我が愛しの、ジェーン・バーキン ともに作る、奏でる、歌う。アーティストの音楽論。【サエキけんぞう】
Culture 2024.06.18
ジェーンの歌声や表現に魅了された、同じ音楽に関わるアーティストたちは、特に何を聴き、彼女の姿をどう見ていたのか? その影響は永遠に──。
サエキけんぞう
ミュージシャン・作詞家・プロデューサー
失われた恋を癒やし、修復してくれるような歌声。
2008年、東京日仏学院に来たジェーンをアーバンギャルドの浜崎容子、松永天馬と囲んで。
ジェーンはまったく飾らない人。1991年にテレビのインタビュアーとして初めて会った時、彼女の履いていたサンダルは「近所で300円で買った」と言い、ヨレヨレのタンクトップの横からは乳首が見えた。しかし、ただただカッコ良かった。
71年、小学校6年生の僕は、喫茶店の有線放送から聴こえてきた「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」の喘ぎ声と囁くような歌声に、あれは苦しんでいるんだろうか? と思っていた。その後の僕のサブカル感覚を作った「ロリータ・ゴー・ホーム」は、女子高校生が汽車の中で売春するのをいなすというとんでもない歌詞。フランスにも70年代から援助交際があることを知った。この曲から、品とエロと背徳と粋とゴージャスさが同居するのがセルジュ・ゲンズブールの世界であることを学んだ。そして最も好きなアルバムは、セルジュの想いが最も結晶した『バビロンの妖精』。ふたりは別れていたけれど、セルジュは誠心誠意のプロデュースをし、フランスのディスク大賞を受賞。「虹の彼方」「シック」など、日本公演でも歌われた名曲も収録されている。
ジェーンの曲は、失われた恋を癒やす時に聴く。永遠の感傷と、その修復をもたらしてくれるから。たとえば、「ジョニー・ジェーンのバラード」を聴くと、なぜか中学生の頃の恋が思い出される。教室の中で彼女を見ている時の自分を。ノスタルジックと憐憫に包まれた、しかし極めて具体的な映像の数々をもたらしてくれるのがジェーンの歌声だ。
Kenzo Saeki
1958年、千葉県生まれ。80年に『ハルメンズの近代体操』でデビュー。2003年、フランスで「スシ頭の男」でCDデビューし、ツアーも開催。セルジュ・ゲンズブールやトッド・ラングレンなどのトリビュート事業も手がけた。現代カルチャー全般に精通し、著作も多数。@kenzosaeki
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*「フィガロジャポン」2024年3月号より抜粋
coordination: Hitoshi Kurimoto