我が愛しの、ジェーン・バーキン ともに作る、奏でる、歌う。アーティストの音楽論。【梶野彰一】
Culture 2024.06.21
ジェーンの歌声や表現に魅了された、同じ音楽に関わるアーティストたちは、特に何を聴き、彼女の姿をどう見ていたのか? その影響は永遠に──。
梶野彰一
フォトグラファー・文筆家
セルジュ・ゲンズブールの
エスプリを伝える存在。
プライベートで撮影させてもらったお気に入りのカット。
長年ジェーンのコンサートを招聘していた中西幸子さん(現・PARCO在籍)に紹介いただいて、パンフレットやフライヤーのデザインに始まり、コンサートの撮影も担当することになりました。並行して、日本の雑誌においてパリでのインタビュー取材もあり、お目にかかる機会が増えました。
第一印象は、それまでファンとして見てきた彼女の映像や写真と何も変わりませんでした。話されている時の斜め下に落ちる視線の流れとか、あの声が、ずっと映像で見ていたジェーンそのものだったので、毎回緊張していました。が、よく喋ってくれて、すぐに寄り添うような優しさに癒やされました。まさに"ノンシャラン"という形容詞そのままの飾らない「素」の印象が残っています。
自分にとっては被写体であり、取材相手でしたが、まず最大の憧れだったセルジュ・ゲンズブールのファムファタルという存在であることが常に頭にありました。セルジュの死後も彼のエスプリを直接伝えてくれる、まるでシャーマンのような存在として彼女の声や話を聞き続けていました。直接は関係のない話題でも、彼女の口からセルジュの名前が出ると前のめりになって聞いていたように思います。あの引きつったような歌い方をセルジュがジェーンに指導する映像を見ていたこともあり、その歌い方で歌うジェーンの声の裏にいつもセルジュの影を感じていました。それは、そのままシャルロットにも伝えられたものです。思い出深いのは2003年、パリのシャンゼリゼ劇場での公演のエンディングに、アカペラで「ラ・ジャヴァネーズ」が歌われた時。何層にも重なった客席から、お客さんの大合唱を聴いた時には本当に感動して涙があふれてきました。その場には完全にセルジュの魂がありました。
コンサートのリハーサル中。足元はもちろんコンバース。
何度かジェーンの5区の家に伺っているのですが、パリの中心に大きな庭があることにまず驚きました。英国出身なので庭へのこだわりがあると言い、花柄の壁紙やキッチンの食器の並びもとても英国的。ただ、映画『ジェーンとシャルロット』で本人も話していますが、本当に物が多い!(笑)。あらゆるところに思い出の品が積み重なっているようなお部屋でした。壁に張られた大量の写真や葉書なども展示のように圧倒的で、特にセルジュがレストランのテーブルクロスに描いた子どもの頃のシャルロットの似顔絵をよく覚えています。
私は人の目を見て話すのがあまり得意ではないので、カメラのファインダー越しというのはとても良い手段だったかもしれません。ステージからカメラに視線を送ってくれることもありました。ジェーンは取材や撮影でもいつも愛犬と一緒。歴代の愛犬たちはフォトジェニックで、彼女の素の表情を引き出してくれたような気がします。取材のテープを聞き直していると、愛犬のいびきが盛大に入っていることもしばしばありました。
ある夏の夜、ジェーンと彼女の兄のアンドリューと3人で近所で食事をしたのですが、ジェーンは脚か腰の具合が悪くなってアンドリューとふたりでジェーンの両肩を抱えてレストランからご自宅まで歩いたことがあります。華奢に見えるジェーンの肩は、意外なくらいずっしり重かった。
もしいまジェーンが目の前にいたとして、何も話さなくていいから、もう一度あの声で歌ってほしいです。
Shoichi Kajino
1970年生まれ。10代の終わりにパリに魅せられて以降、パリと東京の往来を繰り返しながら、音楽やファッション、映画やアートのシーンと密に交流し、その写真と文章でパリのエスプリを伝え続ける。@casinodeparis
▶︎ジェーン・バーキン、永遠のファッションアイコンの魅力を紐解く。
*「フィガロジャポン」2024年3月号より抜粋