金原ひとみ×大久保佳代子による対談「中年版、君たちはどう生きるか。ミドルエイジの将来設計、恋と友情」。
Culture 2024.11.22
女性として生まれてきてしまったがために肉体に内包されてしまう痛みや、娘であること、妻であること、母であることで縛り付けられるものを小説の題材として選んできた金原ひとみ。20歳で作家となり、20代、30代と常に書き続けてきたことで、多くの読者にとっては、彼女は合わせ鏡のような、時代の並走者としての側面もある。その金原が妻でもない、母でもない、若くもない、でもまだ老いの領域には達していない40代の女性が迎えるゆるやかな変化を描いたのが新刊『ナチュラルボーンチキン』である。
昨日も今日も明日も判を押したような日常を送る出版社の労務課勤務のルーティン女・浜野文乃。ホストに入れあげる編集者・平木直理と仕事を通して知り合い、その交遊からあるバンドマンと懇意となっていく。
シスターフッドを描いた作品ゆえ、オアシズの大久保佳代子さんと語り合いたいとのリクエストから実現したのがこの対談となる。初めましての挨拶もそこそこ、大久保さんの口から出た「これ、私の話かと思った」の真意とは? ミドルエイジの将来設計、恋と友情とは?
金原ひとみ(以下、金原) 私は大久保さんが一般企業にお勤めされながら、「めちゃ2イケてるッ!」をはじめとするテレビのバラエティに出られているのを見ていて、以前からすごいバイタリティだなと思っていたんです。当時のことを書いた大久保さんのエッセイ『まるごとバナナが、食べきれない』(2022年・集英社)も面白く拝読しました。最初の数ページで、これ、私のことだと感じてしまって。
大久保佳代子(以下、大久保) これは私の話かと思ったのは、金原さんの『ナチュラルボーンチキン』がそうですよ。主人公の浜野さんがまさに私そっくり!
金原 浜野さんはもう10年ほど、まったく心の動かない生活を送っている主人公です。大久保さんはどの箇所を「これは私だ」と思ってくださったんでしょうか?
大久保 浜野さんは仕事から家に戻ると、毎日、同じ献立を作って食べて、配信系のドキュメンタリー番組を見て、一日を終える。日々やるべきことがルーティン化され、心乱されない生活をしているじゃないですか。それがまさに、いまの私なんです。特にここ5年、朝からやることが決まっている。朝起きて、ワンちゃんの世話をして、一緒に散歩に行って、朝食の6枚切りの食パンを一枚食べて、コーヒーはインスタント。歯を磨いて、美顔器を10分かけて、部屋に掃除機をかけて、クイックルワイパーで床拭きして、その後ストレッチを20分。このセットがもう出来上がっているので、朝7時代には起きる。なんなら6時に起きる時もある。で、こなしているうちに、あ、もう10時だって。このセットをやると体もスッキリするし、その日一日、自分がちゃんとした人としてスタートできるからすごくいいと思っていたんです。でも、浜野さんの日常を見ているうちに、怖いなって思っちゃった。ルーティンに押し込められていくというか。ルーティンをこなすために、前日に飲みに行くこともなくなって、恋愛に関しても、人と出会わない日常になっているということに気が付きました。
金原 浜野さんの場合、それでいいと思っていたんです。特別な人間関係を持とうとせず、それで満たされている、それでいいと。
大久保 私もそれでいいと思っていたんですけど、何のサプライズもハプニングもなくて。安心、安定と言えばそうだけど、逆に何も起こらない。
金原 『まるごとバナナが、食べきれない』の中で、歳をとると、お酒の量が減り、早く家に帰るようになっていくと書かれていましたが、あの本は、長い期間連載されていたんですか?
大久保 40代半ばから50代に入る時期のエッセイですね。50代になると、体力がまず落ちてくる。体力がないと、気力も起きないじゃないですか。まさに省エネで生きてる感じなんですよね。このまま恋愛をしないで終わってくんだろうかっていう怖さもある。だから浜野さんが同じ社内の、破天荒で年下の編集者である平木さんと知り合い、彼女を介してバンドマンと出会って、恋愛に突入していくとき、「え?」「どういう展開になっていくんだろう」とすごく興味深く読みました。あのバンドマン、かさましまさかさんは変わった人ですけど、世の中から外れている人だから可能性もあったのかな。まさかさんのビジュアルはどういう人を想定しているんですか?
金原 ロックバンド「バックドロップシンデレラ」のボーカルのでんでけあゆみさんですね。キャラは完全に創作なのですが、(スマートフォンのアー写を見せながら)まさかさんのステージ衣装は、あゆみさんのイメージで書かせてもらいました。
大久保 (アー写を見ながら)あー、なるほど(笑)。わかりました!
金原 大久保さんが、先程の『まるごとバナナが、食べきれない』の中で、若い頃に好きだったものが全然好きじゃなくなっていくと書かれていて、わかるーと思って読んでいました。若い時は麻薬のような男がいいって言っていたのに、いまは別にそんな刺激もいらないという風に変わったのは私自身も実感していることで。いま思うと、なんであんな人を魅力的だと思ってたんだろうと狐につままれたような気分になります(笑)。浜野さんは、かさましまさかさんという、婚活では絶対出会えないようなタイプの男性と出会うわけですよね。条件がどうとか言っていたら、絶対に出会えない人。その最上級の人がまささんなんじゃないかなと。まさかさんは、焦らず浜野さんのペースに合わせてくれますよね。付き合う、付き合わないという前提のややこしいことはとっぱらって、さらに付き合わないことで、逆に別れることもない関係性はどうでしょうっていう提案をする。
大久保 読みながら、まさかさんの提案はすごくいい関係かもしれないって思いました。でも、こんな穏やかな関係でも、これを続けていると、いずれヤキモキしたりこの微妙で曖昧な関係は何よって、ブチ切れたりしないのかな、とはちょっと思いました。40代、50代になると、恋愛へのエネルギーが昔よりもないから、結婚するとか、子供を持つとか、セックスするとか考えない関係は居心地が良いのかな。
金原 年齢を重ねるごとに、自分ひとりで、精神の安定を保つためのスキルが増えて、それは若い頃にはなかったものですよね。浜野さんは45歳という設定なんですけど、もう恋愛でおかしくなることもない安定を手に入れた状態なので、お互いに自立した中で、ちょっと一緒に過ごす、ちょっと一緒にいいものを食べるっていう関係が実現したら素敵だなと思いました。
金原 再び大久保さんのエッセイに話を戻しますが、女友達との交流を綴った章があるじゃないですか。読みながら勇気づけられるというか。私にも、いとうあさこさんみたいな人がいたらいいのにと思いました。。お互いさらけ出しても、動じない関係性というか。
大久保 すべてをさらけ出しているかというと、ちょっと違うんです。あさこさんも私もお互い自立していて、ある程度の経済力もあるから、ちょっと前まではお正月に一緒に海外旅行をしていたんですけど。50歳を過ぎると、必要な時にしか会わなくなってきました。ご飯に行こうって気軽に言える間柄ですけど、今日は行けないって断ることもできるし、いい距離感なんです。自分が弱っている時、聞いてほしい時は聞いてもらったりしてるんですけど。お互いに頼りすぎるのも、頼られすぎるのもちょっと違う。
金原 バランス感覚が出来上がっているんですね。自分の依存先を狭めないで、いろんなところに分散させた方がいいとよく言いますが、趣味でも、恋愛でも、頼りすぎない、基本一人で立つ、が前提ですよね。大久保さんはそれを皮膚感覚で行っているんですね。
大久保 私もあさこさんも、他にもそういう友人は何人かいます。森三中の黒沢さんとか。みんな独身ですけど。そういう友達が何人かいて、先週は会わなかったから、今週はこの人に会おうっていう感じ。『ナチュラルボーンチキン』においては、浜野さんはだいぶん年下の平木さんという自分にとっては育った環境も価値観も違う人と仕事を通して出会うことで、自分ではありえなかった違う世界へと連れて行ってもらうようになる。私の身近に、飲むことが好きで、やたら人との距離感が近くて、いろんな人とすぐ友達になっちゃうような子がいて。その子がすぐ家でパーティーやりましょうって誘ってくれるんですよ。喋っていると、時々、非常識だなと思う時もあるんですね。でも、非常識じゃないと乗り越えられない壁ってありますよね。
金原 はい、まさに。
大久保 だから、非常識に目を瞑るぐらいの優しさは持っていたいし、そういう人が巻き込んでくれるから広がる人間関係もあるから、大事にしたいですよね。浜野さんの生活も、平木さんが現れることですごく変わるじゃないですか。
金原 私の場合、破天荒な年下の女性編集者が、新しい世界を見せてくれたりするんですよね。ほんとにありがたい存在で。
大久保 金原さんは破天荒タイプじゃないんですか?
金原 私は浜野さんほどのルーティンはないけれど、平木さんほどははっちゃけてもいなくて、ちょうど中間ぐらいところに、それこそバランスを取りながらいます。子供がいるので、派手な生活ができないっていうのもあるんですけど。
大久保 でも、ライブに行った時のオーディエンスの熱狂とか、モッシュに巻き込まれる興奮と狂乱はライブ体験者じゃないと書けない。これは、だいぶんライブ通いをしてそうね(笑)。
金原 ありがとうございます。ライブとフェスは全てのエネルギーの源です。大久保さんはどうですか?
大久保 20代から30代前半までは演劇が好きで、売れない劇団の芝居を見に行って、出ていた役者さんたちと下北沢の庄屋みたいなところで朝まで喋っていました(笑)。そこは、浜野さんの体験とリアルに重なる。こういう深夜の居酒屋タイムのマジックに陥って、恋に落ちちゃうってことはありますよね。
金原 あれはなんでしょうね(笑)。夜を引き延ばして、いつまでも、いつまでも話が尽きない。
大久保 確かに、何時間話そうとも呑もうとも元気でしたね。あれだけ、いったい、何を喋ってたんだろう。 これが30代、40代、50代となるにつれ、ご飯もそこまで食べられなくなって、呑めなくなって、じゃあどうやって生きていったらいいんだろうと考えているうちにルーティンに落ち着いちゃうという。あら、元に戻っちゃった。金原さんはなぜ今回、浜野さんとまさかさんのような穏やかな関係性を描こうと思ったんですか?
金原 浜野さんは過去にありとあらゆるつらい体験を経験しています。すでに徹底的に傷ついて、ガチガチに守りに入った生活を送っている人なので、彼女を傷つける人は絶対に出したくないなと思って、今回の設定を決めました。あと、全然違うタイプの人だけど、お互いを認め合える関係性を表現したかった。浜野さんにとって、平木さんとまさかさんは全然違う世界にいる人だし、考え方も違うけれど、それでも一緒にご飯を食べたり飲んだりして、楽しい時間を過ごすことで、ちょっとした安穏を手に入れることが可能なんじゃないかって。私の希望の表れでもあります。
大久保 確かに50年ぐらい生きていると、 自分のモラルやデリカシーに対する考え方の物差しができるけど、その物差しに合わない人に対する諦めではないけれど、人って所詮他人だし、同じじゃないから面白いって意外と受け入れるようになっていて、前よりも逆に楽しめられるようになるところがある。自分に対してよっぽど害がないならいいやって。そもそも、自分はどれだけ人に害を与えてきたんだっていう(笑)。違う感覚の人といるのは刺激にもなるし、面白い。
金原 若い頃って付き合い方が密で、もうぴったりみたいな感じになりがちだけど、大人になると、それぞれ家庭があったり、仕事があったり、大切に思うものがあって、それを犠牲にしなくても、月に一回会うか会わないかぐらいの距離でもあっても、うまく付き合うことができますよね。その実感が浜野さんとまさかさんの関係性に込められてもいます。
大久保 私は金原さんの『ナチュラルボーンチキン』を読んで、積み上げてきたルーティンを壊したいと思いました。浜野さんが平木さんやまさかさんとの時間を自分の人生に招き入れたように、もっと日常に隙間を作って新しいことを取り入れるようにしたい。恋愛の筋力だって、何年も使っていないと衰えますし。何歳になっても、気軽に恋愛の話をしている自分でありたいと思いました。
金原ひとみ
1983年東京都生まれ。2004年にデビュー作『蛇にピアス』で芥川賞を受賞。著書に『AMEBIC』『マザーズ』『アンソーシャルディスタンス』『ミーツ・ザ・ワールド』『腹を空かせた勇者ども』等。
大久保佳代子
1971年愛知県生まれ。小学校から高校まで同じ学校の幼なじみだった光浦靖子とお笑いサークルでコンビ『オアシズ』を結成し、1992年にメジャーデビュー。読書好きでも知られる。著書に『美女のたしなみ』『まるごとバナナが、食べきれない』など。
photography: Masahiro Sambe text: Yuka Kimbara