文筆家・村上香住子が胸をときめかせた言葉を綴る連載「La boîte à bijoux pour les mots précieuxーことばの宝石箱」。今回はマジックリアリズムの旗手として知られるコロンビア出身のノーベル文学賞作家、ガブリエル・ガルシア=マルケスの言葉をご紹介。
恋の行方は、スタンダールのいうように「クー・ドゥ・フードル」(一目惚れ)で出会って、そのまま一緒になれればそれに越したことはないと思うけど、コロンビアが生んだ世界文学史上の傑作『百年の孤独』の著者、ノーベル文学賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケスによると、そんなのはあまりにも安易すぎて、呆気なく、たちまち到達地点に行きついてしまうので物足りないらしい。愛するひとと共に、苦悩も絶望も知らず、研ぎ澄まされた気高い愛の世界に至ることもできないという。ふたりの身に降りかかってくる何らかの不幸な障害を乗り越えていくことで、ふたりは多層的に深まっていく愛の過程を体験できるのではないか、と。
半世紀も連れ添ったマルケスの妻、六歳年下のメルセデス=バルチャとは、子どもの頃からの友達で、彼女の父親は、富山の薬売りのように、薬の訪問販売をしていたという。実家はエジプトからの移民の家系だったそうだ。夫妻はふたりの息子に恵まれて、平穏な仲睦まじい家庭だったようだ。
ところが彼が64歳の時に、インタヴューにやってきた、33歳も年下のメキシコ人のジャーナリストと恋に堕ち、子どもまで産まれてしまい、そこからマルケスの秘密の二重生活が始まったのだろう。何かのインタヴューで、彼が「男に秘密ができたら、どんなことがあっても、その秘密は死守すべきだ」と言っていたが、それを守り通すために、おそらく並々ならない苦しみを味わっていたに違いない。彼だけでなく、日陰で暮らすことを余儀なくされて、娘を育てた相手のその女性ジャーナリストも、辛い日々だったことだろう。
彼の秘密は生前、メディアに暴かれることはなかったし、隠し子がいることが露見したのは、マルケスの死後8年も経ってからのことだった。
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ラテンアメリカ文学界には、もうひとりの巨星がいた。20世紀文学に大きな影響を与えたアルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスだった。私がパリで日本の雑誌社のパリ支局を任されていた頃、彼の妻だった日系人のマリア・コダマ=ボルヘスをインタヴューすることになった。ボルヘスがジュネーヴで亡くなってから、まだ1年も経っていない頃だった。
その数年前、まだ日本にいた時期に、東京でのボルヘスの講演会に行った時、ふたりをホテル・ニューオータニの通路で見かけたことがあった。ボルヘスはすでに眼がみえなくなっていて、彼の前を歩く夫人の肩に手を乗せて、ステッキをついてゆるゆると歩いていた。前を歩くマリアは、白くふわりとした長い丈のドレスを着て、白髪で靴まで白く、とても美しいひとだった。それはまるで神話の中から飛び出してきたように現実離れのしたカップルだった。私は暫く立ち止まって、静かに進んでいく能の道行きのようなその情景に、じっと見惚れていたものだ。
まさかパリの、オスカー・ワイルドが没したホテル「ロテル」でマリア・コダマ=ボルヘスとのインタヴュー後に、私たちはまるで姉妹のように、長時間話し込み、そのうち彼女がブエノスアイレスからパリにやってくると、必ず私の自宅に住むようになろうとは、夢にも思っていなかった。
「ねえ、あなたが東京のホテルで、私たちを初めてみた時の話をしてくれる?」マリアに何度もそうせがまれたものだ。
「メートル(師の意味)は、あの頃白い色だけはうっすらと見えていた。だから私、いつも白いドレスに白い靴だったの。若い頃から私白髪だったのよ。猫も白描だった。だってそうしないと踏んづけてしまうから」
そういうとマリアは仰け反って笑っていた。私は何度も何度もニューオータニの話をしていたが、それをききながら、彼女は当時のしあわせな日々が目の前に蘇ってくるように、いい表情をしていたのを想い出す。
マリア・コダマ=ボルヘスは2023年3月26日、アルゼンチンの保養地ビセンテロペスで息を引き取った。私にとっては40年もの間に渡る親友、というより家族のような存在だったが、訃報を知らされた時はすでに葬いも終わっていた。
私たちはその年の秋には、一緒にモンゴルに旅することになっていたのだ。どうしてかというと、日系人だったので、彼女にも産まれた時には蒙古斑があったそうで、その魔術的な刻印の由来の国に行きたい、と言い出したからだった。「私たちの肌に烙印を遺した国を知らないなんて、絶対駄目よ」というのだ。
マルケスは33歳年下の女性を熱愛し、ボルヘスとマリアの年の差は38歳だったが、彼女は終生師を愛し続けていた。ラテンアメリカ文化圏で生まれ育った人たちは、どこか不思議な物語性のヴェールに包まれて生まれたような、そんな雰囲気の人が多いようだ。
Gabriel García Márquez
1928年、コロンビア生まれ。退役軍人の祖父と土地の伝説に詳しい祖母に育てられ、戦争体験や迷信、伝承を身近に触れながら育ち、文学を志す。コロンビア国立大学法学科に進むが、政変に伴う混乱の中で転学、のちに生活難により中退。以降、雑誌記者、ジャーナリストとして活躍、55年にローマで現地記者をしながらイタリア国立映画実験センターで学び、のちにメキシコで映画監督としても活動することに。59年にはキューバにわたりフィデル・カストロの知遇を得、親交はお互いの晩年にまで続いた。代表作に『大佐に手紙は来ない』(61年)、『百年の孤独』(67年)、『族長の秋』(75年)、『予告された殺人の記録』(81年)など。82年にラテンアメリカで四人目となるノーベル文学賞を受賞。2014年にメキシコの自宅で逝去。
フランス文学翻訳の後、1985年に渡仏。20年間、本誌をはじめとする女性誌の特派員として取材、執筆。フランスで『Et puis après』(Actes Sud刊)が、日本では『パリ・スタイル 大人のパリガイド』(リトルモア刊)が好評発売中。食べ歩きがなによりも好き!
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