朝井リョウ『生殖記』を、小説家・金原ひとみが読む。
Culture 2025.01.17
圧力鍋からの脱却と、「気づき」の村への渇望。
文:金原ひとみ/小説家
『生殖記』朝井リョウ
なんかおかしくない? 私は物心ついた頃からこの違和感をずっと持ち続けてきた。恐らくこれは己と社会の相性の悪さや、社会の歪みから生じている違和感のはずなのだけれど、なんともうまく言い表せない。執筆活動の中で、原因究明に努めてきたと自負しているものの、どうにも手が届かないところがあったのだ。本書はそんな、理不尽から逃れられないもどかしさ、むず痒さ、憤り、をスッキリ解消してくれる魔法の書である。
例えば、日本にはその時々の社会をぼんやりと覆う、「常識」とされるものがたくさんある。未婚子なしは立場がない、とか、親に孫を見せてやらないと、だとか、女は若い方がいい、とか、男は頼り甲斐がないと、等々。一つ一つの言説を言葉で解体していくことは可能だが、そもそもなぜこんなものと戦わなければならないのか。
つまり、私たちは社会という名の鍋に入れられ、常識という名の圧力をかけられ、どんな自我を持った者たちも等しくごった煮にされ続けている、ということだ。冒頭のおかしくない?はつまり、なぜ鍋に入れられ、謎の圧力をかけられ、とろとろに煮込まれてるのか意味が分からない、ということなのだ。でも鍋の中の私たちには、鍋の外を想像することができないから、「おかしくない?」は高まり続けるばかりだったのである。
本書はそんな「気づき」を与えてくれる小説である。朝井リョウはこれまでも、「え、それおかしくないですか?」と笑顔で常識をミキサーにかけるような小説を書いてきたが、本書のサイコパス度は視点人物からしてこれまでとは段違いだ。だがしかし、その狂気に見えるものこそが最たる正気であるということも、読めばきっと分かるはずだ。
ああ私たちは無理ゲーをさせられてただけなんだ。『生殖記』を読み気づきを得た者たちだけで、村を作りたいと私は切に願う。
1983年、東京都生まれ。2003年、『蛇にピアス』(集英社刊)ですばる文学賞、翌年に芥川賞を受賞。『マザーズ』(新潮社刊)ほか著書多数。近著に『ナチュラルボーンチキン』(河出書房新社刊)など。
*「フィガロジャポン」2025年2月号より抜粋