アラン・ドロンが虐待で同居人を訴えた事件、ドロンの娘がインタビューで真相を語る。
Culture 2023.10.12
アヌーシュカ・ドロンはフランスのテレビ局TF1の番組「Sept à Huit(7から8)」の10月8日放送分に出演し、司会のオードレイ・クレスポ=マラの質問に答えた。
フランスのテレビ番組に出演したアヌーシュカ・ドロン。Instagram @septahuit_off
今夏のフランスを揺るがした一大家族劇、それはアラン・ドロンを巡る泥沼だ。2023年7月5日、アラン・ドロンの子どもたちは父の “同居人”、66歳の日本人女性、ヒロミを “モラル・ハラスメント”、“信書の隠匿”、“動物虐待”で告訴した。ヒロミは9月29日付の「ル・パリジャン」紙でこれは「仕組まれたこと」であり、彼女に危害を加えようとするものであると反論した。すると今度は俳優の長女であるアヌーシュカ・ドロンがテレビ局の独占インタビューに応じた。
32歳のアヌーシュカはこれまで守っていた沈黙を破り、自分の言い分を話すことに決めた。最初に語ったのは、2019年6月の父親の脳卒中についてだった。「それまで父の面倒をよく見ていました」とアヌーシュカは言う。そして「脳卒中で倒れる前は、週に1回昼食か夕食を一緒に食べていました。家によく夕飯を食べに来ていました。脳卒中のときは毎日枕元にいました」と言葉を続けた。ここ数年、父のそばにあまりいてあげられなかったという思いはあるかと質問されたアヌーシュカはこう答えた。「そんなことはありません。ただ、ちょっと用心が足りなかったかなと思います」
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家族は私たち
ヒロミについては「実のところ、脳卒中になる前は父の人生に全く関係のないひとでした」と語っている。これは兄のアントニー・ドロンが告訴以来、複数のメディアに語っていることと一致する。アラン・ドロンの子どもたちはヒロミが単なる「同居人」に過ぎないと主張する一方で、ヒロミ本人は近年、アラン・ドロンと交際していたと断言している。一方、「父が(2019年6月に)手術を受けた際は私とナタリー・ドロン、アントニー、アラン=ファビアン、それに私の姪たちが立ち会いました。私たちは家族としてそこにいました、家族は私たちなのです」とアヌーシュカは言う。
アヌーシュカは、ヒロミが病院にやってきた時のことを覚えている。ヒロミは子どもたちが断ったにもかかわらず、アラン・ドロンに会わせろと食いさがった。「別に彼女がどうこうというわけではなく、私たちにとっては単に、田舎で働いている女性にすぎませんでした。父の個人秘書にさえ父との面会を断ったのです。『今は家族で過ごすので、もっとふさわしい時に来てください』と。つまり、私たちにとってヒロミは父のカノジョなんかでは全くありませんでした! 彼女がクリニックに来たのは父が手術を終えて24時間ほど経った時で、父はまだ集中治療室にいました。私は父の枕元にいました。ヒロミは私の夫のジュリアンを脇に連れて行き、こう言いはじめました。『彼に何かあったらどうしよう。私には何もない。働いていないしお金もない。彼に頼って暮らしていたのだもの。どうすればいいの。いずれにせよ、彼が何もくれないなら、子どもたちも何もくれないなら、訴えてやる』とね」とアヌーシュカはその時のことを振り返った。
この時のヒロミの言葉は今でも彼女の記憶に刻まれている。そして疑問に思わざるをえないと言う。「この女性がカレと呼ぶ人が昏睡状態なのに、この女性はどうしてこんなことを言うのかしら。『どうしよう、私、何もないなら、何も得られないなら、子どもたちを訴えてやる』って。生死をさまよっているカレのことをそんなふうに言うわけ?」
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2件の告訴
アラン・ドロンの子どもたちがヒロミを訴えた最初の告訴状は7月5日に受理された。「モラル・ハラスメント」、「信書の隠匿」、「動物虐待」を告発したもので俳優本人も名を連ねている。ほぼ1カ月後の7月26日、俳優の長男アントニー・ドロンが、「弱者に対する意図的な暴力」、「モラル・ハラスメント」、「弱さにつけこんだ行為」、「弱者の隔離」、そしてアラン・ドロンの愛犬に対する「暴力」を理由に再度告訴を行なった。
俳優の子どもたちによると、ヒロミは、2019年6月に俳優が脳卒中で倒れた後、影響力を行使し始めた。ロワレ地方ドゥーシーにアラン・ドロンが所有する55ヘクタールの地所の自宅に彼女が住みこんで彼の世話をするようになったのはこの頃だった。アラン・ドロンは当初、この同居を喜んでいた。しかしこの2年間で関係は悪化した。ドロンの家族によると、ヒロミはとげとげしい態度をとり、ののしることもあった。とりわけ電話や私信を監視していたという。
text: Léa Mabilon (madame.lefigaro.fr)