アメリカを変えたバラク・オバマ、60歳の誕生日を祝う!

Culture 2021.08.06

8月4日、元アメリカ大統領が60歳の誕生日を迎えた。アメリカの歴史に新たなページを開き、米国で最も高位の役職にクールという概念をもたらした男の軌跡を画像で振り返る。

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photo:Abaca

「もしいまも、アメリカがあらゆることが可能な場所であることに疑いを持ち、建国の父たちの夢がいまなお生きているのかと疑問を抱き、我々の民主主義の力をなお疑っている人がいるなら、今夜、その答えが示された」。2008年11月4日の晩、大統領に選ばれたバラク・オバマが勝利演説の冒頭に述べた言葉だ。合衆国史上初の黒人大統領の誕生。オバマの大統領就任は世界中に感動をもたらし、すべての人々に希望を与えた。オバマ陣営が用いた選挙戦スローガン「Yes, We Can」は全世界の人々の記憶にいまも刻まれている。

>>【画像】バラク・オバマ、アメリカを変えるために歩いた60年。

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コスモポリタンな幼少期

バラク・フセイン・オバマは1961年8月4日にハワイ州のホノルルで誕生。父はケニア出身のイスラム教徒、母はイギリス系とアイルランド系の祖先を持つカンザス州出身のアメリカ人。両親のバラク・オバマ・シニアとアン・ダナムは、オバマ・ジュニアが3歳のときに離婚している。母親はその後インドネシア人留学生と再婚し、バラクは子ども時代の一時期をインドネシアで過ごす。10歳のときに母方の祖父母が住むハワイの学校に進学するためにアメリカに帰国。学生の頃から聡明で高い志を持ったバラクは、名門コロンビア大学に進み、政治科学と国際関係の学位を取得する。

89年夏、ミシェル・ロビンソンとの出会い

大学卒業後、バラク・オバマは金融業界でキャリアをスタートした。ソーシャルワーカーとしてシカゴのゲットーで働いた後、ハーバード大学で法律を学び、権威ある雑誌『ハーバード・ロウ・レヴュー』の初の黒人編集長に。1989年夏、オバマ青年はシカゴのシドリー・オースティン弁護士事務所で研修を行うが、この事務所に、ハーバード大学卒の若き弁護士ミシェル・ロビンソンが勤務していた。バラクは当時自分のメンターを担当していた彼女に魅かれ、デートに誘う。初デートのときにチョコレートアイスをプレゼントし、そして初キス。1992年10月3日、ミシェル・ロビンソンはオバマ夫人となった。

>>【画像】バラク・オバマ、ミシェル夫人との愛の軌跡。

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2008年と2012年の大統領選挙

名の通った弁護士で、シカゴの民主党内でも有力な人物として一目置かれる存在だったミシェルは、夫に政治の世界に進むよう助言する。バラクは妻の直感に従うことになる。1996年、ふたりの出会いから7年後、バラクはイリノイ州の州議会上院議員に選出される。それぞれにキャリアを積む夫妻には、1998年7月4日に長女マリアが、2001年6月7日に次女サーシャ(本名はナターシャ)が誕生。2008年11月4日に、バラクは得票率52,9%で第44代アメリカ大統領に当選する。任期中にはリラックスしたクールな雰囲気を漂わせるスタイルが注目を浴びた。

パワーカップル

大統領第1期目にオバマ夫妻は大統領職の近代化に努め、アメリカ国民の心を掴んだ。そして2012年11月6日、バラクは得票率51,1%で大統領再選を果たす。2013年、オバマ夫妻は雑誌『フォーブス』が発表するランキング「世界で最も影響力のあるカップル」で堂々1位に輝いている。講演会に、回想録出版、グラミー賞授賞式など、元大統領とファーストレディはマスコミに登場する機会も多い。現在は、ネットフリックスでのドキュメンタリー製作や、インスタグラムでの動画配信、スポティファイでのポッドキャスト配信を通して、それぞれ自らの価値観を発信している。ホワイトハウス入居当初の資産は130万ドルだったオバマ夫妻。現在の推定資産は2億4250万ドルと言われている。「Yes, they can!」

text:Stéphanie O’Brien (madame.lefigaro.fr)

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