ブルーノート・レコード入門。#01 80年の歴史を誇る、名門ジャズ・レーベルの魅力とは?

Culture 2019.08.30

今秋、ソフィー・フーバー監督による映画『ブルーノート・レコード ジャズを超えて』が公開される。これは1939年の創立以来、マイルス・デイヴィスからノラ・ジョーンズ、最先端のジャズ・シーンを牽引するロバート・グラスパーに至るまで、80年にわたりジャズをリードし続ける革新的レーベル「ブルーノート・レコード」の貴重なドキュメンタリー作品だ。

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『ブルーノート・レコード ジャズを超えて』の監督を務めたソフィー・フーバー(左)と、新作を制作中という現役バリバリのハービー・ハンコック、79歳。©MIRA FILM

映画では、最新のスーパーグループによるセッションの様子や、マイルス・デイヴィスやセロニアス・モンク、アート・ブレイキー、ジョン・コルトレーン、ハービー・ハンコックなど、ジャズ史に名を残した巨匠のレア映像など、時代とともに進化してきたジャズの様子が紹介されていく。

このレーベルのモットーは「好きなもの、信じるもの、感じるものを録音すること」。映画では、そのモットーを掲げたブルーノートの創立者アルフレッド・ライオンの人柄にも触れている。18歳の頃にジャズの魅力に取り憑かれたライオンは、自分の趣味からジャズのレーベルを立ち上げたいと決意。ユダヤ人だったため、ヒトラー政権下となった祖国ドイツを離れてニューヨークへ移住、そして1939年にレーベルを設立した。翌年には、彼の親友で同じく熱烈なジャズ・ファンである写真家フランシス・ウルフも加わり、少数のスタッフながら体制を整えていく。

ライオンとウルフが、黒人ミュージシャンたちの音楽性や人間性を尊重して信頼関係を築いていった根底には、ユダヤ人とアフリカ系アメリカ人という疎外された者同士で通じる点があったのかもしれない。

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ブルーノート・レコードの創立者、アルフレッド・ライオン(左)と親友フランシス・ウルフ(右)は、ともにベルリン生まれのドイツ系ユダヤ人だった。

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趣味からスタートしたため、ただただ純粋にいい作品を発表したいという思いが募る。映画では何より、本人たちが楽しんで制作している様子が次々と紹介される。レコーディング・エンジニアにルディ・ヴァン・ゲルダーを迎えてよりよい録音に注力し、新進デザイナーのリード・マイルズが、まるでジャケットデザインからその音楽が聴こえてくるかのような斬新なアートワークを制作すると、アーティスト本人や音楽ファンを魅了していくようになった。経営的に苦難の時代から休止していた時があるものの、1983年にEMIの傘下になった以降も創立者の意志は変わらず引き継がれ、いまも存続している。

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デザイナーのマイルズと写真家のウルフのコラボ作品から。写真左はソニー・クラーク『クール・ストラッティン(原題:Cool Struttin')』(1958年)、右はジミー・スミス『スモールズ・パラダイスのジミー・スミス Vol. 2(原題:Groovin’ at Smalls’ Paradise Volume 2)』(1957年)。

80年という年月を網羅する中で、筆者がブルーノートの功績として強く印象に残っていることのひとつは、イギリスのUs3というグループ。ヒップホップが一般的に認知されるようになった90年代、ハービー・ハンコックの曲「カンタロープ・アイランド」をサンプリングしたいと無名の若者たちが申し出た時に、なんとブルーノートのカタログ音源をどれでも使っていいと許可し、同時にUs3とも契約したのだ。結果、1993年にその曲「カンタループ」を収録したアルバムは世界的大ヒットになってしまった。

また、ニューヨークのダウンタウンで歌っているノラ・ジョーンズを発掘したのは、EMIで働いていた女性スタッフというエピソードもそのひとつ。契約直後、ジョーンズは2002年に『ノラ・ジョーンズ(原題:Come away with me)』でデビューし、翌年にはグラミー賞で主要4部門を含め、計8部門を受賞した。彼女の音楽性には枠に囚われない多彩さがあるが、自身も劇中で「このレーベルが大好きなのは、常にこういう自由を求めていたいから。自分自身の音楽を作り、ジャズといったジャンルなど制限も感じずにやりたいことをやれるから」と話している。

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2002年のデビュー当時のノラ・ジョーンズ。その歌声と音楽は世界中で愛され、デビューアルバムは全世界で2000万枚を超えるセールスを記録した。

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何がこのレーベルをおもしろく活性化させたかというと、“ふたつとして同じものを発表しない”という姿勢だろう。作曲家でサックス奏者のウェイン・ショーターが「勇気を持ち恐れないこと。勇気は傷つくから、チャレンジなんだ。けれど勇気を持ってチャレンジするほど、不確実なものが味方になっていく」と話していて、それはスタッフにしても同じだったと思う。いわゆる音楽チャートを意識することなく、このレーベルに所属する人々は、人間が日々変化するように常に新しいものに挑戦していく。現社長のドン・ウォズも映画の中で次のように話している。「ブルーノートの歴史を調べれば、10年ごとに在籍アーティストが音楽の世界を転換している」。だから、長年にわたって愛されるレーベルとして存在し続けたのだと思う。

最近の功労者はニュー・ジャズの革命児と呼ばれるロバート・グラスパーだ。かつて、若手ミュージシャンはアート・ブレイキーやマイルス・デイヴィスとの共演からジャズを学ぼうとしていたが、いまはグラスパーから学ぼうとしている。グラスパー自身、ジャズにヒップホップをうまく取り入れて若者層にそのおもしろさを伝えようとしてきた。2012年に発表した『ブラック・レディオ』ではシャーデーやニルヴァーナなどの名曲もカバーし、大ヒット。翌年のグラミー賞で最優秀R&Bアルバムを受賞した。

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現在のジャズ・シーンの革命児ロバート・グラスパー(手前)と、彼が師と仰ぐハービー・ハンコック(奥)。昨秋の「東京JAZZ」での共演が記憶に新しい。©MIRA FILM

グラスパーは、「偉大な芸術は混乱から生まれる。必要なのは、自由にそこから旅立つこと。そうしてジャズは生まれる。ヒップホップも生まれた。世界で今日起こっていることから嫌でも真実を知り、そこから経験が生まれる」と語っている。そして彼と同世代で、プロデューサーとしても活躍する奇才テラス・マーティンは、「ブルーノートは過去で現在で未来だ。常に違うことをやる。常に次世代を刺激し、人生を変えもする。ブルーノートとロバートが扉を壊してくれて、私はいまの活動ができる」と説明している。

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このように映画『ブルーノート・レコード ジャズを超えて』は、その独立独歩で音楽を発表し続けたレーベルのユニークな軌跡を追ったドキュメンタリー映画だ。アート・ブレイキーが「フリー・フォー・オール」に公民権運動の讃歌としての思いを込めたように、ミュージシャンは音楽に自分たちの生き様や思いを表出させてきた。映画ではそれらミュージシャンたちの数々の名言も紹介され、ヒップホップとの関わりを示す場面にはケンドリック・ラマーも登場する。

現在、グラスパーはブルーノートから離れてしまったが、かつてマイルス・デイヴィスが大手レコード会社に移籍しても、キャノンボール・アダレイ名義でブルーノートに戻ってアルバムを発表したように、またここへ戻ってくるのではないだろうか。『ブルーノート・レコード ジャズを超えて』は、音楽通でなくてもジャズが好きになり、そしてその先にあるものまで感じさせてくれる。常に時代を生き抜く音楽を提供してきたブルーノートらしい、内容の濃いドキュメンタリー映画である。

『ブルーノート・レコード ジャズを超えて』ティザー映像。

『ブルーノート・レコード ジャズを超えて』

監督/ソフィー・フーバー
出演/ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、ルー・ドナルドソン、ノラ・ジョーンズ、ロバート・グラスパー、アンブローズ・アキンムシーレ、ケンドリック・スコット、ドン・ウォズほか
2018年 スイス・アメリカ・イギリス映画 85分
配給/EASTWORLD ENTERTAINMENT
協力/スターキャット
9月6日(金)よりBunkamuraル・シネマほか全国順次公開
www.universal-music.co.jp/cinema/bluenote

 

texte:NATSUMI ITOH

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