甫木元空に聞く、『窓外 1991-2021』の狙い。 記録写真を「動く映画」にするまで。
Culture 2023.12.29
映画監督、バンドBialystocksのボーカリスト、また小説家としても活躍する甫木元空の展覧会『窓外 1991-2021』が高知県立美術館にて開催されている。ジャンルや年齢を問わず、学芸員が推薦した高知ゆかりの作家を紹介する高知県立美術館のARTIST FOCUS第4弾として選出され、映画『終わりのない歌』『はだかのゆめ』、あるいは「はだかのゆめ」という歌や小説で描かれてきた自身の家族の変遷を題材に、在りし日の母の日常風景を撮りためた写真と映像インスタレーションによる3部構成となっている。
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2023年12月16日の展覧会初日の甫木元に一日、密着取材。アーティストトークでの言葉も含め、今回の展覧会で目指したという、最愛の人の死と別れを窓外から覗き込むように記録し、「一枚一枚の記録写真が最終的に"動く映画"として見えるように」と構成した展覧会の狙いについて聞いた。
展覧会初日に行ったアーティストークで、作品解説をする甫木元空。
高知県所縁の作家を紹介する高知県立美術館「ARTIST FOCUS」に選出されて。
甫木元空は多摩美術大学映像演劇学科在学中に、舞台演出家だった父の死を体験。卒業制作として、父が遺した自身の幼少期のホームビデオと成長した自分と弟の日常劇を組み合わせたセミドキュメント『終わりのない歌』(2014)を発表した。今作は第26回東京学生映画祭で準グランプリを受賞し、国内外の映画祭で上映された。16年には大学時代、担当教授だった青山真治監督のプロデュースで初長編『はるねこ』を発表。母の余命宣告を受け、翌17年に生まれ育った埼玉から、祖父と母の暮らす高知・四万十川流域に移住した。以降、高知をベースに高知県立美術館との関係性を築き上げてきた。ARTIST FOCUS#04として甫木元をキュレーションした学芸員の塚本麻莉は選出の理由についてこう説明する。
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「2020年の高知県立美術館の企画展『収集 → 保存 あつめてのこす』がコロナ禍での緊急事態宣言を受け、開催中に休館になったことから、急遽、展覧会の内容を紹介する動画製作をすることとなり、高知に移住していた甫木元さんに声をかけたことが関係の始まりとなります。この動画が美術館業界で好評で、同じ20年の『ARTIST FOCUS #01竹﨑和征』展で、画家の竹﨑さんの制作風景の撮影を甫木元さんに依頼しました。12月に高知県自由民権記念館民権ホールで甫木元さんの映画『その次の季節 高知県被曝者の肖像、遠洋漁業の記憶 2020』を観て、この映画をインスタレーション展開ができないかと考え、須崎市のすさきまちかどギャラリー/旧三浦邸で21年6月に『甫木元空個展 その次の季節』の開催にいたりました。『その次の季節』展は、1954年にアメリカがマーシャル諸島ビキニ環礁で水爆実験した折、高知から遠洋していたマグロ漁師の方々が放射性降下物によって被曝した体験と、その後の人生について甫木元さんがインタビューしたドキュメンタリーを展示したもの。旧三浦邸の障子をスクリーンに見立て、インタビュー映像を後方からプロジェクターで映し、さらに違う障子の隙間から覗き込むように観るという多重視点を生かした構造になっていて、今回の『窓外 1991-2021』展のコンセプトである❝窓の外から見た風景❞の源泉にもなっています。
『その次の季節』展が図録として発行された同名書籍とともに評価を得て、力のある作家であり、高知県にゆかりもある作家としてARTIST FOCUSの第4弾として取り上げることとなりました。美術家による映像インスタレーションはよくありますが、映画監督による写真展および映像インスタレーションがどういうものになるのか、いい意味で予測できず、期待を込めての選出となりました」(塚本)
ARTIST FOCUSの図録。2020年から始まったジャンル、性別、年令を問わず、高知にゆかりのある作家を個展形式で紹介するシリーズ。第1弾は画家の竹﨑和征「雨が降って晴れた日」。甫木元とは、バンドBialystocksのアルバムジャケットや小説『はだかのゆめ』の表紙の絵でコラボレーションが続く。第2弾は高知県田野町出身の作家、平川恒太の個展『Cemetery 祈りのケイショウ』。第3弾は22年、高知県南国市在住の写真家、角田和夫の個展『土佐深夜日記--うつせみ』
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甫木元は『はるねこ』上映の音楽イベントをきっかけに結成したバンド、Bialystocksで22年11月にOfficial髭男dismやKroiを擁するレーベルIrori Recordからメジャーデビュー。同時期に映画『はだかのゆめ』を発表し、以降、映画と音楽のジャンルを行き来し、加速度的に活動の範囲を広げてきた。23年には菅田将暉の「ユアーズ」のミュージックビデオをディレクションし、最近ではドラマ「きのう何食べた?」のエンディングテーマ「幸せのまわり道」で多くの人の耳に菊池剛とのサウンドが届いている。全国ツアーのチケットは即完売し、10月には映画とは違う内容で小説『はだかのゆめ』を新潮社から発行。忙しさの合間を縫って、越後妻有MonET 連続企画展Vol.3竹﨑和征+西村有『続・並行小舟唄 翠のうつわ』での制作風景の動画を手がけるなど、アートとの関係は途切れることなく続いている。
「映画がベースになっているのは確かだけれど、音楽、小説と身体的な感覚が全方位で展開していて、ジャンルを区切らず、同時に発散させていく力が強い。そこに作家性を感じる」とは塚本の甫木元評である。
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本業の写真家じゃないからこそ、被写体への純粋な興味が全面に出るんじゃないか。
甫木元はARTIST FOCUS#4のオファーを受け、3つの企画案を出したと言う。
「この企画は制作上での縛りや制限がないのですが、高知をベースにする自分がやるからには高知と関連した題材がいいだろうと考え、ひとつはかねてから深い興味を持っていた高知県からの移住者が多いブラジル移民についての企画を考えました。ふたつ目は、自分が取材し、映像で記録してきた高知のマグロ漁業者の水爆実験による被曝についての展覧会。3つ目が映画、歌、小説と、ジャンルと内容を変えて『はだかのゆめ』として発表してきた自分の家族に起きた死と別れ。高知に移り住んでから第二次世界大戦中、高知県大正村(現・四万十町)の津賀ダム建設に動員され、犠牲となった朝鮮人労働者の存在を知り、そこにも興味があったのですが、20年にコロナ禍となり、ブラジルへの渡航や高齢の方々に直に会っての取材が物理的に困難になり、塚本さんからのアドバイスもあって家族を題材にした構成になりました。自分としてはいちばん、意外な題材に落ち着いたなという感想でしたね」(甫木元)
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製作で刺激を受けた、
ふたりの「ようこ」を記録した私写真。
甫木元空〈窓外〉より(2023年)
展覧会の構成を考えるにあたって意識したのは、当初、誰かに見せることを想定せずに記録された写真のあり方を生かすことだったという。
「1959年と1966年と2度、沖縄を訪れた時の岡本太郎の写真が昔からすごく好きです。本業の写真家じゃないからこそ、シャッターを押す瞬間に抱いていたんであろう、彼の純粋な興味が写真として切り取られて残っている良さがあります。要は、考えずに量を使って撮っちゃったからこそ出てくるものがあるんじゃないかと。
同時に頭の中にあったのは、同じように記録写真としての側面から、荒木経惟さんの写真集『センチメンタルな旅』と、23年に東京都写真美術館で鑑賞した『深瀬昌久1961-1991 レトロスペクティブ』でした。『センチメンタルな旅』は僕がいまさら説明するまでもなく、妻の陽子さんとの結婚からその死まで撮り続けた写真で構成されていますが、陽子さんの死後、荒木さんが彼女の骨壷を抱いて電車の中でうなだれて座っているショットが差し込まれている。これは一体、誰がシャッターを押しているんだろうと僕は思ったわけですが、そういう想定外のものが入り込んでのすべてを『センチメンタルな旅』というタイトルで一括りにすることで、一つひとつの写真が総じて大きな物語となっている。逆に、深瀬さんは妻の洋子さんばかりを撮っていた時代、カラスばかりを撮っていた時代、晩年は浴槽でブクブクしているセルフポートレートばかりを撮るようになって、時代ごとに作風をガラリと変えていった。晩年の『ブクブク』まで、どういう気持ちで辿り着いたのか、見ているほうが写真と同時に、作家自身について思いを馳せる構成になっていて、作者と作品の距離感について参考になりました」(甫木元)
奇しくも荒木が妻・陽子を撮った『センチメンタルな旅』と、深瀬が妻・洋子との新婚時代の写真を集めて初の写真集「遊戯」を出したのは同じ1971年で、この年は日本での「私写真」の始まりの年と言われている。
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オリンパスペンSのハーフサイズカメラで記録した違う素材の写真をモンタージュして物語を編む。
甫木元空〈窓外〉より(2023年)
今回の展覧会で使用したカメラはオリンパスのペンSで写されたもの。35ミリフィルムを半分にして使うハーフサイズカメラで、17年に高知に移住してから母が亡くなるまでの4年間の日常を記録した膨大な量から78点の写真をセレクトし、フィルムからデジタル変換して3部構成とした。
「オリンパスペンSは通常の一巻36枚の倍の72枚撮れるので貧乏カメラとも言われていますが、現像に出した時、写真屋のおじちゃんが、せっかくだからと1コマずつ切り取って渡してくれたことがあったんです。ただ、自分としては撮影した日は違っても偶然一枚のフレームに組み合わさったものを見たほうがおもしろくて。カメラに入れっぱなしだったフィルムが何かのきっかけで感光しちゃったり、巻き上げが十分でなく多重露光してしまったり、偶然性も取り入れて違う写真と写真を組み合わせていくことで、モンタージュでどう見せていくか。たとえば野外にいる母の写真の上に雷雲を、あるいは生まれたばかりの弟の娘と高知の天狗高原のカルストなど、違う要素の写真を組み合わせることでストーリー性を持たせ、同時に写っている風景とは違う意味合いが生まれることを狙いました。高知に移住して1年ぐらい経った頃、突然、大学時代の師である青山真治さんが我が家にやってきて、その時、宮本常一の『土佐源氏』のことを教えてもらい、調べてみると、宮本も記録用の撮影にオリンパスペンSを使っていたという偶然を知って、おもしろくも感じました。ペンSは1枚のフレームに2コマ収まって、その間に1本黒いラインが入るんですけど、その黒みを活かすことで、高知での暮らしを流れに何か欠けた時に生じる喪失や違和感を入れていきたいとの狙いもあります」(甫木元)
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母にカメラを向けることは、母の死を意識する僕の眼差しに気づかせること。
撮影行為にすごい矛盾をはらみながらも、映像として記録することを欲した。
第1部での展示を見た時、外出先から自宅の玄関へと向かう母親の後ろ姿を定点的にとらえたショットが多く、ガンと闘病中の母親を真正面から記録する残酷さに甫木元が自覚していたことを感じて胸を突かれた。第2部の映像インスタレーションでは、いつものように母親の後ろ姿を動画で撮っていたところ、ふいに彼女が振り向いてカメラの存在を意識したことに、まるで動揺するかのように、即座に録画を止めた後の黒みまで流している。母親を真正面から捉えるようになるのは、後に映画『はだかのゆめ』としてフィクション化し、唯野未歩子の肉体と演技が必要であったことがわかる。
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「母親の余命宣告を受けて、高知で祖父と暮らす母のもとに弟と移住したので、はなから母との日常は有限であるという意識がありました。母がいなくなるかもしれないからと記録を始めたんですけど、真正面からカメラを向けて撮影する、カメラを向けるという行為には、その都度、母の死を僕が意識していることを母に突きつけることになる。そういう意味で、この撮影行為はすごい矛盾をはらんでいた。でも、映像を撮るというのは、その時、自分がいちばん欲した行為だったんです。ひとつは、大学在学中に父親がガンで亡くなった時、彼との時間を残すということができなかった後悔がある。母親が高知のこの場所にいたということは、作品にするにしろしないにしろ、残せるものはすべて残しておこうという意識はありました。ただ、時間の経過とともに、母親の身体が徐々に弱っていき、それを撮リ続けたのは忍耐ですね。ずっとそこに居続けたから撮れたものはあるし、息子として撮っているけど視点としては徐々に息子じゃなくなっていった。母親は僕がライトを置いたりしていたので、撮られていることには気づいていたでしょうけど、出来上がった写真は見せていません。
結局、膨大な量の写真を取りましたが、母親を単独で、正面から撮ったのは2カットほどしかない。
どこかのタイミングで当時80代のじいちゃんに、俺はまだ死なないから撮らんでええじゃろと言われて。その言葉によって母親を撮ることへの自分の罪の意識は感じましたし、それが母親に伝わらないように振る舞っていました。母と祖父とツーショットだったら正面から撮れたのですが」(甫木元)
甫木元空〈窓外〉より(2023年)
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窓外(inter face)のタイトルに込められた定点観測の眼差しと、父が遺した子どもたちの知らないふたりだけの聖域。
被写体を傷つけまいとする距離感を意識するにつれて、個展のタイトル『窓外(inter face)』はまさに甫木元らしいと感じる。「家族の生と死の話をダイレクトに提示するのではなく、僕自身が展覧会を観る人とともに、家族の生と死、記録と記憶を窓の外から覗き込むような構成」には、「人の死に直面した悲しみのピークや、落ち込みのボトムをそのまま作品として提示することは、作家として時にひとりよがりの姿勢となり、見る人の感受性を暴力的に傷つけることもある」ことを強く意識し、敢えて避けるようにしようとする作家としてのあり方......。
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一方、甫木元は第2部の映像インスタレーションで、自分が生まれる前の父親が撮影した1991年の母親のホームビデオの映像を用いている。息子の繊細な距離感とは真逆で、父親はぐいぐいと被写体に近づき、間もなく母となる彼女の躍動感をとらえた映像はどれも力強い。パートナーが撮った1991年の母と、息子の撮った2021年の母の映像が四面の映像インスタレーションで交差し、家族の誕生と別れの時が溶け合う。
「僕が生まれる2ヶ月前ぐらいに新しいビデオカメラを買って、それがうれしくて撮っているという父の感覚と、母親の余命宣告を受けて撮り始めた僕の感覚は実はそう遠くないだろうと思うんです。生まれる瞬間を記録する、 死ぬまでの流れをどうにか残す。やっていることや思いは変わらないけど、視点は全然違う。
父と母がお互いにカメラを取り合って、本当に遊び合っている姿を交互で写している映像があったんですけど、手持ちでぶん回しているだけのショットなのに、ちゃんとした構図で切り取られた映像より、ふたりの関係性が明確に写っていると感じました。僕の名前を何にするかを延々と語り合うものも。これは父と母のラブストーリーだと僕は受け取り、要は誰も入り込めない聖域がそこに写っている。だから『終わりのない歌』の時はあまりにも生々しくて使えなかったし、両親のどちらか一方が生きている間は、ちゃんと見ることも難しかった。きちんと向き合ったのは母が亡くなってからです。僕か、弟か、近い間柄の人間だろうけれど、そしていつになるかわからないけれど、誰かこれを見るんだろうと、父が編集点を考えながら写していることに気づいた。それが今回のインスタレーションにも生きています」(甫木元)
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展覧会前夜まで悩んで流すことにした、父の愛したレクイエム。
展覧会の設置が始まる前の12月4日の取材では、今回は記録というものの生々しさを全面に出すために、ミュージシャンである彼があえて無音での構成にすると話していたが、展覧会前日、夜10時まで試行錯誤して、最終的に映像インスタレーションでは父親が当時入れていた音楽を一部流すことに決めたという。
「父はミュージカルの演出家だったので、叙情的でロマンティックなクラシックが大好きで、家ではカラヤンの指揮したマーラーをよく聞いていました。その父が生まれたばかりの僕の顔を接写しているBGMとしてモーリス・ラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』を流していて、なんで子どもの誕生時にレクイエムみたいな曲を入れているんだと思ったんですけど、それが異質だけれど、何かの始まりの予感に思えたんですね。無音の構成だと何かひとつ足りなくて、悩んだ末、試しに父が当時、右手でカメラを回しながら、左手でレコードを流していた音を出してみたら、空間がうまく収まった。自分では選曲しませんが、ま、父親の趣味だからいいか、って決めました(笑)」(甫木元)
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爆音映画祭でセレクトした作品から受けた影響とは?
音楽との関わり合いでいうと、12月17日に甫木元空展関連企画「はだかのまど 甫木元空+前野健太 スペシャルライブ」が開催され、映画『はだかのゆめ』の出演者である前野と、劇中の「ただで太った人生」をデュオで美しく歌うシーンも。アコースティックギターで互いに曲を熱く歌い合った。美術館を音楽で染め上げる試みとしては、24年1月20日(土)と21日(日)、高知県立美術館ホールで開催する「高知ライブエール・プロジェクト 爆音映画祭 IN高知県立美術館」でも。甫木元セレクトによる上映作について一部解説をしてもらった。
「20日に上映する『ロビンソンの庭』(1987)は、僕が『水の声を聞く』(2014年)で助監督についていたときの山本政志監督の監督作であることに加え、町田康さんや、GIZMの横山SAKEVIさんや僕の大好きなJAGATARAのOTOさんや江戸アケミさんが出演しています。特に江戸さんは高知県の出身で、体調を崩された時に四万十川で療養されていたこともあり、思い入れの強いアーティストです。山本監督には現場の閃きを含め、その時の最善を楽しみながら撮るという姿勢において影響を受けています。
21日に上映するドキュメンタリー映画『天竜区奥領家大沢 別所製茶工場』はここ数年でいちばんおもしろかった映画。17年7月に急逝した堀禎一監督が、静岡県の山深い茶畑に通い、茶摘みと製茶の過程を写しただけの構成ですが、作業に従事している方々の動きにとてもリズムがあって、ダンスフィルムを見ているような高揚感と幸福感がある。人の運動の連なりをただ見せるだけで素晴らしい映画になるということを知ったし、そもそもそれはリュミエールがフィルムを回した時の映画づくりの原点でもあるなと。自分も大きな影響を受けていますし、多分、誰が見ても絶対におもしろいです!」(甫木元)
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最後に、この『窓外1991-2021』の展覧会の初日を無事終えての心境を聞いた。
「母が死んだ後、母がいなくなっても風景は変わらずそこにあり、高知に移り住んだ時に定点観測の起点としようと決めた家の前のネムノキも変わらずそこにあったのに、見えてくるもの、クローズアップして見るものが変わった。展覧会の3部に『銀河』というタイトルを付けたのは、同じ風景であっても、見る人の解析度によって見えているものが全然違う。それこそ、銀河に瞬く星の数のように無数のものの見方が存在する。それはとてもよいことではないか、ということから。これでようやく家族の物語を終えられた気がします」(甫木元)
窓外 1991-2021 Sora Hokimoto inter face 1991-2021』
期間:2023年12月16日(土)~2024年2月18日(日)
会場:高知県立美術館(高知県高知市高須353-2)
時間:9:00〜17:00(最終入場16:30)
料金:一般 ¥370、大学生 ¥260、高校生以下無料
https://moak.jp/event/exhibitions/artistfocus_04.html
爆音映画祭
https://moak.jp/event/performing_arts/bakuon-eigasai-kochi.html
甫木元は「窓外」における「窓」という言葉に「こちらとあちら」、「この世とあの世」を隔てる境界のイメージを重ね、「窓の外」に旅立った故人の面影を編み直した。映画監督、ミュージシャン、小説家として各分野から注目される甫木元空の新たなクリエイションを感じる試みだ。期間中の24年1月20日(土)、21 日(日)には「爆音映画祭 IN 高知県立美術館」を開催。ライブ用機材を使って、極上の音響と音量で、「爆音で観るならこれ!」という名作や甫木元推薦の映画などが上映。21日には爆音映画祭のプロデューサーである樋口泰人と甫木元によるトークイベントも実施予定。24年2月3日には担当学芸員によるギャラリートーク(要観覧券)も開催される。
甫木元空 Sora Hokimoto
1992年、埼玉県生まれ、高知県在住。多摩美術大学映像演劇学科卒業。主な監督映画に『はるねこ』(2016年)、『はだかのゆめ』(22年)がある。19年に菊池剛とともにバンドBialystocksを結成。23年には小説家としてもデビューし、新潮社より『はだかのゆめ』を刊行。他著作に、『その次の季節 高知県被曝者の肖像』(this and that、22年)、など。
text: Yuka Kimbara photography: Yumi Yamasaki