フィガロが選ぶ、今月の5冊 子どもが心を動かす一瞬を切り取る、酒井駒子の画文集。

Culture 2017.12.29

野生の鹿か何かが地下鉄に乗っているようだ。

『森のノート』

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酒井駒子著 筑摩書房刊 ¥2,268

 『森のノート』というタイトルに惹かれる。絵に描かれた子どもたちの姿が、独特の雰囲気を纏っている。目の前の小さなモノやコトに、心を吸われているようだ。うらやましい。遠い昔、自分もそうだったことを思い出す。でも、もう駄目だ。大人になった私は、いつも心のどこかが少しだけ醒めている。
 文章がまた素晴らしい。森の家の周りで出合った動植物についての話が多いんだけど、毎回必ず意外なモノが現れるのだ。猛毒の赤ちゃん蛇、家の外壁に激突した鳥、森の奥のマンホール、おかしな味のりんご、首のない糸蜻蛉などなど、しんとした言葉を追ってゆくとコツンと当たる。はっとする。ひとつひとつが意外性の宝石のように光って見える。その正体は極小の死ではないか。森には小さな死があふれていて、さくさくと落ち葉を踏んでゆく「私」の命を照らし出す。たぶん、都会ではそうした死の匂いが丁寧に取り除かれているのだろう。だから、「私」たちは安全にぼんやりしてしまう。「私」はまた森へ出かけてゆく。
 けれども、『森のノート』の最後の一編は「地下鉄」だ。夕方の地下鉄の中で、「私」は「大変綺麗な子なのに、どこか奇妙な感じがする」少女に出会う。「ずり落ちた眼鏡から覗く瞳が大きい。睫毛が長くて、顔が小さく、色が白い」にもかかわらず、「髪は脂じみていて、着ているセーターがヨレヨレ」で「持っている布バッグのリボンも昆布のようにたれ下がっている」のだ。「私」は「面白くて、じっと見つめてしまう」。どんなにきれいでも、普通にお洒落な少女だったら、「私」はそこまで 興味を惹かれなかったにちがいない。「鏡を見ない野生の鹿か何かが地下鉄に乗っているようだ」という結びの一文で、突然、森の匂いが甦る。美しい空気を閉じこめた一冊だ。

文/穂村 弘 歌人

『鳥肌が』(PHP研究所刊)で講談社エッセイ賞を受賞。『きっとあの人は眠っているんだよ。: 穂村弘の読書日記』『これから泳ぎにいきませんか。: 穂村弘の書評集』(ともに河出書房新社刊)を11/22に同時上梓。

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*「フィガロジャポン」2018年1月号より抜粋

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