人のウォリス・シンプソンや、1967年イランのモハンマド・レザー・シャー・パフラヴィーの戴冠式のために衣装を提供したイラン王妃ファラー・パフラヴィーも含まれる。彼のスタイルは元アメリカ大統領夫人ジャッキー・ケネディをも魅了し、彼女は専属クチュリエのオレグ・カッシーニにディオールのデザインをコピーして作るよう依頼した。
1989年に退社すると、ロンドンのファッションハウス、ノーマン・ハートネルのアーティスティックディレクターに就任し、1992年まで務めた。彼はオペラと演劇の熱狂的なファンであり、ルキノ・ヴィスコンティとのコラボレーションを筆頭に、数多くの舞台衣装をデザインした。1983年と1988年の2度にわたり、クチュリエとして最高の栄誉である「デ・ドール賞」を受賞している。
text: AFP agence et Mitia Bernetel (madame.lefigaro.fr) translation: Hanae Yamaguchi