映画監督・齊藤 工について、聞かせてください。 齊藤 工「映画って集団芸術なんだ、とあらためて感じた」

Culture 2018.03.01

映画を愛する俳優・斎藤 工が、映画監督・齊藤 工として初長編作に挑戦、2018年2月3日よりシネマート新宿にて公開中され、2月24日以降、劇場数を拡大して全国にて順次公開中。この最新作『blank13』は国内外の映画祭に招聘され、6つの賞に輝いた。
齊藤 工とともに映画を創ったキャスト&スタッフに聞いた「映画監督・齊藤工ってどんな人ですか?」 現在書店に並んでいる最新号2018年4月号でのコメントに加えて、こちらではほぼ全コメント、紹介します!

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—みなさんからの回答を読んで、いかがでしたか?

俳優だから俳優側の気持ちを考えている、と思われがちだけど、現場ではそんな余裕なんてない、というのが実情です。本当のことを言えば、どこか放任していた、という部分が多々ありました。

—フィガロから俳優の方々への質問状で、齊藤監督からどういう指示を受けましたか? と尋ねていたのですが、「何の指示もなかったです」という返事がほとんどでした。これは「意図的にしなかった」のだろうと、推測しているのですが。

そうです、私自身の経験から感じたことなのですが……。三池崇史監督の作品に出演した時、監督は俳優陣とは必要以上に話さない方針でした。自分が選んだ俳優たちは能力があるのだから、ディスカッションで理解し合うのではなく、その俳優たちをキャスティングした時点で任せてあるのだ、そんな大きなボールを、三池監督は僕にも投げてくださった。それは同時に恐ろしいことでもあるんです。俳優が自分自身で役を構築して、違ったら違う、と監督が言ってくれるという関係になる。なんていうか――俳優として、自分で生み出すということ、自分と向き合う時間を大切にすること、をその時体感しました。『blank13』においても出演者は経験も、技能的にも、最優秀なポテンシャルの方たちに参加していただいたのだから、セリフや演出の指示に縛られずに現場に佇んでほしいと思いました。これは俳優的にはイヤなことで、指令があればこうしようと考えたりできるのですが、なんにもない宇宙に放り投げ出されたみたいな……自由なぶんだけ不安な、自己解釈していくしかない脚本だけ与えられた、その不安定な精神状態で現場に来てほしかった。ある種不親切ですよね。キャスティングでOKになった段階で、監督としてすべきことはほぼ終わった、と思ったくらい。だってこの人がこの役をやってくださるのだから、それで成立するだろう、と。一見無計画に思えるでしょうね。

—それは俳優としての経験からですか? それとも賭けるような気持ちからですか?

賭けではないです。セリフを覚えなくてもいいってどういうこと?と質問する方もいた。初めてこんな台本もらった、とも言われました。私の意図としてはこの作品への関わり方、責任のバトンを渡したつもりです。そのままの状態で来てくれと。現場でこの役とこの役の関係性がどうとか、という会話でもなく、動線くらいしか撮影時も指示しませんでした。

—高橋一生さんがそのくらいしか指示はなかったとおっしゃっていました。

それでも成立させてくれる俳優たちが集まったので、不安はなかったです。最初の撮影はリリーさんや蛭子さんの雀荘のシーンでした。撮影の早坂さんとは絵をどうするか、準備はしていきましたし、寄り引きなどはもちろん考えていました。いざ撮影を始めると、その絵の中に収まった俳優たちは、子役の利空くんも含めて、この人たちを撮ってさえすれば、やれる、と感じさせてくれたんです。クランクインの日のファーストカットで蛭子さん、ふつうに麻雀やっているじゃないか。私から、この手であがってくださいなんて指示はせず、ふつうに麻雀を打ってもらった。こういう「生」のものを、この先も撮っていくんだ、と。『blank13』の撮影では、俳優に対しての安心感・信頼感、ここでこの人と思った私の嗅覚は裏切らないな、と、この最初の撮影で思いました。俳優の方々は、この作品のことを心のどこかできちんと考えてくれている。そういう人たちが集まってくれたんだし、映画って集団芸術なんだな、と感じました。そもそも自分の力だけでどうかしようとは思っていなかったけれど、総合力に頼りながら、現場を進めていいんだな、思えました。

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—なぜ高橋一生さんだったのですか? 高橋さんと齊藤さんは通じ合っている印象を持った、と松岡茉優さんもコメントしてくださいました。

取材でなぜ一生さんをキャスティングしたのか?と聞かれるのですが、原作のはしもとさんと名前を出していって最初に一致したのが一生さんだったんです。実際のコウジと忠実に考えれば、20代前半の俳優が適切なんです。でも僕にとって、一生さんはそもそも年齢・国籍・性別を超えた存在だと思ったんです。フレッシュな気持ちで一生さんがいいという不思議な感覚でした。

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—国籍、年齢を超えてと齊藤監督が表現する、高橋さんの魅力とは?

誰かと比べるのはよくないかもしれませんが、ライアン・ゴズリングやトム・ヒドルストンのような精神的成熟がある。ハリウッドを席巻するような俳優の印象とかぶります。一生さんは、若い頃から達観していて悟りをひらいている――精神的に成熟している俳優なら、演じる役との年齢差は調節できる。足りないものは足して、満ちているものは減らすことができる。一生さんはそういうレンジの広い俳優です。私自身、昔、俳優学校で、「実年齢が10歳上の状態でその役を演じろ」、と言われました。経験値という見えない部分が映ってしまうのが、俳優という「表現の仕事」だと思う。そういうところが一生さんはずば抜けている。

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—今回、スタッフの方々は監督と同世代の人たちが多いですよね。意図的にそうして映画づくりをなさったのですか?

映画を撮る機会が人生において何回あるかと考え、次があるとは思わずに、これが最後という覚悟でやっています。監督として私にイニシアチブがあるなら、本当に好きな人を集めたかった。あの人に声を掛ければよかった、などという後悔を残さず、ほぼ希望していた方々で揃えられました。プロデューサーの小林さんも、音の仕上げの段階のメンバーも同じ年だった。このメンバーたちは師匠がいるわけでなく、独学で専門家になった人たちです。これが映画の正解だ、というものがない状態で一緒に作り上げました。音楽の金子は、作品にちなんで煩悩の数の108のBPMで木魚のビートを刻んだんです。このビートに基づいて編集も進めました。同世代のメンバーで作っていたから、共通言語がエモーショナルなものになったし、思春期を過ごした90年代や、その年代の同時多発的なカルチャーを共有できたというか。俳優陣の一生さんや神野さんとは言葉ではないところで共有できましたし、ポストプロダクションのメンバーたちも感覚的に仕上げていったのが、どこか『blank13』の特徴のひとつになっていると思います。

—同世代のスタッフで作ったことによって、エモーショナルなものを言語化せずに共有できたということもあるかもしれませんが、観る側にとっては、同世代・同時代的な感覚を超えて、普遍的な感情を湧き起こさせてくれる内容でした。

こういう感覚って周期的なもの、と思いました。僕らも90年代に思春期があったけれど、いまその次の世代、その次の次の世代が青春を迎えている。でも、僕らの青春は古いかというとそれは違うと思います。「いま」という曖昧な基準に合わせようとしてしまうのではなく、ここ集まってきた人たちが、どういうふうに『blank13』を解釈するのか、どこか「心当たりのある物語」である、という気持ちを共有できました。
この話を原作のはしもとさんから聞いた時に、この人、悲しい話なのに、明るく話しているって思ったんです。そして、自分の家族を私は本当に把握しているのかな、とも振り返って考えました。自分に対してドキッとしたんです。ミネアポリスの映画祭で、おばあちゃんが泣きながら私にハグしてくれて、「これは私の物語よ!」と。つまり、作り手も演じ手も、自分のことと感じながら、関わってできた作品です。

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—母親役の神野さんのコメントに、事故のシーン後の撮影時に「特殊メイクで、女優さんにこんなことをさせてしまい申し訳ありません」と監督が伝え、「女優である前に役者ですから」と応対したら、監督が「ありがとうございます」とおっしゃった。そのことがとても印象に残っているとあるのですが、どのような気持ちでこの言葉をおっしゃったのですか?

これは実際に私の母のエピソードです。母は指圧師をしていて、作務衣を着た状態で環八を自転車で移動していたところ、トラックに母の自転車が挟まり、200mくらい地面を引きずられたんです。母の顔が骨まで見えるくらいえぐれていたのに、学校から帰った時に病院にも行っていなくて……小学校高学年の時です。母はかすり傷くらいにとらえていたんです。当時ビジュアル的にショックを受けて。台本を作っている時に話して、採用したシーンだったのですが、僕のトラウマからすると、ちょっとした傷メイクだと成立しないくらいの衝撃だったので、撮影時に特殊メイクまで依頼してしまったんです。その顔でホントに仕事行くの?みたいなレベルの要求をしました。それで、神野さんの下唇が腫れ上がる顔をスクリーンで見せることになってしまった。特殊メイクとはいえ、女優さんの顔に……こんな、ね。

—個人的なことを押しつけてしまった罪悪感ですか?

事故のシーンは2テイク撮りましたし、僕のわがままでもあったから罪悪感もあったのかも。あのシーンは、海外の映画祭では悲鳴が上がりました。

—静謐なのに突然事故が起こるからですかね?

あれ?ホントじゃない?というリアルな感覚が映画には必要だと思います。アクションシーンも美しい立ち回りよりも、本当に拳が当たってしまったとか、そういうリアリティ。そういうリアルさって、映画に観客が感情移入するふたつ目の入口になると思うので。あのシーンでリアリティを感じてくれれば、後半の生っぽい展開にもおもしろ味を観客が見出してくれるのではないかな、とこだわりました。あんな事故があったら、神野さん演じる母役の顔にその結果は返ってきちゃいます、という意味も込めてのメイクです。

—みなさんからのコメントを読むと、齊藤監督は素晴らしい人物像です。「見守られていた」とおっしゃっています。はしもとさんは、「下準備が整っていて、お母さんみたい」とまで。

監督業ってお母さんみたいなところがあります。みなさんいい解釈をしてくださっています。実際には、私の欠落している部分も見抜いていると思う。欠落している部分を背伸びせず、「ここは白旗です、お任せしたいです」ということをそのまま示していました。自分、監督だからこうしてくれ、という上からの指示は1回もなかったと思います。現場ドーナツ化現象に対し、「自分が補わなきゃ」とみなさんが支えてくださっていた、と感じています。

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—原作者のはしもとさんが、セットビジットした際に、僕が叱られている姿を見て齊藤監督は楽しんでいたんじゃないかな、とコメントがありましたが……。

(苦笑)余裕がなくて、本当に気付けなかったんです。はしもとさんには恨まれていますが。まあ、僕は超絶あまのじゃくで、ひねくれていますけど。この人(原作者はしもとさん)の物語を、撮影現場で展開している様子を楽しんでいました。

—セミの亡骸を燃やすシーンにこだわったのはなぜですか? 煙草や灰皿に寄ったカットを撮ったり。

そういうのが映画っぽい、と考える節があるのかもしれません。火葬、ということにはこだわりたかったです。北野監督の映画みたいに、謎の自販機が映っている、とか、観ている人がなんだろう?と思わせるようなシーン、観客にとってのジャブになるようなシーンは入れたかった。観客の注意点を回収するような「なんだいまの?」というシーンが好きなんですよ。『インディアン・ランナー』の解釈しようのないインディアンが走るシーンや相米慎二監督の『台風クラブ』の白塗りのシーンもそうだし。あれこそ映画っぽいな、そういう描写は入れたいな、と。ロケ先でも、虫が死んでいるのを見かけたら撮ってください、と撮影チームにお願いしていました。物語の意味というよりも、交差点みたいな使い方で、編集室に向けた素材の撮れ高、みたいな気持ちでした。現場での未熟なジャッジだったのかもしれません。虫の亡骸って、ほんとにモノになっちゃうので、どう成仏するんだろうと、自分も昔、虫を飼っていたので考えていました。

—撮影の早坂さんがこの作品はケン・ローチを彷彿させるというコメントがありました。

早坂さんは経験も豊かで執筆もなさっている。映画にとって必要な言葉を、監督にくださる方だと思いました。いろんな映画のシーンをイメージボードのつもりで、SNSで送りました。言語化できないその感覚を、早坂さんが、サイズはアメリカンビスタ、カメラはred、と決めてくれ、撮影監督のイメージとしては『小説家を見つけたら』『エレファント』『ラストデイズ』などのガス・ヴァン・サント作品やソフィア・コッポラの『SOMEWHERE』などを手掛けていたハリス・サヴィデスのテイストで行こうということになりました。そんな流れでケン・ローチの名前も出てきたことは出てきたんですが……。

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—同じく早坂さんがおっしゃっていましたが、齊藤監督はヌーヴェルヴァーグやドグマ95のような映画的運動を日本映画界に起こそうと思っているのでしょうか?

思っていないわけではないけれど、僕は中心ではなく、スナイパー的に関わりたいです。日本で役者が映画を撮ることはニーズがない。古い日本の体制がある。このこともひとつのテンションになるなと思っていて。イラン映画などを見ていても、制約自体をテーマに描いている作品もある。日本も映画が元気と言われていた時代は、何かに抗うかのように作品が生まれていたりするので、いまの日本の状況ってクリエイションが活発になりうる時代だと思うんです。いまあるフォーマットがずーっと続くなんてことはないだろうから、体制の古さそのものがバネになると思っています。現在はコンプライアンスが厳しくて、シートベルトをして車で逃走する犯人、みたいにナンセンスになってしまう。だったら私が作る作品では、会話にほとんどピー音入ってよくわからないけど、たまに聞こえるセリフは攻めている言葉にするとか、そういうことをやってみたいと思っています。いまの日本映画の実情は、夢を見られない部分もあります。でも、映画の創造者たちは、そこをくぐり抜けてきている。鈴木清順監督も黒木和雄監督も。テレビではできないことを映画ではやってみる、というのがいまの自分のものづくりのテンションになっています。

—神野三鈴さんが、最終カットを撮った後で、若いスタッフに夢を実現させてくれ、と言った齊藤監督に感激していました。

でも、そんなえらい立場からではなくて……スタッフチームは、人生の一部を捧げてくれたんです。役者陣ももちろんそうでしたし、私に委ねてくれた、それに対して、もう感謝しかないです。自分が、撮影終了時にリアルに思ったことを伝えたかった。ひとりの、映画大好きだった少年が、大人になって夢を叶えられた瞬間だった。それに対して感極まっていたんです。それを正直に言ったほうがいいな、と思ったし、委ねてくれた人たちに、今度私も時間を委ねます、と伝えたかった。神野さんは次の現場に移動していたのに、わざわざ花を渡しに来てくださったんです。
ただただ映画が好きなだけの人間が紆余曲折あろうが、こんな恵まれた状況で映画を撮れるなんて、と、言いたかったんです。

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TAKUMI SAITOH
1981年8月22日生まれ。最新出演作に『サラバ静寂』、『去年の冬、きみと別れ』、またエリック・クー監督の主演作『ラーメン・テー』や、ジョン・ウー監督作『ManHunt』での特別出演など国外のアジア映画でも活躍。初長編監督作『blank13』は、現在、国内外合わせ6冠を獲得した。2018年はHBOアジア制作のテレビドラマのオムニバスの1編を監督予定。フィガロジャポンの連載「活動寫眞館」では、モノクロポートレートを撮影している。



映画『blank13』は家族の物語である。妻と息子ふたりを残し忽然と消えてしまったひとりの男=父親と、残された家族が、13年後、父が余命3ケ月の状態で息子(次男)と再会し、逝き、葬儀へといたる。その過程を、登場人物たちの心の経緯をなぞるようなかたちで表現された映画である。実話を軸にしている。

『blank13』
出演/高橋一生、松岡茉優、斎藤 工、神野三鈴、佐藤二朗、リリー・フランキーほか
監督/齊藤 工
2017年、日本映画/70分 
配給/クロックワークス
シネマート新宿にて公開中、2月24日より全国順次公開
Ⓒ2017「blank13」製作委員会  photos : LESLIE KEE
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