ダイアナ妃と息子ドディの死を悔やみつづけた、モハメド・アルファイドが死去。

Culture 2023.09.16

ジャーナリストのアンドリュー・ニールが「デイリー・メール」紙に語ったところによると、エジプト生まれの大富豪モハメド・アルファイドは、息子のドディとダイアナ妃が事故死したのは自分のせいだと常々自責の念にかられていたそうだ。

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大富豪のモハメド・アルファイド。(ミラノ、2011年10月28日)photography: Getty Images

9月1日、ダイアナ妃の最後の恋人、ドディ・アルファイドの父親のモハメド・アルファイドが94歳で亡くなった。1997年8月31日、パリのアルマ橋の下で妃と息子が交通事故死した悲劇のことを、モハメド・アルファイドは生涯悔やみつづけた。イギリス王室との関わりは彼にとって災厄でしかなかった。

モハメド・アルファイドは事故直後から、イギリス王室がふたりの死に関与していると固く信じていた。同時に悲劇が起きた責任の一端は自分にもあると感じていた。ジャーナリストのアンドリュー・ニールが2023年9月5日の「デイリー・メール」紙に語ったところによれば、モハメド・アルファイドを取材した際、亡くなる直前に息子と交わした会話のことを語ってくれたそうだ。

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ふたりを行かせてしまった

1997年8月31日の晩、ドディ・アルファイドはリッツ パリの前のヴァンドーム広場にたむろするパパラッチの集団に苛立っていた。父親が1979年に購入したこのホテルでドディはダイアナ妃と一夜を過ごすことにしていた。そこでドディはホテルの裏口からこっそり脱出することを思いついた。ところが身辺警護を担当するボディガードから、自分たちはあんたに雇われているわけじゃない、ホテルを出たいなら雇い主である父親の同意を取ってくれと言われてしまったため、ドディはしぶしぶ、父親に電話をかけた。父親は最初、ホテルが厳重に守られているから心配はないことを伝えてふたりを安心させ、ホテルに留まり、インペリアル・スイートで映画を見ながらくつろぎ、ルームサービスでも利用すればいいと答えた。しかしながらダイアナ妃が不安がっていると食いさがる息子にモハメド・アルファイドはとうとう根負けしてしまった。

「モハメドは、シャンゼリゼ通りの自分のアパルトマンに息子とダイアナ妃がこっそり行くことを許可した。この晩を過ぎるとふたりはしばらく会えない予定で、ダイアナ妃に良い思い出だけを持ち帰ってもらいたいという(モハメドの)思いもあった」とアンドリュー・ニールは言うと話を続けた。目に涙を浮かべながら息子との会話を語り終えるとモハメド・アルファイドは「息子の提案に乗ったことをずっと後悔している。そうしなければまだ生きていただろう、と想いを吐露した」

モハメド・アルファイドは、ふたりの死に責任を感じていた一方で、イギリス王室が事故の裏で糸を引いていることも信じていた。妃が自分の息子と恋仲であることを王室が容認できるわけがない。しかもダイアナ妃はドディの子を妊娠しており、婚約発表の直前だったとも主張していた。この噂はその後、否定されたものの、エジプト出身の実業家がイギリス王室に執拗な恨みを抱いていたことは確かで、2011年、ウィリアム王子(当時)との結婚を控えていたケイト・ミドルトンにこうアドバイスしたほどだ。「結婚をおやめなさい。この一族はあなたを破滅させる!」と。

text: Ségolène Forgar (madame.lefigaro.fr)

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