「規則的で淫らな生活が、ひとりの男の登場で揺らいでいく」しなやかな映画『山逢いのホテルで』とは?
Culture 2024.11.27
恋や自由ゆえのもがきを、優美かつしなやかに描く。
『山逢いのホテルで』
極上の糸で織られた、優美な布のような映画だ。しなやかで繊細で、つよくて。
クローディーヌはスイスの山あいの町で仕立て屋を営み、障害のあるひとり息子と静かに暮らしている。そんな彼女には秘密がある。週に一回、町を出て山間を走る列車に乗り、いつものホテルへ向かう。そこのカフェで、ひととき限りにふさわしい男を見つけて、体を重ねる。ひっそりと裡なる情欲を燃やして。そんな彼女の規則的で淫らな生活が、ひとりの男の登場で揺らいでいく。彼女は「これまで生きてきた時間より、これから生きる時間が短くなる」(マキシム・ラッパズ監督)と感じ始めている。化粧を拭ったあとの肌や、下降を止めないやわらかな乳房に。
クローディーヌの衣装が素敵だ。小さな黒白の水玉のワンピースに、鮮やかなブルーの濃淡格子の衿付きジレ。一見ダサくて、最高! 初期のミウッチャ・プラダや川久保玲のセンスを思い出す。クローディーヌの危機は、不覚にもその男との恋に夢中になってしまったこと。大人の女のはずだったのに。恋は幾つになっても、女を少女にする。少女の無謀をつらぬこうとした最後の瞬間、彼女は過呼吸に襲われて、息ができなくなる。男の腕の中でもがき苦しむ。この科白のないシーンのジャンヌ・バリバールの演技が最高だ。哀しくて、笑える。
この映画の英題がいい。『Let Me Go』。私を放して。自由にして。でも気付いて振り返れば、クローディーヌを縛りつけている誰も、何もないのだ。だからその言葉は、他者に向けるのではなく、自分に言うべきだ。彼女の中の、もうひとりの彼女に。自由を得ることは、孤独を引き受けること。孤独は決して、荒涼だけではない。それでもあなたが怯えて迷っているなら、裸体になって、優美でしなやかな布をまとってごらん。存外、気持ちいいぜ!
監督・脚本/マキシム・ラッパズ
出演/ジャンヌ・バリバール、トマス・サーバッハー、ピエール=アントワーヌ・デュベ、ヴェロニク・メルムーほか
2023年、スイス・フランス・ベルギー映画 92分
配給/ミモザフィルムズ
11月29日より、シネスイッチ銀座ほか全国にて順次公開
https://mimosafilms.com/letmego/
夏目漱石の長編の脚色『それから』(1985年)で注目され、『阿修羅のごとく』(2003年)へと快進撃。TVドラマ「響子」「小石川の家」(96年)で向田邦子賞受賞。著作に『食べる女:決定版』(新潮文庫)ほか。11月末、『もういちど、あなたと食べたい』(新潮社刊)文庫化。
*「フィガロジャポン」2025年1月号より抜粋