クチュリエ、ユベール・ド・ジバンシイ氏、死去。

Fashion 2018.03.15

訃報。彼のスタイルはオードリー・ヘプバーンによって、世界を巡った。オートクチュール黄金時代の最後のビッグネームのひとりが、91歳で、この週末、この世を去った。

「フィリップ・ヴネは、深い悲しみをもって、パートナーであり、友人であったユベール・タファン・ド・ジバンシイ氏の訃報をお伝えします。ジバンシイ氏は2018年3月10日土曜日、睡眠中に亡くなりました。甥たち、姪たち、その子どもたちが、苦しみを分かち合っています」。クチュール界の貴人の死去は、こんな控えめな言葉で発表された。審美眼の持ち主であり、アートと植物学を愛し、友情に篤く、愛犬家で、自らその邸宅の内装を手がけていた人物。クチュリエとしては、すでに一線を退いていた。大騒ぎとは無縁、懐古的なナルシシズムもなく、悠然と表舞台を去ったのは、1995年7月11日、パリのグランドホテル(現在のインターコンチネンタル)のサロンで行われた最後のショー。彼は、舞台に並んだ白いリネンの作業着を身に纏った80人のお針子と従業員へのオマージュで、このショーを締めくくったのだ。

自ら「永遠の見習い」と称した仕事の虫。43年間、毎朝7時にアトリエに出向き、「ドレスを作るのはいつかやめる時がくるが、ドレスを発見することには終わりがない。人生とは本のようなもの。ページをめくる時をわきまえなくては」と予見していた。羞恥心から、それとも誠実さから? ユベール・ド・ジバンシイは「工業ブルドーザー」の新しい時代には居場所を見いだせなかった。とはいえ、悔恨はない。プレステージの高いオークションのクリスティーズに活躍の場を転じた時代でも、彼は、最もいい時代――「モデルたちがエレガントで、どんなに町外れの場所に行くにも、顧客がきちんとした服装をしていた時代」――に、世界で最も美しい職業に従事していたことを至上の喜びとしていた。ただ、彼が長い間悔やんでいたのは、自分のノウハウを伝承する弟子を見いだすことができなかったことだ。

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オードリー・ヘプバーンという名のミューズ

子どものいない控えめな独身男性だった彼は、クチュール界の中で、精神的な後継ぎを見つけることを夢見ていた。LVMHが次々任命した、時には極端なアーティスティック・ディレクターたちに、彼が自分のスタイルを見出せなかったことは異論がないかもしれない。ジョン・ガリアーノ、アレキサンダー・マックイーン、ジュリアン・マクドナルド、リカルド・ティッシ。そして、2017年3月にアーティスティック・ディレクターに任命されたクレア・ワイト・ケラーまでは。英国人である彼女は、メゾンの創立者に是非とも出会いたいと望み、ユベール・ド・ジバンシイは、初めて自分の後継者に心を開いて、そのスタイルの基本を伝授した。去る1月に行われたオートクチュールのショーは、ジョルジュ・サンクのメゾンで今も「ムッシュー」と呼び慣わされている創設者の遺産への思いがけないオマージュ。力強い黒や、彼のミューズ、オードリー・ヘプバーンへのオマージュだ。

プロテスタントの貴族家庭に生まれた創立者の手の跡は、究極のエレガンスの中に感じられ、外科手術を思わせる正確さで 美のバランスを操る。行き過ぎもなく、不足もない。 師であったバレンシアガは、彼に観察することを教えた。「花を縫いつけ、ディテールをたくさん加えるのはクチュールではない。ラインしか存在しない、極めてシンプルなドレスを作ること、それが偉大なクチュールだ」。ユベール・ド・ジバンシイは、計算された無造作、細身のシルエットの中に流れるようなラインを包み込んで、戦後、コルセットを着用していた女性たちを解放した。胸元はシンプルに、背中はゆったりし、軽い布地が美しいラインを作る。若きクチュリエは、モードに快適さを加えて革新をもたらした。高級プレタポルテの先駆者として、彼は4年間勤めたスキャパレリで、かの有名な「セパレート」を発明した。それはブラウスとスカート、ジャケットとパンツをコーディネートしたラインを作り、顧客が気分によって組み合わせるというものだった。

才能は頭角を表すもの。1952年2月に初のコレクションを発表するや、「エル」のディレクター、エレーヌ・ラザレフや「ハーパーズ・バザー」の伝説の編集長カーメル・スノウの慧眼に留まる。白と黒だけのショーは、ベッティーナ・グラツィアーニをはじめとする美しき女友だちによってプレゼンテーションされた。この時のショーで着用したブラウスにはベッティーナ・グラツィアーニが名を残し、カルト的なアイテム、ベッティーナ・ブラウスになった。

成功の理由は?と聞けば、「友情のおかげ」とユベール・ド・ジバンシイは答えただろう。控えめな地方出身者(フランス北部の旧家の出身で、ボーヴェ生まれ。彼はこの街に香水工場を置いた)の道のりは、オードリー・ヘプバーンの歩みと密接に絡んでいる。子鹿のような目をしたいたずらっぽいこの女優こそが、ジバンシイ・スタイルを完璧に、そして忠実に体現した。ジバンシイのアメリカでの知名度を確実なものとし、その顧客の70パーセントを数えるまでにしたのは、彼女なのだ。彼女が身につけた忘れられないルックには、ビリー・ワイルダーの映画『麗しのサブリナ』の花刺繍のある黒と白のオーガンジーのドレスや、『ティファニーで朝食を』の、カペリーヌ帽とサングラスに合わせたシルクのフーロードレス。友人であり、ミューズであり、ジバンシイの初期のフレグランスのひとつ「ランテルディ」のミューズを無料で務めたのも彼女だ。

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師、バレンシアガ 

もうひとつの決定的な出会いは、クリストバル・バレンシアガ。有名なスペイン人クチュリエの元でキャリアを開始したい、と夢見ていたユベール・ド・ジバンシイは、1953年、偶然、ニューヨークの社交の席でバレンシアガに出会う。互いへの深い尊敬の念は、ふたりのクチュリエを結びつけることになる。次第に、バレンシアガは、愛弟子に仮縫いサロンを開放し、パリのジョルジュ・サンク通りにある自分のアトリエの隣にアトリエを見つけてやり、香水への進出を後押しし、自分のメゾンのお針子を雇うようにすすめたりもした。そして1968年5月、クチュール・メゾンを閉めることを決めると、クリストバル・バレンシアガは、顧客たちにジバンシイを推薦した。

「クラシックなオートクチュールのメゾンを望んだことは一度もない」

そう、顧客といえば! ユベール・ド・ジバンシイはリッチで有名な女性たちや、陽気なエキセントリックな人たちにそのキャリアを捧げ、そこからインスピレーションをくみ取った。クチュリエであるより前に、これらの豪華な女性たちにとって、彼は打ち明け話の相手であり、シックなソワレの共犯者であり、またある時には内装のアドバイザーでさえあった。建築家になっていてもよかったほど、彼の家具についての洗練された趣味は評価が高く、家具師ブールをはじめとする18世紀の家具を収集し、現代アート作品と巧みにミックスしていた。彼を取り巻く女性たちは、エレーヌ・ロシャス、ウィンザー公爵夫人、ビスマルク伯爵夫人、ベアトリス・パティノ、ローレン・バコール、あるいは億万長者のバニー・メロン。こうした人たちを迎えるために、彼はトゥーレーヌ地方のジョンシェの邸宅の一室を常に空けていた。身長が2メートルもあろうかというこの美丈夫 にとって、女性たちの存在は常に大きな位置を占めていた。若くして夫を亡くした母は、自分の息子にエレガンスとは何かを教えた。彼の 伝説的な気品は幼い頃から培われ、オートクチュールの黄金時代の最後のビッグネームのひとりである彼の生涯にわたって、輝き続けた。

その晩年は、フランスを代表するクチュリエとして、自分の仕事に捧げられたいくつかの展覧会に精力を傾けた。2017年10月、カレーのモードとレース博物館で開催された「ユベール・ド・ジバンシイ回顧展」の機会に、「マダム・フィガロ」の誌面で、彼はこんな言葉を寄せている。「クラシックなオートクチュールのメゾンを望んだことは一度もない。私の夢は、大きな店を作り、そこで女性たちが想像力を膨らませ、簡単に着るものを選べるようにすることでした。旅先でも簡単に着られ、美しい素材でできているが、高価でない服を」。今の私たちの時代にも響くマニフェストだ。

創始者の死去についての、メゾン ジバンシイの最初の声明

「メゾン ジバンシイは、創始者であり、フランス・オートクチュール界の忘れるべからざる人物、半世紀以上にわたってパリ エレガンスのシンボルであったユベール・ド・ジバンシイ氏にオマージュを捧げます。今日もなお、彼のモードへのアプローチとその影響は生き続けています。1952年の初のオートクチュールコレクションですでに、ユベール・ド・ジバンシイはセパレーツを打ち出しました。その2年後、彼は他に先駆けて、高級プレタポルテのラインを発表します。また、40年以上もの間友人でありミューズであったオードリー・ヘプバーンのために永遠のエレガンスをたたえたシルエットをクリエイトすることで、国際的なモードに革命をもたらしました。彼の作品は、その時代にも、現代にも合うものです。彼の死去で、メゾン ジバンシイにも、モード界にも、ぽっかりと大きな穴が空いたようです」

LVMHグループの取締役会長ベルナール・アルノーの声明

「ユベール・ド・ジバンシイ氏の訃報に深い悲しみを覚えます。世界のモードの頂点だった1950年代以降のパリに居を構えたクリエーターの中で、ユベール・ド・ジバンシイ氏のクチュール メゾンは別格でした。プレステージの高いロングドレスにも、昼間の装いにも、ユベール・ド・ジバンシイは 、革新性と永遠性というふたつの価値の類稀な融合を実現しました 。ご家族と、近しかった方々に、心からお悔やみ申し上げます」。

クレア・ワイト・ケラー、ジバンシイのアーティスティック ディレクター

「ジバンシイに来てから出会う機会を得て、近づきになった偉大な人物、アーティストの死去に、深い悲しみを感じています。ユベール・ド・ジバンシイ氏は、その遺産が今日のクリエイションを培っている意味で、モード史における偉大な人物であるばかりでなく、この上なくエレガントで魅力的な人でした。私にとって、心に残る、文字通り本物のジェントルマンです。近しかった方々に心から哀悼の意をお伝えします」

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texte : Christine Halary (madame.lefigaro.fr)

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