あの人はなぜ、謝ることができないのか?

Culture 2021.06.18

謝罪はある人にとっては自然なことだが、それを拒否する人や、できない人もいる。過ちを認めることに消極的な人について、考えてみよう。

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謝ることができない人がいるのはどうして? photo:Getty Images

仕事に遅刻した時や誰かにぶつかった時に、「すみません」、「ごめんなさい」と謝るのは当然のマナー。けれども、間違いを犯してしまった時、いざ、この決まり文句を口にするとなると、難しく感じる人や、口にできない人もいる。

謝罪は人間関係に効果をもたらすものだけに、これは大きな問題だ。社会心理学を専門とする教員兼研究者のニコラ・グエガンは、専門誌「脳と心理」に寄稿した記事の中で、謝罪を「社会の潤滑油」とまで言っている。

なぜ、彼らは謝罪ができないのか。過ちを認めない人を責める前に、まずは彼らを理解してみよう。

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過ちを認めることがありえない

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自尊心が高い人ほど、その影には脆い人間が隠れているのかもしれない。 photo : iStock

周囲の人々に目を向けてみると、第1のカテゴリーが浮かび上がってくる。謝る理由が見つからない人、自己評価が非常に高い人たちだ。

「彼らは自尊心を保ちたいので、身を落としてまで自分の間違いを認められません。彼らに言わせると、『火蓋を切ったのは』相手なので、自分の過ちを認めたり、詫びたりするなどは言語道断なのです」と、精神分析学者で『謝罪のパラドックス』(1)の著者であるニコル・ファーブルは指摘する。

謝罪するということは、過ちを犯した人が自分の非を認めること。ゆえに問題は込み入ってくる。

「意識的にせよ無自覚にせよ、謝れない人は、過度に自己イメージを美化しています。自分の弱さを認めない人にとって、謝ることは“自分に欠陥がある”と言っているのに等しいのです」とファーブルは説明する。彼らの高慢な態度の下には、自尊心を必死で守らなければならないような、もろい人間が隠れているのかもしれない。

間違いを認めることは、自分の弱さを認めることと同じであり、これはもちろん共感を示すことが求められる。「謝るということは、相手との違いを認識すること。相手の異質性を認めることは、自分が相手に迷惑をかけたことを認めることを意味します」と臨床心理士のサミュエル・ドックは解説する。

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相手よりも劣っているように感じる

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罪悪感があまりに強すぎるために、それを遮断してしまう人も。photo : iStock

中には、こう断言する人もいる——「メンツを捨ててまで、謝るつもりはない」と。確かに謝罪することは、相手に対する自分の立場を見直すことが求められるので、実行に移すのは難しい。通常考えられているのとは逆に、個人間の関係は平等でないことの方が多いのだ。

「人は常に相手に対して、上または下の立場をとります」と社会心理学者で大学教授のドミニク・ピカール(2)は説明する。例えば、学識という面では教授は高位に、学生は低い立場にいる。「誰かに謝る、ということは、自分が悪いと認め、自分を相手よりも低い立場に置き、ある意味で相手が自分よりも上位に立つことを認めるわけです。客観的であるなしにかかわらず、自分が上の立場に立っていると考えている場合は、謝罪することが難しくなるでしょう」とピカール。子どもに謝るなんてもってのほか...と考えている親にも、同じことが言えるのかもしれない。

また、単に簡単な理由で謝れない人がいることも知っておきたい。本質的に謝罪することを“遮断”してしまうのだ。心理学博士で精神分析者のムッサ・ナバティ(3)によれば、これはより正確にいうと「内なる障壁」にあたるという。

その原因は? 罪悪感だ。私たちの中には罪悪感があるが、すべての人がその罪悪感と健全で友好的な関係を築けるわけではない。罪悪感が存在し、計測されると、過ちを犯した人はそれを感じ、自分のイメージを傷つけることなく、そして自身を破滅させることもなく、許しを請うことができる。

一方、完璧を求める人は、罪悪感があまりにも強過ぎる。「彼らは罪悪感を遮断し、そこから離れ、拒否します。これは防衛本能なのです」とナバティは続ける。

そうした人々を正当化するわけではないが、それでも精神分析者のファーブルは、いまの社会では、私たちが罪悪感を認めることが難しいと指摘する。「50年ほど前、フランスではキリスト教社会に由来する『誤った罪悪感』とも言える気持ちの一掃を試みました。けれどもそれが行き過ぎた結果、誰かに謝るために必要不可欠な罪悪感までも追い出してしまったのです」と語る。

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謝罪を待たない

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相手と戦おうとすると状況が悪化することもある。謝罪は待たず、相手に「あなたの言葉を聞きたい」とだけ伝えよう。 photo : iStock

なぜ相手が謝らないのか、わざわざ考える必要がないこともある。謝罪とは極めて主観的なものであり、すべては結局のところ、ものの見方の問題だ。私たちが謝罪を期待している人は「ただ単に自分には何の問題もないので謝る必要はない、と考えているだけかもしれません」とピカールは指摘する。

謝ることを拒む人も、謝罪できるようになるのだろうか? 「私の考えでは、そうした変化は、その人が罪悪感を肯定的に捉えられるようになり、自分をより愛することによってしか、起こらないでしょう」とナバティは答える。

ファーブルは、謝罪することを嫌う人が自分の性格を変えることはできないとしても、何が問題なのかを意識することはできると考えている。「“これまでずっとこうしてやってきたから”と自分に言い聞かせることはできるかもしれませんが、それは間違い。変わろうとしない人は、最後には孤立し、拒絶されてしまいます」

相手の謝罪を期待する人は、謝れない相手に、それを理解させることができるか? できるが、相手と戦おうとしてはいけない、とナバティは警告する。「性格の特徴を悪化させ、相手がますます自分を犠牲者だと位置づけてしまうことになる」

相手の謝罪の言葉を期待するのをやめることもひとつかもしれない。臨床心理士のサミュエル・ドックは次のように語る。「あなたは相手に欠けている言葉を持っているかもしれません。そういう場合は、互いに話し合い、『あなたの言葉を聞きたい』と相手に伝えるといいでしょう。時間がかかるかもしれません。聞く耳は持たなくても、相手にあなたの言葉は聞こえているのですから、最後には認めるでしょう」。

相手が謝ることができない人だとわかったら、より注意して耳を傾けることも重要だ。ニコル・ファーブルは「言葉では伝わらなくても、行動で伝わることがある」と結論づける。「そして、傷つけた人は、最後にはその償いをするのです」

(1)Nicole Fabre  https://www.youtube.com/channel/UCn6JXot4ojKSB8Jml1Ffb3A
(2)Dominique Picard著「Pourquoi la politesse ? Le savoir-vivre contre l’incivilité」Seuil出版刊
(3)Mossa Nabati 著「Réussir la séparation pour tisser des liens adultes」Fayard出版刊

text:Ophelie Ostermann (madame.lefigaro.fr), traduction : Yuriko Yoshizawa

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