あいちトリエンナーレ、現在地とその見どころ。

Culture 2019.09.20

開幕以来、大きく揺れている『あいちトリエンナーレ2019』。問題となった国際現代美術展の参加企画「表現の不自由展・その後」の中止に抗議して、韓国とラテンアメリカの作家を中心に13組のアーティストが展示の一時中断や変更を決めた。
そこで、開幕直後に取材して出色だった作品の中で現在公開しているものと、パフォーミングアーツのプログラムから、厳選して見どころを紹介したい。

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ウーゴ・ロンディノーネ『孤独のボキャブラリー』2014-16 photo:Chie Sumiyoshi

芸術祭のメインビジュアルであるウーゴ・ロンディノーネによるピエロのインスタレーションは、作家自身、表現の自由を訴える作家ステートメントにサインはしたものの展示は続行された。彼の作品は常に視覚的に惹きつけられる魅力があるが、外見に騙されて油断すると、実はシニカルな意味を帯びていて、空恐ろしさをそうっと残していく。くつろいだ道化師たちの無表情の仮面の下をイメージすれば、二枚舌ならぬ2枚の仮面(ペルソナ=人格)を付け替えて生きる隣人や自身のことを思い出すかもしれない。

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袁廣鳴『日常演習』(ユェン・グァンミン)2018 photo:Chie Sumiyoshi

台湾出身の袁廣鳴の2つの映像作品もまた「If もしも」のパラレルワールドを想像させる。『日常演習』は、白昼の無人の都市をドローンで撮影した映像だが、早朝のロケ現場などではない。台北で1978年より毎年恒例となっている防空演習の30分間、国民が屋内に退避した状況を捉えたものだ。わが国で最後に戒厳令が敷かれたのはいったいいつだろう? リアルなら心底ぞっとする光景だが、もしこれを言論や芸術に置き換えたなら、自由な発言や表現が抑圧された沈黙の社会こそ、想像を絶する世界である。

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キャンディス・ブレイツ『Love Story』2016 Featuring Alec Baldwin and Julianne Moore、第57回ヴェネツィア・ビエンナーレ、南アフリカ館、ヴェネツィア(イタリア) Commissioned by the National Gallery of Victoria, Outset Germany + Medienboard Berlin-Brandenburg
Photo: Andrea Rossetti Courtesy of Goodman Gallery, Kaufmann Repetto + KOW

南ア出身でベルリンで活動するキャンディス・ブレイツの『ラヴ・ストーリー』は、Netflixの海外ドラマ並みに引き込まれるので時間をかけて観てほしい。先に6面モニターで移民や難民の人々が国を出なければならなくなった深刻な事情を語るインタビューを観てから、次にジュリアン・ムーアとアレック・ボールドウィンがそれを再現して演じる大スクリーンを観ることをおすすめする。

意図された通り、オスカー俳優のドアップと演技スキルは強烈なオーラと説得力を放ち、魅了する。苛烈な差別や暴力を暴露するエピソードも語られるが、観る側のハリウッド=フィクションの刷り込みはそれらの危機感を煽りつつ、安易にキラキラさせてしまう。報道やドキュメンタリーの「当事者性」についても考えさせる作品だ。

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ミリアム・カーン、会場風景。 photo:Chie Sumiyoshi

ユダヤ系スイス人のミリアム・カーンの絵画の展示室は、周囲の喧しさを余所に、ブレのない美しさをたたえている。しかしそこには、作家が幼い頃に見たビキニ環礁原水爆実験のキノコ雲や、それらの兵器開発を主導したオッペンハイマー博士が自身と同じユダヤ人である事実など、歴史に厳然と横たわるコンテクストが秘められている。曖昧な輪郭線で背景に溶け込む人物像も、冷徹なこの世界に沈み込み、しだいに抽象的な存在になっていく「個」の意識を思わせる。
昆虫を引き寄せる植物のように、アートはときにその「美」によって鑑賞者の関心を惹き、無防備に近寄れば不意打ちで「倫理」を突きつける仕組みを持つ。

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『あいちトリエンナーレ2019』の展示風景。村山悟郎『Decoy-walking』2019 photo: Ito Tetsuo

村山悟郎は複雑な構造の装置空間を制作した。パソコンに保存されたドローイングのうち、いくつかが自動的に「人物」として分類されていたことをきっかけに本作のアイデアが生まれたという。インスタレーション『Decoy-walking』では、人間の歩き方の特徴をコンピューターが認識する「歩容認証」という技術を応用し、この認証パターンを逸脱してシステムを欺くための歩き方を試みるパフォーマンスの実験記録を見せる(ここでうっかりモンティパイソンの「バカ歩き(Silly Walk)」を思い出してしまった瞬間、作品の印象が若干変わったことを告白しておく)。

折しも、芸術祭事務局をコンビニのFAXで脅迫した犯人は、監視カメラの記録映像でいとも簡単に捕まった。その後「あおり運転」事件では、不明瞭なスマホ画像のおかげで共犯者と誤認された女性がネット上で攻撃される二次被害も起きた。無意識のうちに自分の姿が「認証」されて1人歩きする社会は、意識的な攻防の戦場よりもたちが悪い。

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続いてもう1つの主会場、名古屋市美術館を観てみよう。

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『あいちトリエンナーレ2019』の展示風景。藤井光『無情』2019 photo: Ito Tetsuo

藤井光の映像インスタレーションは、うち1面が国立台湾歴史博物館に収蔵された歴史資料で、1940年代前半に台湾の人々を「日本人化」するための「国民道場」の様子を報じたモノクロフィルムだ。もう1面のカラー映像では、愛知県内で学び働く外国人の若者たちがその訓練や宗教儀礼の動作をコピーして再演する。

藤井は、歴史的な事象を現代に再演する手法(リエナクトメント)を用いて制作してきた。本作で興味深いのは、オリジナルの映像が戦時下の空気を反映しながらもどこか思考停止した印象を与えるのに対し、再演映像でははるかに殺気立った雰囲気に見せていることだ。プロの俳優ではない現代人の目つきに宿る不穏な色と虚ろなアクションから、人が自身の「芯」を捨てて何かに盲従することの危機感を受け取った。

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カタリーナ・ズィディエーラー『Shoum』2009

藤井の作品と対になると勝手に思ったのが、ユーゴスラビア(現セルビア)生まれのカタリーナ・ズィディエーラーの映像作品だ。彼女の故郷、旧ユーゴスラビアは「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」と形容される国だったが、1991年以降に分裂と崩壊の道をたどった。本作では、英語を解さないセルビア人男性2人が、英国のニューウェーヴバンドTears for Fearsの1984年のヒット曲「Shout」を聴いて、なんとか歌詞を書き起こそうとする。ところが音の響きだけで当てはめた言葉はまったく意味をなさない空虚な文字の羅列となる。

異なる言語間・文化間の相互理解は不安定で、さらに同じ母国語を使う者同士でも確かではないことが、今回「表現の不自由」事件で明らかになった。思考や感情に適切な「対訳」が付けられるとは限らない。互いの信条への敬意をもって、慎重かつ丁寧に、対話を重ねようとしないところに決して共有は生まれない。

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続いて四間堂・円頓寺エリアへ。江戸時代から続く旧家の蔵や伝統的な建物が残る「四間道」と、名古屋市内で最古の商店街「円頓寺商店街」「円頓寺本町商店街」沿いの建物に展示が点在している。

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「円頓寺ミーティングルーム」の様子。 photo: Chie Sumiyoshi

梁志和(リョン・チーウォー)+黄志恒(サラ・ウォン)は1992年香港にて結成されたデュオ。会場は観覧無料のミーティングルームのスペースで、現在香港を揺るがしている抗議行動への賛同を呼びかけるステイトメントを掲示している。

本作『失われたもの博物館』は、ファウンドフォト(アノニマスな古いスナップ写真)を蒐集し、「そこにたまたま写り込んだ無関係な人物」に焦点を当てる。目に映るもの全てを写しとる素人写真のおとぼけ感と、見過ごされてしまったものたちへの愛情が響きあう。人々がプライバシーやポリコレに目くじらを立てなかった、ひと昔前の長閑な市井に郷愁を感じてしまうと同時に、村山吾郎の監視カメラの作品との不気味な対比に思いを馳せた。

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あいちトリエンナーレ2019の展示風景 弓指寛治「輝けるこども」2019 Photo: Takeshi Hirabayashi

弓指寛治は、2015年に交通事故後に心身のバランスを崩していた母親の自死をきっかけに、「自死」「慰霊」をテーマに創作を続けている。本展では2011年に起きた、てんかん患者であることを隠していた運転手が発作によりクレーン車を暴走させ、6名の子どもの命を奪った「鹿沼市クレーン車暴走事故」を主題に選んでいる。

会場は商店街の“うなぎの寝床”のような店舗空間をさらに細長く2分割していて、壁面の絵やテキストを異様な至近距離で観ることになる。他人とすれ違う際にちょっとイラッとさせることも計算内だろう。子どもが描いた交通安全ポスターのように朴訥とした筆致と、積み上げられた車のパーツが交互に現れる展示構成は、ともに当事者である被害者の失った人生と、加害者の軌道を外れた人生を分かつ境界線を、ナイーヴかつ巧みに表現している。

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一方、あいちトリエンナーレはパフォーミングアーツプログラムに力を入れてきたことでも知られる。今回は国内外の舞台14本が上演され、フェスティバル/トーキョーで初代プログラムディレクターを担当したアートプロデューサー、相馬千秋がキュレーターを務めている。
今回観劇した作品では特に、スイスの演出家/作家ミロ・ラウがベルギーの劇場CAMPOと共同で制作した『5つのやさしい小品』に烈しく揺さぶられた。

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ミロ・ラウ(IIPM)+CAMPO『5つのやさしい小品』 photo:Masahiro Hasunuma

1990年代にベルギーで起きた小児性愛犯罪者による連続少女監禁殺害事件を、当時の証言や資料をもとに、被害者と同年代の子どもの俳優たちが「再現」する。まず1人ずつ自分の特技や将来の夢について語った後、7人の子どもたちは演出家役の男優に指導され、犯罪者の父、被害者やその両親、警察官らを演じる。カチンコを使うことから映像の撮影現場であることがわかる。舞台上方のスクリーンには、同じ場面を大人の俳優たちが演じる映像が投影される。

凄惨な犯行の経緯や、社会との関係を拗らせた犯人像に憤りながら、だんだん引っかかり始めるのが、演出家が子どもたちを支配する高圧的な態度だ(もちろん演技である)。そこには凶悪犯罪と教育指導の現場に共通する「大人と子どもの歪な関係」、ひいては「強者対弱者の権力構造」が透けて見える。児童心理の専門家をアドバイザーに迎えて制作されたというが、この演劇の現場自体が子どもたちに与えた影響を継続的に観察することも本作の一部になるのではないか。

ディレクターの相馬は、例の事件の起こる前のステイトメントで、図らずもこう語っている。
「私たちはどのようにこの扇動劇場と化した社会と向き合っていくことができるだろうか。(中略)この問いへのアプローチとしてまず意識したのは、演劇のもつ『毒にも薬にもなる』力だ。演劇は前述した通り、その起源から、悪や暴力を舞台に上げ、その加害者・被害者の代弁だけでなく、背後にある複雑な社会構造をも扱うことができるメディアであり続けてきた」

確かに舞台作品は、そのとき現場に居合わせることを選択した観客だけが体験できる時間芸術である。より公共性の高い美術館の展示空間に“放置”された作品のように無防備ではない。「毒」も「薬」も、人によって不確かな効用を及ぼす「劇薬」も、内服するかどうかの判断は自己責任に委ねられている。過剰な監視の目が表現活動を注視する時代、演劇というメディアが成熟した鑑賞態度と批評的視点を期待できることを祝福したい。

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劇団アルテミス+ヘット・ザウデライク・トネール『ものがたりのものがたり』 photo:Kurt Van der Elst

今後の上演作も、10月にはオランダの青少年劇団アルテミスによる、演劇の約束事を破ったシュールで不謹慎、ラジカルな話題作『ものがたりのものがたり』が控えているので要チェックだ。また、『あいちトリエンナーレ2019』“ならでは”の政治性・社会性を強く打ち出した作品が今後も目白押しである。

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小泉明郎『縛られたプロメテウス』 Sacrifice, National Museum of Modern and Contemporary Art,Seoul,Korea Photo: Meiro Koizumi 

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市原佐都子(Q)『バッコスの信女―ホルスタインの雌』 ©hagie K

小泉明郎がVR技術を使った初の本格的演劇作品に挑む『縛られたプロメテウス』では、他者の感覚だけでなく感情をも追体験することができるのか? 市原佐都子が、同じくギリシャ悲劇をもとに、男性中心・人間中心に語られてきた性や生殖と倫理観にラジカルな疑いを投げかける音楽劇『バッコスの信女―ホルスタインの雌』には、ダンサー川村美紀子はじめ強烈なキャストが牛と人間のハーフなどを演じるというから、これは見逃がしたくない。

『あいちトリエンナーレ2019 情の時代』
会期:開催中〜10月14日(月・祝)
会場:愛知芸術文化センター、名古屋市美術館、四間道・円頓寺、豊田市美術館、豊田市駅周辺
開館時間:会場によって異なる。
休館日:月(祝祭日を除く)、9月17日(名古屋市美術館)
料金:1DAYパス 一般¥1,600/フリーパス 一般¥3,000 パフォーミングアーツは公演チケットが必要。
問)tel:052-307-6650(国際現代美術展チケット)/tel:052-678-5310(チケット)
https://aichitriennale.jp/index.html

texte:CHIE SUMIYOSHI

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