ナオミ・キャンベル、93年のショーで転倒してしまった事件を振り返る!
Culture 2023.09.14
1993年3月17日、パリで22歳のモデル、ナオミ・キャンベルがショーの最中に倒れた。この出来事は予想外の影響をもたらした。その転倒の背後にあった要因を探ってみよう。
ロンドン自然史博物館で行われた1994年春夏コレクションでのヴィヴィアン・ウエストウッドとナオミ・キャンベル。(ロンドン、1993年10月19日)photography: Getty
1993年3月17日、デザイナーのヴィヴィアン・ウエストウッドは自身の信念を公にした。彼女は若い頃、安全ピンを駆使して社会的な規範や権威に反抗することに情熱を注いだが、その後、パンクを離れ、母国イギリスの豊かなテキスタイル文化を守ることに専念した。
タータンチェックを旗印に、彼女はパリ・ファッションウィークでショーを行い、イギリスで英国のクラフトマンシップの旗を掲げた。そして、彼女の最新のマニフェストを具現化するため、知名度の高いモデルたちが最もふさわしかった。1993-1994年秋冬コレクションでは、クリスティ・ターリントン、シンディ・クロフォード、リンダ・エヴァンジェリスタ、ナオミ・キャンベルといった、切っても切れない“スーパーモデル”たちを起用した。この人選により、このショーは事実上メディアに取り上げられることになった。そして、ナオミ・キャンベルがランウェイで転倒したとき、このショーは歴史に残ることになった。
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好意的に捉えられた失敗
9月20日からApple +で放送されたドキュメンタリーシリーズ「ザ・スーパーモデル」がこのエピソードを振り返る。ヴィヴィアン・ウエストウッド(2022年12月29日に死去)は、手でモデルの転倒を真似しながら、「何が起こったかというと、ナオミはゴム製のストッキングを履いていて、足が詰まり、そして......」とスクリーンで振り返った。その光景はカメラに捉えられた:若いナオミ・キャンベルはよろけ、タータン柄のスカート、フーシャピンクのボア、そして非常に高いプラットフォームヒール(23cmの高さ)を履いたまま、地面に倒れた。これらのハイヒールは、モデルの転倒に明らかに影響を与えたことは疑いの余地がない。ナオミ・キャンベルは恥ずかしさを隠すために一時的に顔を覆い、そして笑い声を上げながら一礼し、フロントローからの拍手の中で立ち上がった。床にピンクのボアの一部を残したが、彼女は自信を失わなかった。
23センチ。これは、ナオミがヴィヴィアン・ウエストウッドのショーで転倒したときに履いていた靴の高さである。photography: Alamy Stock Photo / Abaca
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衝撃的な宣伝効果
「恥ずかしく思いましたし、トレーニングすべきだったと自分に言い聞かせました」と、2019年にイギリス版雑誌「ヴォーグ」によるナオミ・キャンベルとヴィヴィアン・ウエストウッドの対談インタビューで、ナオミは振り返った。彼女たちは、その後の出来事についても語った。バックステージで、デザイナーのヴィヴィアン・ウェストウッドはナオミにランウェイの2周目の安全を確保するためにステッキを提案した。
その出来事から27年後、この対談インタビューは、“スーパーモデル”のナオミ・キャンベルがヴィヴィアン・ウェストウッドに、当時、この事件がデザイナーにとって不利なものであったかどうかを尋ねる機会にもなった。このファッションショーは、当時、イギリスのファッション業界の組織や団体からあまり支持されていなかったデザイナー、ヴィヴィアン・ウェストウッドにとって特別な意味をもたらした。結局のところ、両者にとっても悪影響はなく、むしろ、逆の結果となったのである。
実際、この転倒事件のメディアへのインパクトは、他者にも影響を与えるほどだった。
「あなたには言わなかったけど、その直後、名前はふせますが、何人かのデザイナーから、彼らのランウェイでも転ばないかって誘われたの(...)宣伝のためにね!」と「ザ・スーパーモデル」シリーズの第3話で紹介されたインタビュー映像の中、ナオミは驚いた様子で語った。翌シーズン、ヴィヴィアン・ウエストウッドは再びナオミ・キャンベルをランウェイに登場させた。
ナオミは頼まれて転ぶことは拒んだが、その強烈なイメージを活用して、上手く名声を築いた。彼女の靴は何度も展示され、グーグルによってデジタル化されたヴィクトリア&アルバート博物館のコレクションにも登場している。2020年には、ナオミ・キャンベル自身がInstagramに転倒した際の写真を投稿し、ネルソン・マンデラの言葉「私の成功たちによって私を判断するな、何回私は転び、再び元に戻ったかによって、私を判断しろ」を添えた。マントラとなった失態のエピローグである。
text: Mitia Bernetel (madame.lefigaro.fr) translation: Hanae Yamaguchi