ダイアナ妃と訪れてから37年......セーラ・ファーガソン、娘ベアトリス王女とともにウィンブルドン観戦に復帰。
Celebrity 2025.08.09
ウィンブルドンのロイヤルボックスで最後にセーラ・ファーガソンの姿を見かけたのは1988年、まだアンドルー王子の妻だった頃だ。その時は義姉のダイアナ妃と一緒だった。

だから今回、彼女が登場したことは予想外かつ象徴的なことだった。2025年6月30日、セーラ・ファーガソンは長女ベアトリス王女とともにロイヤルボックスに座り、スペインのカルロス・アルカラス選手とイタリアのファビオ・フォニーニ選手の1回戦を観戦した。「ファーギー」の愛称を持つセーラ・ファーガソンがウィンブルドンにやってきたのは実に37年ぶりのことだ。
正確にそれは1988年6月27日のことだった。当時28歳だったセーラ・ファーガソンは長女ベアトリスがお腹にいて、8月8日に出産することとなる。観戦時に彼女の右隣に座っていたのは義姉であり親友でもあるダイアナ妃だった。ダイアナ妃は6歳のウィリアム皇太子と4歳のハリー王子の若き母だった。モノクロ写真には、ふたりがロイヤルボックスで楽しそうにおしゃべりする姿が写っている。

セーラ・ファーガソンとダイアナ妃は、後年のキャサリン皇太子妃とメーガン夫人のようにタブロイド紙でよく比較されていたが、違いはふたりが仲良しだったことだ。その友情は揺るがず、慣れない王室で暮らす間も、1992年に共に夫と別居するに至った時も互いに支え合った。この年はダイアナ妃、セーラ・ファーガソン、そしてアン王女の別居や離婚が相次ぎ、エリザベス女王は「ひどい年(アナス・ヒリビリス)」と嘆いた。
1997年にダイアナ妃がパリで悲劇の自動車事故死を遂げ、セーラ・ファーガソンは深く悲しんだ。今から数年前、セーラは自分のポッドキャスト「ティー・トークス・ウィズ・ザ・ダッチェス・アンド・セーラ」でダイアナ妃についてこう語った。「私たちは互いに心底愛していました。あれほど私を笑わせてくれた人はいません」
乳がんとメラノーマ(悪性黒色腫)
ベアトリス王女、ユージェニー王女の母であるセーラ・ファーガソンは今回、2年間の闘病生活を経て久しぶりに公の場に復帰した。2023年6月に初期の乳がんと診断され、乳がんの切除後、乳房再建術を受けた。数か月後の2024年1月、セーラは悪性の皮膚がんであるメラノーマと診断された。
「1つだけでもショックなのに1年のうちに2つも診断されたのです」と彼女は2025年1月に英紙「タイムズ」に語っている。「死について考え、ひどく気持ちが落ち込んだ時期もありました」。現在、乳がんは寛解状態にあり、メラノーマは定期的に検査を受けている。
From madameFIGARO.fr
text: Solene Delinger (madame.lefigaro.fr)