芸術家ソフィ・カルに聞く、私の個人目録。

Culture 2023.12.16

パリ名所ピカソ美術館で2024年1月7日まで行われている展覧会は大盛況! 彼女の家が美術館に引っ越したかのようだ。パブロ・ピカソとパリジェンヌのソフィ・カルに繋がりはあるのか――? 本人自ら、個展への偏愛とこだわりについて語った。


ソフィ・カルがパリの人気スポット、ピカソ美術館で個展ですって? 祖母は孫娘ソフィの絵を見て、「我が家にピカソがいる!」と叫んだそうだ。それはピカソ存命中の1960年のこと。20世紀の偉大なアーティスト、死と愛と闘牛に情熱を注いだ芸術家は、73年に遺書も残さずに亡くなり、3000点を超える膨大なコレクションが遺族から国家に寄贈され、パリの観光名所ともなるピカソ美術館は誕生した。

フランス人の子どもなら、誰でもふざけて「ピピカカソソ」と連呼した記憶があるに違いない。フランス語でピピはおしっこ、カカはうんちを意味する、子どもならではの戯れだ。ただし、ピカソ没後50 周年記念事業『ピカソ・セレブレーション1973-2023』に参加した「元子ども」はソフィ・カルだけ。いまや世界的な有名芸術家となったソフィ・カルはピカソのように多作であり勝負師、神経症的なまでの収集マニアだ。陽光降り注ぐ中での死の儀式でもある闘牛や牛を愛する点も、ピカソとソフィの共通事項。目に見えないものや視線というテーマに取り憑かれている点も同じ。ピカソと異なるのは、自分の死、消失、継承にこだわる点だ。展覧会を訪れると、ブラックユーモアに満ちた彼女の追悼記事を見ることになる! さらにソフィ・カルはドゥルオーの競売人に個人資産を査定してもらって目録まで作成し、「相続の総て」と評した。スイスと米・カリフォルニア州のボリナスT区画74番に墓を持ち、母モニークの亡くなる瞬間を撮影し、両親が「適切な時期に亡くなったこと、ふたりとも、アンデッドになったこと」を喜ぶソフィ・カルにとって、この展覧会はけじめのようなもの。ソフィ・カルがアーティストになったのは、がん研究医でアート収集家の父を喜ばせるためだったとも......。

顕示欲が強いフェティシストであるソフィ・カルは、自らを検証し、本展覧会で40年間にわたる全作品で弔い、喪失や不在を昇華させて表現した。ピカソ美術館の地下階を除く全館を彼女の作品で埋め尽くし、ピカソの名前にL(エル=aile(翼))をすべりこませて、「ピカルソ」と署名した。振り切ったハイブリッドな展示は、ピカソ本人による絵画や彫刻作品を「梱包した状態」で展示していて、これらがまるで幽霊のような存在として置かれている。つまり、意図的に、来館者の記憶と想像力、いわば見えない目に訴えかけている。

彼女が自身のコレクションからかけがえのない8点を選び、ここで解説してくれた。

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photography: Jean-Baptiste Mondino

Sophie Calle
ソフィ・カル/アーティスト
1953年、パリ生まれ。15歳より、アクティビストとして中東などで暮らす。88年より「自伝」シリーズの制作を開始。90年代より、テート・ギャラリーやポンピドゥー・センター、ルイジアナ近代美術館など世界各地の有名美術館で個展が開催される。

1. モンディーノによるポートレート。

『Douleur exquise(限局性激痛)』の個展を準備していた時のことだった。長年、私を撮ってきたジャン=バティスト・モンディーノが展覧会のテーマと呼応するポートレートを撮りたがったの。それが、涙を流す私の写真。ある人から、空を見つめる私の表情が、カール・ドライヤー監督の映画『裁かるるジャンヌ』(1928年)の女優ルネ・ファルコネッティを連想させると言われた。不思議なのは、私の作品集『Rachel, Monique...』には、ショートヘアで恍惚とした表情をした母の肖像画があり、それを見ると私はいつもファルコネッティを思い出していたことよ!

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2. リビングを陣取るキリンのモニーク。

キリンはアーティストでもあった私の母のモニークでもあるの。幼い頃から剝製が好きなの。始まりは2頭の牛の頭だった。闘牛が行われている南仏で育って、勇敢な雄牛の頭を保管する伝統に触れたこと。また、家の中の暖炉で死んでいたフクロウを剝製にしたわ。剝製の動物たちに名前を付けたり、ほかの動物や身近な人たちの性格との類似性を探すようになった。いまでもそれが続いている......そこに不健全さは一切ないと個人的には思っている。私にとって剝製とは生き生きとした存在。剝製ごしに友人に挨拶するし、敵となるような人物は剝製のおかげで私の家に足を踏み入れない。2006年に母が亡くなってすぐ、私は母との対話を続けるため、母の象徴として1頭のキリンの剝製を買い、母の名を付けた。なぜキリンなのか――私を見下ろすその眼差しは、母と同じようにメランコリーとアイロニーに満ちているから。このキリンのモニークはこんなに大きくて存在感があるのに、サロンに来る多くのゲストたちにはモニークが目に留まらない。本当に不思議だなあ、と感じている。

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3. 『Infarctus Silencieux(静かな梗塞)』(2017年)

剝製屋で見つけた。角が伸びれば伸びるほどこの牡羊の視界は遮られてしまって、目がどこにあるかすら、よくわからない。これはある種、自虐的な苦痛でもあると思う。ここから、視覚障害者を巡る作品が生まれたの。今回の展覧会で、あるフロアはすべて「視線」をテーマにしている。見えるものと見えないもの、見ずして見るということ、絵画の下に忍ばせた絵画、オブジェの背後に隠された物語......視覚障害者の人々に美のイメージを尋ねたら、ごく自然に答えが返ってきた。特に印象に残っているのは、生まれつき盲目の男性にお礼を伝えようと訪問した時のこと。彼はリビングルームのタイルを制作してほしいと依頼してきた。ほかの人と同じような家にしたいのだそう。実は展覧会の期間中、ピカソの陶器のひとつをオークションに出品し、視覚障害児のための教材作りをしている協会Le Livre de lʼAveugleへ寄付する予定よ。ピカソは生前、視覚障害者の団体から寄付の依頼を受けたものの、結果的には何もしていなかったみたい。だから、私がケリをつけようと思ってるの。

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4. 元闘牛士シモン・カサスからの電報。

私はなんでも取っておく。これもピカソと同じね。あるエピソードを披露するわ、スイス人歌手ステファン・イーチャーと出会った頃のことよ......彼が我が家にスイス名産の牛の干し肉を手土産に訪ねてきた。私は肉を冷蔵庫に放り込んだ。1年後、ステファンは再び私の家を訪れて、「肉はおいしかった?」と聞くわけ。冷蔵庫を開け、未開封のまま残してある肉を見せたのよ、だって、なんでも取っておく私を試すためのプレゼントでしょ? 1992年の私の結婚式で、ニームの闘牛場のディレクター、シモン・カサスが送ってきた電報まで当然保管してある。「不在」「死」に魅了される私の気持ちを尊重してくれるシモンは、私の葬儀には出席すると約束してくれた......。青い電報にはこう書いてあるの、「結婚式に出席できなくて大変残念ですが、お葬式には必ず出席すると約束します。愛しています」。自分の死を私は考える。この展覧会のために私の追悼記事も書いてもらったけれど、半過去形の動詞を目にするのが耐えられなくて、ヘビの剝製の間に隠してしまったわ。私には子どももいないし、息を引き取るまでを撮った母も2006年に亡くなり、父も逝ってしまった。だから、今回の個展は新たなステージとして、私の財産、作品、そして未完のプロジェクトにいたるまで、目録を作成したの。まるで身辺整理をするようなつもりでね。

※この2点の電報はソフィ・カルの結婚式の招待をシモン・カサスが辞退するという内容で、かえってふたりの仲が良いことがわかる。デビュー当初からソフィ・カルは自分の人生を創作の素材として使ってきた。友人たちからの手紙を含めて「何もかも取っておく」彼女の性格が展示物に大いに役立った。

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5. 7歳のソフィ・カルの肖像。

子どもの頃、よく変装していた。この写真は7歳か8歳の頃、ニースのロザ・ボヌール通りにあった祖父母のアパルトマンのテラスで撮ったもの。祖父母は私を無条件に愛してくれ、それがある種の自信に繋がった。ピカソ美術館での個展の話が来た時、巨匠と対峙し、巨匠の場所に収まることに恐怖を覚えた。インポスター症候群かな? そして、母の言葉を思い出した。ニューヨーク近代美術館(MoMA)でホッパーとマグリットの間に私の作品が展示されているのを見て、母は思わず、「Tu les as bien eus(!うまくまるめこんだじゃない!)」と叫んだ、1991年のことよ。褒めてもらっているようで、ペテン師と言われているような台詞......。写真と台詞の組み合わせは、今回の展覧会でちょっと虚勢を張っている私の立場をうまく表している。母がいたら、耳元で囁いたかもしれない。「なんであんたが?」と。母は私の成功をとても喜んでくれていたのに、私がやっていることはさっぱり理解していなかった。展覧会の最初に展示したこの写真は、力量が足りないかもしれないという私自身の恐怖を表しているの。この写真の横には、子どもの頃に描いた最初のデッサンを展示した。父が大切に保管してくれていて、消えかけていたキャプションを書き写してくれた。こうして父は、私がその後向かった写真とテキストの有効性を認めてくれた。つまり、このマトリックスは、父の行動がアイデアの軸になったの。

※本展覧会のポスターにもこちらの写真が用いられ、トリコロールの彩色が施されている。

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6. 「あなたがキスを売るのなら、私は喜んで買いましょう」

お皿の上で語られているこの言葉は、私のものではないわ。覚えている限り、私はキスを売り買いしたことなんてないもの。意味もなく、興味もないものを買うことだってある。この皿は蚤の市で見つけて......このフレーズが気に入ったか、爆笑したか! だって私の家にあるものはすべて、競売人の言を借りれば「明細目録に値する」らしくて、取るに足らないものから重要なものまでドゥルオーの競売人がリスト化し、鑑定され、ひとつのカタログにまとめて、ここに展示されたの。だからいま、家は空っぽ。いつでも誰かに相続できる。とりあえず展覧会の期間中、私が泊まれるところを探さないと......。

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7. ソフィ・カルの書斎。

テーブルの上に置かれているのは、ドゥルオーの鑑定が済んで展示される予定の品々。まず代々のカメラ。祖父のカメラ、父のローライフレックス、そして私が初めて手にしたライカ。その後は携帯に乗り換えてしまったけれど。父が撮った14歳の頃の私のポートレートもある。この写真を1984年、作家のエルヴェ・ギベールに貸した。彼はル・モンド紙に私の記事を書きたがっていた。その時の私はまだ出始めのアーティストで、母から「もしかしてあの記者と寝たの?」と聞かれたわ。そして、エルヴェは写真をなくしてしまった。これは1枚しかなくて大切にしていたものだったので、私は怒り狂った......。その後、数カ月間日本に滞在していた時、エルヴェが東京へわざわざ写真を届けにやってきたの! こうして彼との友情が始まった......。テーブルの上にはアフリカのガボンの仮面も。母から受け継いだものよ。母は私よりもさらにモノにこだわらない人だった。この仮面は割と高価なものなのに、ヒーターの上に20年間放置されたせいで、片方のまぶたが取れちゃったのよ。

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8. ギャラリストのペロタンの象徴のオオカミ。

オオカミの剝製は2体持っている。私にとっては白いオオカミが父を象徴している。展覧会ではエントランスの私の慰霊碑の上に載せてある。こちらのオオカミは、私のギャラリストであるエマニュエル・ペロタンの象徴。彼が私の家でこの剝製を見て、もう誰か友人を割り当てたか?と聞いてきた。幸い、うちにやってきたばかりでまだだったのよ......。1995年のパフォーマンスで彼のアーティストのひとり、マウリツィオ・カテランがエマニュエルをウサギに見立てたことがある(『Errotin, le Vrai Lapin( エロタン、ホントのウサギ)』)。私としてはエマニュエルをウサギにはイメージし難いけど、オオカミならいいかも? そもそも本人が、自ら群れをなして生きるこの肉食動物に割り当てられることを望んだんだから。ただし、この写真でオオカミを抱きしめているけど、私たちの関係を表してるわけじゃないわよ。私たちは、こういう関係ではないの。

『À Toi de Faire, Ma Mignonne』
開催中~2024/1/7
Musée National Picasso-Paris 5, rue de Thorigny 75003
tel:01-85-56-00-36
Ⓜ︎SAINT-SÉBASTIEN-FROISSART
開)10:30~18:00(火~金) 9:30~18:00(土、日、パリの学校休暇期間中)
休)月、12/25、1/1
料)一般14ユーロ
www.museepicassoparis.fr

 【合わせて読みたい】
ソフィ・カルのユニークな発想で、ピカソ没後50年展。

text: Elisabeth Quin(Madame Figaro)

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