【フィガロジャポン35周年企画】 映画大特集は独自路線に! 創刊10周年記念号のテーマでやっぱりパリにクローズアップした2000年。
Culture 2025.08.08
パリ生まれ東京育ちのスタイル誌『フィガロジャポン』は、2025年3月で創刊35周年。パリやパリに生きる人々の哲学から旅、ファッション、食、映画、そしてアートまでフィガロジャポンが発信してきた35年の歴史を編集長の森田聖美が当時の思い出に浸りながら、思い入れたっぷりに振り返ります。2000年に発売したすべての号をプレイバック!
2000年2月5日号(00年1月20日発売)173
さて、ベストコスメはなんだろう?
正解はランコムのプロモディアルローションだった。そして大のマスカラブームにヘレナ ルビンスタインが乗り出してきた。マスカラ博士が当時はヘレナにいたのだと思う。50年代からのコスメクロニクルページがあったり、齋藤薫のコスメトレンドキーワードなど、ミレニアムらしいユニーク企画がいっぱい。ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブが再注目され、人々の関心はキューバへ! そんな時代の幕開けだったのだ、2000年は。
2000年2月20日号(00年2月5日発売)174
デニムとモノグラムとマストバイの競演。
永遠の絶対定番デニムも、この頃はまだタイトだった。現在のヒップホップ風ゆるデカデニムはまだ女性誌のおしゃれ線上にはなかった。そしてブランドロゴを生かしたモノグラムがバッグだけでなく洋服に進出。グッチ、ディオール、ルイ・ヴィトンがとてもキュートだ。ベストバイ・マストバイの言い方は健在、物欲を刺激するおしゃれ作戦を走りきる。映画界の衣装デザイナー、サンディ・パウエルへのロングインタビューも決行し、おしゃれマニアにはたまらない1冊。
2000年3月5日号(00年2月20日発売)175
え? FAXオーダーシートで通販ですか?
前号もおしゃれパワー全開だったが、今号もすごい、そして厚い......! 綴じ込み付録がふたつもあり、ひとつは世界の4都市でスタイリストが古着屋を案内するもの。ロスと書いてあるが正しいのはLAですよ、といつも思ってしまう。そして傑作は、FAXオーダーシートを最終頁につけ、世界のセレクトショップのものを通販で買える、とした企画。本気でやっていてオモシロイ。マリアルイザのワンピースやピエール アルディのシューズ、メーガンパークのバッグやウィンクのTシャツなど。みな可愛い。マギー・ライザーのインタビューがあったり、自然派コスメに訴求したビューティパージなど、個人的に好みの企画も多かった。
2000年3月20日号(00年3月5日発売)176
雑貨という言葉には女の子を魅了するパワーがある。
フィガロジャポンと雑貨という言葉は相性がいいといつも思う。なぜか雑貨好き、手仕事好きな読者も多い気がする。巻頭特集はそんな読者に向けて。たまに読者の方々と会話すると、「見ているだけでもハッピーになる」という言葉をもらう。確かに買うためだけのカタログではなく、夢を、イマジネーションをページに展開するのが肝だ。小さな写真から自室を素敵にするアイデアも。そして、アイビー2000スタイルブック、という企画はハッピーがあふれてた。スクール風の自分たちが経過してきた時代を、年齢を重ねてもおしゃれに纏えたら心の若さがあると思う。26軒のスイーツショップの特集は眼福。美しいスイーツはアールドゥヴィーヴルの一部だと思う。甘い夢を女の子たちに見せてくれる点でも。
2000年4月5日号(00年3月20日発売)177
創刊10周年記念号! やっぱりパリ。
パリ総力特集――とある。そうだ、今号ではパリ取材に行った。フィガロジャポンの旅特集は20~24ページ、30~40軒取材、12~13泊、というのが定番だった。出張前は長い間オフィスを留守にするので、前倒しにたくさん仕事をして、そうとう大変だったことを覚えている。この号ではフランソワ・オゾンのおすすめアドレスを紹介、故・吉武美知子氏とオゾン監督とともにパリのお寿司屋でランチし、薦めてくれた国立自然史博物館には俳優のジェレミー・レニエを呼んでくれた。自由な時代だった。クリストフ・ルメールとレコード店に行ったり、ルー・ドワイヨンの飼い犬のブルドックとともにロケバスに乗ってマレを回ったり......。吉武氏がルーに連絡が取れなくなり、父ジャック・ドワイヨンに電話して必死にお願いしていた姿も記憶に鮮やかに残っている。ボルドーの田舎町取材班もいた。カルチャー企画はパリで味わうフランス映画。特集主義の醍醐味だ。計364ページ!
2000年4月20日号(00年4月5日発売)178
オーストラリアは珍しい。
当時はいまよりもオーストラリアへ渡航する日本人はたくさんいたのではないかしら? 時差はないが、物価は高く、安全なイメージ。ファッション撮影と島や街のガイド、買うべきものなど、フィガロジャポンらしいおしゃれ旅ガイドに仕上がっている爽やかな1冊だ。この後、たしかもう1回くらいしかオーストラリア特集はしてないのではないかな。そして、こんな旅ガイド号に、東京は青山ガイド別冊も付録で。マヨルカ島でのタイアップブックなんかも付いていて、あまりの景気のよさに、いま驚く......!
2000年5月5日号(00年4月20日発売)179
おしゃれスナップ定番化、そして今度はセミオーダー付録にトライ?
おしゃスナ号はもうずっと定番だが、やり方に飽きてまた以前のベーシックな方法に戻ったり。デジタル時代ではスナップはもうスマホで見るのがあたり前だが、限られた誌面の中でどう見せるか工夫するのは本当に難儀なのだ。そして、今号では3月5日号の通販とはまた異なる「セミオーダー企画」に挑戦していたフィガロ。色違い・パターン違いなど、私だけの逸品を探す女性たちへのメッセージ。なんとファッションだけでなくインテリアでもやっていて馬力を感じる。そして、とうとう『ヴァージン・スーサイズ』でソフィア・コッポラが監督デビューしたのもこの頃。もちろん独占インタビューページがありました。「なぜかはわからないけれど、大人でも子どもでもない少女期特有のきらめきに惹かれる」と彼女は応えている。
2000年5月20日号(00年5月5日発売)180
キリヌキ写真について。
雑誌につきもののキリヌキ写真。私はキリヌキをカクハン写真より下に見る編集者が嫌いだ。なぜなら......キリヌキ写真こそ、「アイテム」そのものをしっかり輪郭をとって見せる手法だし、どう並べるかはレイアウトするデザイナーの腕の見せ所。どんなことも蔑ろにしない、テーマやメッセージにあった表現方法を選べない編集者がキリヌキ写真を下に見る人間性の持ち主だと考えている。あ~愚痴言ってすっきり。今号は切り抜きの並べ方が秀逸な巻頭ファッション号。そして、ケータリングブームのせいか、ピクニック特集が行われた号でもある。レシピも付いていて、案外ピクニックメニューは簡単料理としてピクニックに出かけない人にも役立つ。美容は高額傾向がスタート、高級クリームだけで特集し、齋藤薫氏の原稿は相変わらず絶品だ。担当した「スピリチュアルな女性シンガーたち」で、フィオナ・アップルやエイミー・マンを取り上げた。いまでも彼女たちが大好きだ。
2000年6月5日号(00年5月20日発売)181
エスニックなインテリアはお好き?
と聞かれて、2025年のいま「好き」と答える人は少ないかもしれない。だからこそ「ブーム」なのだと思う。当時はバリやベトナム、シノワズリーなどが人気だった。トラン・アン・ユン監督の映画もそこそこヒットしていた。北欧風、インダストリアル風を経て、現在は壁紙にはこだわりの色をあてるミニマルシックなインテリアが人気な気がするが、あれやこれやとブームと選別を語るミーティングは楽しかった。そしてコンプレックスショップなるものも流行り始めた。ファッションだけでなくカフェがある。書店もついている、など。東京・大阪・京都のこういった新店のほとんどはいまは消えている。ジバンシイのメイクアップのタイアップで、いまや「情熱大陸」にも取り上げられるメイクアップアーティストUDA氏と初めて仕事をした。この日のことはよく覚えている。いま見ても、美しいアイメイクだな、と感じる。4Bが作っていた「女の視点」コーナーで、ふだん使いの和食器、というテーマ。この頃から金継ぎしたうつわが出ていた。さすがの目利きだ。
2000年6月20日号(00年6月5日発売)182
街ガイドの時は、総力という言葉に執着。
メディアはちょっとした言い回しに個性が現われるが、この時期のフィガロジャポンは「総力特集」という言葉に御執心だった。だからニューヨークも総力特集。全マップもやってしまい、ジャンル別に徹底的に新ショップを紹介し、レストラン付録付き。エスニックやビストロがブームで、まだオーガニック旋風前夜か? 「元気の出る星占い」の射手座を紹介:お金の苦労が続くでしょう。やはり残酷なフィガロの星占い(当時)だった......。
2000年7月5日号(00年6月20日発売)183
手がけた映画特集のなかでも特に印象深い。
この映画特集はなぜかとても印象深い。スーパーモデルだったミシェル・ヒックスが映画出演し、その『マイ・プライベート・アイダホ』という作品が大好きで彼女を取材した。カメラマンは若木信吾氏で、青山のホテルのロビーで取材スタートをともに待っている時、加藤茶が現われ、「カッコいいね......」と話したことを思い出す。ジュード・ロウのページの見出しが「見とれるくらい美男なくせに、演じる役は見事に多彩。」とある。いいキャッチだ。大インタビュー特集号で、本当に大物がたくさん登場した。高橋ヨーコ氏の写真で、映画『ヴァージン・スーサイズ』を再現するファッションを担当したのは塚本香氏。演出小道具がたくさん必要で、私が家から持って行って貸したレコードプレーヤーは実はこの後壊れてしまった。P60に写っています。また、思い出深く、後悔も深いのは、東京都現代美術館で行われたイッセイミヤケ展の紹介ページ。ライターの方が体調が悪い時に、すごく追い込んでしまった。いまの自分ならあんな酷いことは絶対しないだろう、と我が人生のなかでもそうとう自分自身に嫌悪を感じる追い込みようだった。ページは素敵に仕上がっております!
2000年7月20日号(00年7月5日発売)184
海の碧、強い光、爽やかな風。南イタリアは人生の喜び。
約10の南伊の島々を紹介したヴァカンスとっておきの特集。こういう場所の情報は当時は本当に少なかった。だからフィガロジャポンが行うヨーロッパの田舎や地中海の島の特集などは、ハイソでおしゃれで特別な休日を求める人には「待ってました!」だった。ただのんびりとひろがるイスキアの海、路地裏に子どもたちの歓声がこだまする。これはイスキア島の見出し。訪れたことはないが(カプリ島には2003年に取材で訪れた)、イスキアは本当に素晴らしい場所だと聞いたことがある。美容特集はヴァカンスコスメ。フィガロジャポンではヴァカンスビューティの特集を大事にしていて、それはやはりヨーロッパの洗練を受けているからだと思う。ソニア リキエルやクラランスのアイテムがヴァカンス美容では欠かせなかった。
2000年8月5日号(00年7月20日発売)185
数で勝負!のスーパーカタログ。
とにかくたくさん紹介しよう!と、必ず表紙にも紹介したアイテム数などを入れて主張する時代が雑誌界にはあった。「秋の小物スーパーカタログ203」。なぜかよくはわからないけれど、きりのいい数字よりも、そうでない数字に着地するようがいい、とフィガロジャポン編集部ではよく言われた。一度108という煩悩の数字になってしまい慌てて追加したか削ったか......そんな出来事もありました。ツイードやスエードなど温かみのある素材感が人気のシーズンだった。レトロ風がトレンドだった。そして第2特集では都内のアジアン雑貨店やレストランをフィーチャー。また年に何度かあるバレエカルチャー特集も。そのおかげで、現在のフィガロジャポンもバレエファンに愛されている。歴史のある文化は、はやりすたれに関係なく、きちんと愛して携わり紹介し続けていくべし!なのだ。
2000年8月20日号(00年8月5日発売)186
ホントにこれはレディのヘアスタイル?
いま眺めると......そんなワケないだろう?と思う。とてもとっぽいレディだ。ただ、ボウブラウスやウェービーな30年代風のヘアがランウェイで多かったので、レディとしてしまった。不良っぽいレディはいつでもおしゃれマニアの人気、ということで。マレーシア、タイ、香港、日本のヒーリングリゾートの紹介記事もあり、当時からカラダを整えるために投資することの意義をフィガロジャポンは語っていた、ただしナチュラルな手段で。心に残っているのは横浜フランス映画祭のインタビュー集。ソルヴェイグ・アンスパック監督(『勇気をだして!』にインタビュー中に、通訳の方が涙を流した。乳がん罹患と妊娠を同時に知った監督自身に、医師は寄り添い手術も出産もできるように組み、パートナーの男性は「苦しんでいる君こそ愛しく助けねば」とサポートしてくれた。このインタビューをしてくれたのは故・和久本みさ子氏。和久本氏もガンで旅立ってしまったが、素晴らしい原稿でいつも感動をくれた。そうそう、「ソフィ(・マルソー)のために蘭を買いたいのでどこがおすすめだろう?」と日本で蘭を買おうとしていた当時の夫アンジェイ・ズラウスキー監督もお茶目だった。
2000年9月5日号(00年8月20日発売)187
ファッション大ボリューム号の撮影の数たるや......。
当時はワンブランドストーリーもタイアップもたっくさん入っていて、編集者各人は毎月何本もの撮影案件を担当していた。今号では美容でアナスイやソニアリキエルのテーマを筆者は担当し、ストーリーテリングを考えるのが楽しいページに集中していた。ソニア・リキエルご本人と青山のブティックを回った。ツイードやファーがトレンドのシーズンはベーシックアイテムをしっかりチェックして、購入しておいたほうがいい。まさにこのシーズンはそれだ。一方で、グルメの世界には新風が。キッチンカーがじわじわ流行り出したのはこの頃? TOKYOストリートフード特集ではいまは珍しくない弁当ボックスやエスニックフードの屋台が多数紹介されていた。アンナ・カリーナの独占インタビューも掲載されていて、当時小説もしたためていた彼女は「物語を書くのは楽しい。でも伝記をいま書こうとは思わない。真実を書けば傷つく人がいるから」とコメントしていた。
2000年9月20日号(00年9月5日発売)188
都市+田舎町コンビの大定番。
慣れっ子になるくらいの鉄板企画であった、人気都市+近郊の田舎町特集@英国ロンドン版。なぜこの時期ロンドンであったかといえば、ファッションで英国風がトレンドだったからだ。それも少々素朴さのある、ニットやツイードなどが流行った時期。決してヴィクトリアン風やパンク風ではなく、な時こそガイドと組ませても最適解。そして味をしめて通販企画を3都市のセレクトショップから。その企画の最初の回ははっとするが、出来がよくなってくるのは2回目以降だ、と納得。
2000年10月5日号(00年9月20日発売)189
あのピーターもいた! クリエイターのインテリア実例。
いまや毎年何度か会い、インタビューしているディオールのメイクアップディレクター、ピーター・フィリップス。彼がまだフリーランスのアーティストだった頃、インテリア実例でアントワープの自宅を見せてくれていた。加えて「雑誌がインスピレーション源」といううれしい言葉を残して。今号の実例取材の写真は実に美しく、参考になり、飾る・しまうの工夫に満ちている。でも、オススメはもうひとつ、美容のフットケア特集。パーツケアが美容賢者の新ルールとして際立ってきた時代。特に足ケアまでしっかりできるのは、洗練された人の特徴だ。
2000年10月20日号(00年10月5日発売)190
いまない店を眺めてもなんだか学びがある。
「エキサイティングTOKYO案内。」で、もうない店を見ても至極学びがある。当時はどんな店が注目されていたのか、なぜそのニュアンスのインテリアなのか? それらには必ず理由があって、カルチャーはもちろん当時の社会背景と密接に繋がっている。前号のピーターの言葉にもあるとおり、雑誌から知ることは多いのだ。そしていまこれを書きながら手元にある経年劣化した紙の媒体を見ていると、時間の流れをリアルな気持ちで体感できていい。綴じ込み企画「秋のベストカルチャー」では、恋焦がれていたスガシカオ氏に取材が叶った。とてもうれしいのに、本当に好きな著名人に会う時は、心身ともにものすごく疲れる。「好き」とは疲労を伴うものなのだ。当時編集部で『黄金の月』を毎晩ヘビロテでかけていた筆者に優しく対応してくれていた同僚にあらためて感謝したい。
2000年11月5日号(00年10月20日発売)191
映画特集恒例のモード撮影はチャリエン。
いま見ると、若干まとまりなくごちゃついた構成になってしまっている巻頭特集の「LOVEいっぱいの映画が観たい!」。しかしエネルギッシュなのはカバーにもなっている映画『チャーリーズ・エンジェル』からインスパイアされたモード撮影。映画の世界観にどんずば挑戦していて、やけにモデルたちのポーズがファイティング。本作は、キャメロン・ディアス、ドリュー・バリモア、ルーシー・リューで、女性誌はすごく沸いた作品だ。いままでのグルメガイドに比べ、現存率がすごく高い特集だった「東京カジュアルフレンチ16」。名店には一度は足を運んでおこう、とあらためて思う。
2000年11月20日号(00年11月5日発売)192
たくさん問い合わせを受けたカバーの場所。
フランスのアルザス地方とブルターニュ地方の町を紹介した号で、表紙はどこですか?と何度も読者の方々から電話で問い合わせを受けた。ブルターニュのベルイルかアルス島だったはずだ。美しい景色だけおさえて、アドレスとして紹介していない場所だった。この時代に、マルジェラのブティックが恵比寿にでき、総力特集をした。コンセプチュアルで絶対的。デザイナーが変わってもその哲学が変わらず存在する、美しいメゾン。その他のテーマがインド美容、ハイジュエリー、美味しい本etc. フィガロジャポンは他誌同様幕ノ内弁当的にさまざまな企画があったが、本当にエスプリが利いた毒も勝手もありながら冒険のある知的な特集をしていたんだな、と感じる。
2000年12月5日号(00年11月20日発売)193
もうクリスマス? けれどそのシーズンに向かってキラキラ。
早い。11月20日発売でもうクリスマスをやっていた。ギフトはもちろんパーティへの備えも。クリスマスはファッション、メイクアップ、グルメ、時計宝飾すべてが動く時期。そのあたりがかなり入念だった。おしゃれスナップではモデルやジャーナリストを通り越し、目利きバイヤーが注目しているものは何か、まで手を延ばす。以前「フィガロが来た後は何もなくなる」的なことをプレスルームで言われたことがあったが、まさに。貪欲だった......。
2000年12月20日号(00年12月5日発売)194
バリとタイ、好きな人がいなければ成立しない場所。
以前にも書いたと思うが当時は編集長代理であった村田裕子氏がそうとうのバリ好きで、そのコネクションがなければこういう企画はなかなか成立しなかったのではないか、と思う。インテリアを見せる。そこでおしゃれな人々を見つけなければ撮影対象がないから。この開放的なムードは当時はとても好まれていて、東南アジアからの家具輸入も多かったのではないか? 「新世紀の定番21」という特集では、見事すべてが21世紀の定番として愛され続けているものばかり。松尾千鶴子氏のスタイリングとエディティングで、このページには現在も欲しいものが並ぶ。独占インタビューはヴァネッサ・パラディ。当時こういうすごいネタを持ってきてくれるのはいつも、当時のパリ支局長・村上香住子氏だった。
2001年1月5・20日号(00年12月20日発売)195
デヴォン青木、スペシャルな存在。
デヴォン青木の登場は、また新しいムーブメントがモデル界に吹くイメージだった。その彼女がギャルソンを纏って表紙と中面に。フィガロジャポン編集部内には何人かのハワイ大ファンがいて、この表紙のイメージとは程遠い常夏の爽やかな特集が前半に続いている。ショッピング、ホテル、レストラン、スパとオールジャンルのハワイ。そして真の巻頭特集はファッショントレンドリポートという......。何人エディターがいたのかしら(多分7人で1冊を作っていた記憶!)?