ウィリアム王子の初めての彼女、カーリー・マッシー・バーチとは?
Culture 2023.12.22
Netflixで12月14日(木)に配信開始する「ザ・クラウン」シーズン6の第7話では、大学生になったウィリアム王子(当時)がローラという女性と恋に落ち、つきあいはじめる。現実ではカーリーという名前だった。
「Waity Katie(待ちぼうけケイティ)」の前には「Bumpkin Carly(田舎者カーリー)」がいた。セント・アンドリュース大学に入学してすぐ、ウィリアム王子はカーリー・マッシー・バーチと短期間つきあっている。12月14日にNetflixで配信開始する「ザ・クラウン」シーズン6の第7話では、ローラ・エアデール・キャベンディッシュ・キンケイドという名前で登場する予定だ。英「デイリーメール」紙によれば、実際のカーリーは 「親が農家をやっていて、背が高くてかわいい、ボヘミアンスタイルの娘」で、「一年生のなかで最も可愛いビリ」の愛称を同級生からもらっていた。英語とクリエイティブ・ライティングを専攻するカーリーがウィリアム王子と出会ったのは2001年のこと。セント・アンドリュース大学に入学した王子がJ.D.サリンジャーの戯曲『フラニーとズーイ』の舞台オーディションを受けたのがきっかけだった。デヴォン州出身のカーリーは当時、演劇に傾倒していた。
私は田舎者
ウィリアム王子はすぐにカーリーにほれこみ、カーリーの作るおいしいパスタ料理でキャンドルライトのディナーを楽しむ間柄になった。「ウィリアムは彼女に夢中だった。それはとても理解できる」と、友人の一人はデイリーメール紙に語っている。2010年、カーリー・マッシー=バーチは、王室記者のケイティ・ニコルに当時のことを語り、ケイティ・ニコルは著書『William and Harry』にカーリーの言葉をそのまま載せている。「私は本当に田舎者なの。だから話が合ったのかもしれない。大学生の淡い恋よ」と。しかし他の学生からは羨望のまなざしで見られた。「彼女は憧れの的で、セント・アンドリュースの女の子たちはみんな、ウィリアムとつきあっている彼女に嫉妬していた」と、カーリーの友人がデイリーメール紙に語っている。
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アラベラ事件
一方、ケイト・ミドルトンは当時、ルパート・フィンチという学生とつきあっていた。ウィリアム王子はケイト・ミドルトンとだんだん親しくなっていたが、ウィリアム王子とカーリーの関係を危うくしたのは別な女性だった。彼女の名前はアラベラ・マスグレイブ、サイレンセスターのポロクラブの支配人の娘だ。2001年夏、アラベラと恋に落ちたウィリアム王子は同年11月の「レーズン・ウィークエンド」のお祭りの際、カーリーに別れを告げたと言われている。「レーズン・ウィークエンド」のお祭りとは、学生たちが派手な衣装に身を包み、シェービングクリームで競いあう、大学の伝統行事だ。
危険なゲーム
アラベラはセント・アンドリュースの学生ではなかったため、ウィリアム王子は大学を辞めることも考えた。思いとどまるように説得したのはケイト・ミドルトンだった。一方、カーリーは怒り心頭に発していた。王室記者ケイティ・ニコルは著書『The Making of a Royal Romance』(2011年)で、カーリーがウィリアム王子に仕返しをした晩のことを書いている。その晩は、ケイト・ミドルトン、ウィリアム王子、カーリーが他の学生たちと一緒にいた。カーリーはまだウィリアム王子の正式なガールフレンドと思われていた。いつのまにか、「自分がしたことのないこと」を言いあう「Never Have I Ever」ゲームが始まった。ケイティ・ニコルの本によれば、「カーリーの番になったとき、彼女は、自分はこの部屋にいるひとの2人以上とデートしたことはないと言った。カーリーは、ウィリアム王子だけがそうしていることを知っていた。そしてケイトが彼の横に座っていることも意識していた。ウィリアム王子はカーリーに怒りの目を向けると『君がそんなことを言うなんて信じられない』とささやいた」
当時、ウィリアム王子とカーリー・マッシー・バーチが別れたことも、ルパート・フィンチと別れたばかりのケイト・ミドルトンとつきあいはじめたことも、公になっていなかった。「ショックだったわ。ふたりがつきあっているのかなと薄々感じていたけれど、ウィリアムがケイトとつきあっていることをみんなの前で認めたのは初めてだったから」とその場で目撃していたひとりが後にケイティ・ニコルに語っている。その夜以降、ケイト・ミドルトンはカーリー・マッシー・バーチを毛嫌いするようになったと言われている。王室記者のケイティ・ニコルによれば、ウィリアム王子がカーリーと以前つきあっていたことさえケイト・ミドルトンには「我慢ならなかった」。カーリーが彼の近くに住んでいることも腹立たしかった。「大学3年のとき、カーリーは通りを隔てた向かいに住んでいた。リビングの窓で編み物をしながら王子に手を振ることもでき、それはケイト・ミドルトンをいらだたせた」とケイティ・ニコルの本にはある。
カーリーの両親は、カーリーとケイトの間に確執などないと主張しているが、2人が再び口をきくことはなかったそうだ。大学卒業後、カーリーはロンドンに住み、いくつかの芝居に出演した。BBCラジオ4で放送されたものもあったが、女優活動はうまくいかず、最終的には断念した。デイリーメール紙によれば、その後、船乗りの男性と南フランスに「去った」という。ケイト・ミドルトンの元ボーイフレンドのルパート・フィンチが、2011年のロイヤルウェディングにも招かれたのに比べ、だいぶ異なる運命だ。ルパート・フィンチも「ザ・クラウン」で描かれる。
text: Chloé Friedmann (madame.lefigaro.fr)