雨宮まみが遺した、女性と年齢と人生を考える書。
Culture 2024.02.06
年齢から人生を取り戻そうとする、雨宮まみの傷だらけの軌跡。
『40歳がくる!』
雨宮まみさんの文章はいつも血だらけだなと思っていた。血だらけの自己開示は、私たちの代わりに戦って傷ついて守ってくれているような感覚を読者に与える。自分の心の奥底に潜って、血眼で心を探し当てて、知性で文章に変える。その言葉は本物の重みがあるから、読者の人生に共鳴する。
『40歳がくる!』のまみさんの文章もまさしくそうだ。40歳女性......世間からは「ババア」の三文字でバッサリ切り捨てられる年齢。「ババア」とは「無価値」の三文字と同意義だと思う。それまで散々性的な価値を比較され、たくさん子どもを産むことのプレッシャーをかけられ続け、40歳からは「ババア(無価値)だからケアをして役に立て」とシフトする。女が生き続ける限りこの先はずっとこうで、それは「自分の人生を生きるな」ということだろう。
この「女の年齢」からいかに自分の人生を取り戻すのか、がこの本のテーマだ。社会から奪われていた、自分のものだったはずの体や、欲や、仕事や、自己愛や、友情や、幸せを取り戻すためにもがき、考え、行動する。
自分の裸の写真を撮る、そう決めたまみさんは「でも、もうこんな風に、年齢のことでごちゃごちゃごちゃごちゃ細かいことで一喜一憂するのなんかごめんだ。私は私をそのまま肯定したい。私は私だと、どんな姿でもどんな年齢でも私は私だと、自分で自分に宣言したい」と綴る。仕事についても「書きたいことが書きたい。いい文章が書きたい。お金とかそういうことじゃなくて、これが私ですと言えるような、そういう文章をひとつでも書きたい」と綴る。しかし、自分が自分でいるために何故こんなにも傷だらけにならなきゃいけないんだろう。
まみさんの50歳も、100歳も読みたかった。読みながらずっと「生きて」と願い続けた。まみさんに「生きて」と願い、寄り添ったまみさんの友人にも「生きて」と思う。そしてその願いは跳ね返って自分に降り注いでいる。
2011年、作家デビュー。著書に『すべての夫婦には問題があり、すべての問題には解決策がある』(扶桑社新書)など。メディアで活躍するほか、児童虐待防止チーム「こどものいのちはこどものもの」を発足。
*「フィガロジャポン」2024年3月号より抜粋