フィガロが選ぶ、今月の5冊 女性の欲望の蓋を垣間見る、柚木麻子『BUTTER』。

Culture 2017.08.10

女性たちの中に潜む、梶井真奈子という欲望。
『BUTTER』

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柚木麻子著  新潮社刊 ¥1,728

誰にでも、開けてはならぬ欲望の蓋がある。食欲、物欲、名誉欲、承認欲、性欲など形はそれぞれだが、ひとたびその蓋が開くと、あふれ出す欲望に歯止めが効かなくなる。そして遂には、自分が自分ではなくなってしまうのだ。だから、決して開けてはいけない。

しかし、そこに蓋があることは誰もが薄々気付いている。自分を騙し続けることができないように、蓋の存在を忘れ続けることはできない。そして、普段の私が「本当の自分」と認識している像が、果たして「本物の自分」なのか、それを確かめる術もない。

本作は、2009年に発覚した首都圏連続不審死事件で詐欺罪、窃盗罪、殺人罪などで起訴された木嶋佳苗死刑囚をベースにしたフィクションである。フィクションではあるが、そもそもの事件がフィクションの様相を持つため、読み進めるうちに虚実の境界線が曖昧になっていく。

主人公の里佳が犯人の梶井真奈子に傾倒するより先に、私は梶井に夢中になった。梶井の欲望の蓋はパッカーンと開きっぱなしだからだ。彼女に尋ねたいことは永遠に尽きない。もっと足繫く拘置所へ通えと、読み進めながら里佳を急かした。読書中、梶井は私のなかに実在した。

加害者と被害者という決定的な違いはあるが、木嶋佳苗事件は東電OL殺人事件とともに、多くの女にとって自分の真っ暗な深淵を覗くような事件である。そこには女の価値を男に委ねた世界にズブズブとはまり、完璧を追求した故に起こった暴走があり、暴走が故に鋭利になった、男に対する怒りがある。そして、私にも。

不安、怒り、憎しみなど負の感情が渦巻くなか、食べることの意味、食事や調理にまつわる愛情とこだわりの描写が徹頭徹尾貫かれており、漂う濃密なバターの香りが救いにも恐怖を増幅する装置にもなっている。

さて、梶井真奈子は最後の晩餐に何を選ぶだろうか。

文/ジェーン・スー 作詞家、コラムニスト

近著に『今夜もカネで解決だ』(朝日新聞出版刊)、初の原作を手がけた漫画『未中年〜四十路から先、思い描いたことがなかったもので。〜』(新潮社刊)。ラジオ・パーソナリティとしても活躍中。

*「フィガロジャポン」2017年8月号より抜粋

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