文筆家・村上香住子が胸をときめかせた言葉を綴る連載「La boîte à bijoux pour les mots précieuxーことばの宝石箱」。今回はフランス映画界の巨匠、フランソワ・トリュフォーの言葉をご紹介。
私にとってフランソワ・トリュフォーは、フランス映画の中枢にいる監督といってもいい。日本では『大人は判ってくれない』(1959年)がトリュフォーの最高傑作の名画と言われているが、個人的に私は『隣の女』(1981年)を偏愛している。
トリュフォーは実生活でも「隣の女」を演じていたファニー・アルダンを熱愛、同棲していたが、正妻とは別れていなかった。その正妻だったマドレーヌ・モルゲンシュテルンと会った時に「あなたはどの映画が好きか」と聞かれて、即座に『隣の女』と言った。ところが相手も「私もそうよ」といわれ、「フランソワも多分」というので驚いた。本妻だったら、夫があの映画でファニー・アルダンと恋に落ちたのだからいい印象ではないはずなのに、それでもどんなものよりあの映画がいい、という彼女はきっと内面的にも豊かな女性なのだろう。そう思った。
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その後パリの映画評論家の中でも結構「隣の女」を支持するひとが多いのを知った。私にとって、あの映画の舞台になったのが、スタンダールの生まれ故郷のグルノーブルという文学的背景からも、一段とロマネスクにみえるのかもしれない。80年代後半、パリで雑誌の仕事をしていた頃に知り合ったエヴァ・トリュフォーは、フランソワ・トリュフォーの娘だった。アジアの遠い国から来たばかりの私は、すっかり舞い上がっていたように思う。
エヴァは当時ファッション関係の仕事をしていて、本人もなかなか素敵な人だったので、はっきりとは覚えていないが何かの雑誌で彼女を取り上げたと思う。彼女はボーイフレンドの選択がいつも素晴らしく、ある時話の流れから「どうやってそういう男性たちと知り合うの?」と聞いたことがある。彼女はあっさりとその秘訣を教えてくれた。
「みんなで集まるディナーが誰かの家で開かれたら、最初っから今夜の顔ぶれはつまらない、みたいな顔をしてほとんど誰とも口もきかないでいるの。それからゆっくりと立ち上がって、その家の本棚に行って、テネシー・ウィリアムズとかを手に取って、少し読んだりする。すると絶対その夜一番内面的に素敵なひとが、興味をそそられて近づいてくるわよ」
見事な男性チョイスのテクニックには驚かされたし、さすが恋の達人トリュフォーの娘、と思わざるを得ない。折角最強の恋愛の神様の娘からの直伝方法だったが、こちらはなかなか実践に活用する機会がなく、気がついたら手遅れになっていた。
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大分前のことだが、サンジェルマン・デ・プレのカフェ・ドゥー・マゴを出ようとしたら、入り口の回転ドアを勢いよく開けた人がいて、ぶつかりそうになった。それがなんとフランソワ・トリュフォーだった。相手は私に詫びて、なぜか「すぐ戻ってくるから」といったが、多分後にいたスタッフにいったのだと思う。あの時、何か気の利いた言葉、必殺のフレーズをエヴァに聞いていたら、もしかしたらトリュフォーと会話ができていたかもしれない。
1932年、パリ生まれ。両親の離婚から孤独な少年時代を送り非行に走るが、15歳の時、後の映画評論誌「カイエ・デュ・シネマ」の初代編集長となるアンドレ・バザンに見出され、以降バザンの死去まで親子同然の関係を送る。20歳の時に映画評論を始め、54年に短編映画監督としてデビュー。『大人は判ってくれない』(59年)で長編デビューと共にカンヌ国際映画祭監督賞を受賞。ジャン=リュック・ゴダール、エリック・ロメールらとともにフランス映画ヌーヴェルヴァーグの担い手として活躍。25本の監督作品を残し、1984年に脳腫瘍で逝去。photography:Raymond Depardon/Magnum Photos/Aflo
フランス文学翻訳の後、1985年に渡仏。20年間、本誌をはじめとする女性誌の特派員として取材、執筆。フランスで『Et puis après』(Actes Sud刊)が、日本では『パリ・スタイル 大人のパリガイド』(リトルモア刊)が好評発売中。食べ歩きがなによりも好き!
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