カール・ラガーフェルドが見せてくれた蜃気楼よ、さようなら。
Fashion 2019.02.20
パリのアパルトマンでのカール・ラガーフェルド(1976年11月25日)photo:Getty Images
texte:Laurence Benaïm(madame.lefigaro.fr)
2019年春夏、シャネルのオートクチュールコレクションで、その欠席が惜しまれてから3週間。
彼は本当に逝ってしまった。カール・ラガーフェルドは、きっと、著名人たちの悲しそうな顔など、おそらく気にしないはずだ。
もしかして……。もしミラノのフェンディの日だったら? 3月5日のパリ、シャネルの2019−20秋冬プレタポルテのショーの場だったら? あるいは、去る1月22日のオートクチュールのフィナーレで、挨拶に出ていたら?
2019年2月19日、カール・ラガーフェルドの訃報に、モード界全体が、まるで冬の限りない悲しみに頭から倒れ込んだかのような雰囲気に陥った。
ゲーム・オーヴァー。
突然、カールは消えてしまった。1ヶ月前、オートクチュールのショー会場グラン・パレで、彼の欠席の知らせは、まるでさよならの約束のように会場に響いた。くるぶしが悪い、いや腰らしい、コルチゾンを投与している、など様々な噂が、会場に黒雲のように立ち込めた。舞台装飾の天国の庭園と「ヴィラ・シャネル」は、思えばすでにフィルムに写った蜃気楼に似ていた。スタンダールが「人生のバルコニー」のようだと語ったトスカーナへの、現実離れした旅に。
カール・ラガーフェルドが公にしていた病はたったひとつ、本に目がないこと。唯一の病、決して治りたくなかった病だ。アルコールを好まず、ドラッグにも手を出さず、禁欲のマラソンランナーとして、あらゆるファンタジーを知る博識家として、モードを「静かに、冷静に、組織的に」実行した人物。糸杉も、ヤシの木も、花咲くオレンジの木も、さようなら。クチュールのショーへの欠席が惜しまれてから3週間、彼は本当に逝ってしまった。衝撃は大きい。
シャネルで1983年から、フェンディで1985年から、そして自分自身のブランドでは1984年からアーティスティックディレクターを務めたカールは、常に新しいものを生み出す目であり、動き続ける線であった。「私は息をするようにデッサンする。呼吸とは注文に応じてするものではない。それはただ、やって来るもの」。
彼は絶対的な直観にしたがって生き、色を通して、あるいは数々の本を通して呼吸する。「本がなくては生きていけない。本がない部屋は死んでいるも同然だ」。
でも一体、いつカールに本を読む時間があったのだろう?生前はいつもあっちこっちに同時に出現していたように見えたのに。頑固さのあまり、規律を守るあまり、極限まで自分に厳しさを課していた。
彼は現代人の中で最もバロック的な人物であり、自ら、自分は自分自身のカリカチュア(風刺画)だと言ってのけた。「私にとっては、1年中がヴェニスのカーニバル」。ピカピカの白い衿、ヒルディッチ&キーのシャツを、彼は常にエレガントな仮面のように身につけていた。パウダーをかけたヘアは、キャットウォークのウォーホルであり、衝撃を与えることをこの上なく愛する彼にとって、最高の装飾品だ。姿を隠す人、自己矛盾に満ちた人。クチュリエ、写真家、イラストレーター、コレクター、自分自身の人形使い、そうしたすべての行為に100パーセント全力を注いだ人。彼は回顧を嫌い、再構築するために思い出を破壊した。人生なんて、たかが、もう一つの舞台装置、とでも言うかのように。貴重だから、染みがつくことのないようにした封筒。絶対的な規範。彼は人よりも、自分自身に対して厳しかった。2000年、ただ、エディ・スリマンのスーツを着るためだけに、42キロ減量した。服を着る「ハンガー」になることを望んで。
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「孤独は最大の贅沢だ」
カール・ラガーフェルド
1933年生まれと言われるカール・ラガーフェルドが旅に出たのは、冬のある日。ただの冬の日ではない。彼は雪を恐れたが、それよりも、自分の年齢が明らかになる方を恐れていた。「子供の頃、姉と共に(ウィンタースポーツで有名な)キッツビュールに送り込まれた。姉はモノスキーをしたけれど私は死ぬほど退屈した……その日から、私は金輪際ウィンタースポーツなどするものかと心に決めた」。滑るくらいなら外に出ない。逸脱させるものは避けるのだ。
この日、カールは、まるで、自分が出席しないパーティに招待客を呼ぶギャッツビーのように、瞳に皮肉をたたえながら、こう言っていたかもしれない。「人にいつもくっついていたがるこの強迫観念は何事だ?孤独は、最大の贅沢なのに」。あの「Guignols de l’info」(マリオネットによる風刺ニュースのテレビ番組)で、1997年、モード界で初めてのマリオネットになったカール・ラガーフェルドは、自分の人生を演出し、その演出から、長く残っていくことを学んだ。一人で暮らし、みっともない姿で発見されないために毎晩きちんと服装を整えた。自分自身への最悪の攻撃、それは気を抜くこと。肩の力を抜こう、という考えに取り憑かれている時代にあって、彼は自分のワーカホリックと上手に付き合うことに長けていた。どの国の住民でもなかった彼だが、気を抜かないために、自分自身の拡張現実世界の住民になったのだ。1日48時間労働の信奉者、投票は一切せず、愛猫のシュペット・ラガーフェルドを抱いて、時代の空気を逆撫でするーーそんなポリティカル・コレクトネスに反する人物像を和らげる優しい取り巻きは幾人かいた。
カールが見せてくれた蜃気楼よ、さようなら。長く残るために刹那を信仰し続けた人物よ、さようなら。ショーのたびに彼がイメージした目を見張るような舞台装飾、そのうっとりするような変貌の数々にも別れを告げよう。地中海のヴィラと二重階段、本物のプールと芝生を1月22日の冬のパリに出現させた最後のショーをはじめとする、彼の舞台装飾。そのいくつかはモードとファッションショーの歴史の中に刻まれるのだ。まるで、飾り棚にしまわれるスノーボールのように。そして他のいくつかは、ネオクラシックアートとヴィラ・ケリロス邸をこよなく愛した、耽美家カール・ラガーフェルドのシナリオ化された遺言として世に残るだろう。オートクチュールの最後のショーのために作られたヴィラ・シャネルは、うわべの魔術師の最後のびっくり箱だった。ポップカルチャーのアイコンである彼の、バックでまとめたカトガンヘアと黒眼鏡のイメージは、シュタイフのテディベアやバービー人形など、ユーモアをたたえた玩具になった。ビデオゲーム、アニメ「Moot-Moot」や「マイリトルポニー」、レジ・ジョフレの小説「Tibère et Marjorie」にも登場している。
だらしない服装に対する彼の憎悪は、ずいぶんと揶揄の的になった。みんな仲良く、は彼のタイプではなかったのだ。数々のフランスのインテリたちが、彼の悪口を言ったものだ。「ラガーフェルドが着ているジャボ付きシャツ、結びネクタイ、サテンの折り返しのついたスモーキングを脱がせ、動物の革で覆うだけでいいのだ、と私は突然気がついた。そうすれば、彼はテウトネス族(ドイツ人の先祖の意味で使われる)の役を演じるのにぴったりだ」とフランスの小説家のミシェル・ウェルベックは「La Possibilité d’une île」(2005年)の中で述べている。「一見すると、モードの王は、彼自身がプレスに与えているイメージに似ているが、それよりちょっと温かく、柔らかく、しっとりしているといったところか。もしこうした場で真実について話すことができるのならばだが、本物の彼は、非常に愛すべき性格を漂わせた人物だった」と、2010年、作家のマリー・ニミエは「Photo Photo」に書いている(ラガーフェルドが「パリ・マッチ」のために彼女のポートレートを撮影したことを綴っている本)。この本によると、グレーか黒の革の手袋をはめた「綱渡曲芸師」カールは、自分を「プロの殺し屋」と述べていた。
シャネルを語るとき、彼は自分を「ブランドを永続させる使命を帯びた傭兵」と表していた。グラン・パレの大きなホールを、彼はあらゆる形に変貌させた。セーヌ河畔、ヴェルサイユ宮殿、スーパーマーケット、ヴェルドン峡谷、ビーチ、オスマン様式の街並み、本物のロケットを設置、エッフェル塔を立てる……
毎回、招待客は唖然とし、次はどんな驚きが待ち受けているのか、と思いを馳せる。カール・ラガーフェルドは本物の舞台装置家。すべてお見通しの彼は、2020年から予定されている工事のためにグラン・パレから追い出されるよりも前に、自分からこの場を去ることを選んだのだ。(ここに最後に作られた)ヴィラ・シャネルは、カール・ラガーフェルドが80年代に住まいのひとつとしていた、ハンブルクのブランケネーゼの高台にある1920年建築のヴィラ・ジャコの鏡像として心に残り続ける。1989年に亡くなった彼の生涯の愛、ジャック・ドゥ・バシェールへのオマージュがヴィラ・ジャコの館の名になっている。
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「私は思ったことを言う。自由なヨーロッパ人だからだ」
カール・ラガーフェルド
カール・ラガーフェルドにとっての天国とはなんだろう。彼のエデンの園は、多くの人たちが地獄とみなすものに多かれ少なかれ似ているのではなかろうか。それは仕事、仕事、仕事。そして絶え間ない模様替え。今日はメンフィス風、明日はマーティン・ゼケリーのベッド、ブルーレック兄弟の照明、そして取り出して見ることのできない、頭の中のイメージたち。「私は思ったことを言う。自由なヨーロッパ人だから」。その言葉は的を射る。扇は消えたが、Ipadをコレクションしながら18世紀をたたえ続け、重圧はますます重くなりながらも、軽やかなエスプリを保っていた。まるで時間という忌々しいものは自分には関係ないとでもいうように。1日、あるいは1週間、時には数年前に中断された会話を再開した。思い出よりもしつこい悔恨を抱く人にとって、時をうまくあしらう最良の方法は時を軽蔑することだとでもいうように。ただちょっとヴァンセンヌの工房の陶器のモチーフをスーツに刺繍するために、頻繁に18世紀に超特急で往復する。ル・コルビュジエを招いてマリー=アントワネットとおしゃべりさせる。なにも生き残らせようとはしない。が、どれも生きたままキープする。常に遊んでいる。アラベスクと直線を、ピンクと黒を戯れ合わせ、羽根を葉のように扱い、人生を紡ぎ、織り上げてツイードに仕立てた。
「表面のちゃんとした表面的な人」である彼は、「調子の悪い日」には友人に会おうとしなかった。それは彼にとって不名誉なことだから。彼の打ち明け話は誰が聞いたのだろう?鏡に映った自分にさえ、打ち明け話をしなかった彼が?カール・ラガーフェルドはおそらく、自分の葬儀に集まる名士たちの悲しみの顔など、全く気にもしないだろう。
シャネルはスーツとカメリアを、彼女自身の発明として残した。カール・ラガーフェルドは何千ものドレスとアクセサリーを、自分は全く足を踏み入れなかった驚くべき自宅ミュージアムにごっそりと積み上げていた。まるで開きっぱなしの本のように。あれも、これも、どれもリニューアルされる可能性を秘めて。「私は完全に予測不能」。残るのは、彼の不在がモード界に引き起こす津波。彼がモードにもたらしたもの、彼自身がその化身であったモード、過去の世界の証人であると同時に、永遠の旅人。彼は、彼自身が絶対とした現在という名のもとに、回顧を拒否したのだ。
※文中の引用は全て、フラマリオン刊、「Le Monde selon Karl」Jean Christophe Napias et Sandrine Gulbenkian著より。
カール・ラガーフェルドと身近な人々。
ヴィルジニー・ヴィアール
シャネルのクリエイション・スタジオのディレクターで、カールの後任となった。カール・ラガーフェルドとカリーヌ・ロワトフェルドによる書籍『La Petite Veste Noire』の出版記念ランチの席にて、パリ、グラン・パレ、2012年11月8日 photo:Bertrand Rindoff Petroff/Getty Images
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エリック・プルンダー
2007年5月18日、ロサンゼルスでのシャネルのクルーズコレクション に訪れたところ。サンタ・モニカ空港にて。photo:Billy Farrell/Patrick McMullan/Getty Images
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カロリーヌ・ルバール
2016年4月26日、ブラジル、サンパウロにて。パヴィヨン・イベラプエラ・ビエンナーレでのリアフエロのカール・ラガーフェルドのショーにて。photo:Luciana Prezia/Getty Images
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セバスチャン・ジョンドー
カールのボディガード、キャンペーンモデル。2014年10月9日、パリ、マルブフ通り38番地のカール・ラガーフェルドの新ショップオープンにて。photo:Nicolas Genin/Abaca
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モデルのブラッド・クローニングとその息子、ハドソン・クローノング君
2016年3月20日、カリフォルニア、ハリウッドのサンセット・タワーホテルにて、「ファッション・ロサンジェルス・アワーズ」。デイリー・フロント・ロウ・マガジン photo:Donato Sardella/Getty Images
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ブラッド・クローニング、カール・ラガーフェルド、バティスト・ジャビコーニ
メンズモデル。AmfAR、2010年5月のエイズ関連ガラ。第63回カンヌ映画祭中、アンティーブのホテル・デュ・カップにて。Olycom/Abaca
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アマンダ・ハーレック
カールのミューズ。BAFTA チャールズ・フィンチ&シャネルのソワレ、2018年2月17日、ロンドン、メイフェアのマークス・クラブにて。photo:Isabel Infantes/PA Wire/Abaca
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イングリッド・シシー
『インタビュー』誌の元編集長。2014年11月7日、ニューヨーク、MOMAでのルイ・ヴィトン・モノグラムのローンチセレモニーにて。Monica Schipper/FilmMagic/Getty Images
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カール・ラガーフェルドによるシャネル、忘れられない舞台装飾。
コンピュータ
常に先端のテクノロジーに詳しいカール・ラガーフェルドは舞台の背景にしばしば導入。2006年春夏プレタポルテコレクション。(グラン・パレ、パリ、2005年10月7日)Photo Getty Images
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プライベートジェット
2007−2008クルーズコレクションは、サンタモニカ空港の駐機場が舞台。
(アメリカ、2007年5月18日)Photo Getty Images
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ツイードのジャケット
2008年春夏オートクチュールコレクションでは、メゾンのアイコン的アイテム、ツイードのジャケットにオマージュ。(グラン・パレ、2008年1月22日)Photo Getty Images
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回転木馬
パールの魔法の回転木馬は2008−2009秋冬プレタポルテコレクション。(グラン・パレ、2008年2月29日)Photo Getty Images
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カンボン通りのファサード
お客がカンボン通り31番地まで行かないなら、お店の方からやって来ましょう。2009年春夏プレタポルテコレクション。(グラン・パレ、2008年10月3日)Photo Getty Images
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シャネルno5のボトル
メゾンのアイコニックな香水が、モードの世界にやって来た。2009−2010秋冬オートクチュールコレクション(グラン・パレ、2009年7月7日)Photo Getty Images
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田園風景
農場、干し草のベッド、牧歌的な軽さ……2010年春夏プレタポルテコレクション(グラン・パレ、2009年10月6日)Photo Getty Images
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流氷
グラン・パレに、スウェーデンの氷の塊を運び込んだ?カール様に不可能はない。2010−2011秋冬プレタポルテコレクション(グラン・パレ、2010年3月9日)Photo Getty Images
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巨大なライオン
ガブリエル・シャネルのシンボルであるライオンが荘厳に佇む。(高さ2メートル、長さ20メートル、重さ7.2トン)前足が巨大な真珠の上に。2011−2012秋冬オートクチュールコレクション(グラン・パレ、2010年7月6日)Photo Getty Images
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火山のデコール
木製の通路と火山の組み合わせで、ダークな雰囲気。2010−2011秋冬プレタポルテコレクション(グラン・パレ、2011年3月8日)Photo Getty Images
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ヴァンドーム広場
招待客をヴァンドーム広場の夜の散歩に誘った、2011−2012秋冬オートクチュールコレクション(グラン・パレ、2011年7月5日)Photo Getty Images
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水中のデコール
水中にダイビングしたようなおとぎのデコール。貝殻の中には、シンガーのフローランス&ザ・マシーンという真珠まで隠れていた。2012年春夏プレタポルテコレクション(グラン・パレ、2011年10月4日)Photo Getty Images
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インドの宮殿
メティエ・ダール、パリ=ボンベイのショーでは、マハラジャの宮殿の真ん中にバンケットをしつらえて。(パリ、2011年12月6日)Imaxtree
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飛行機
2012年春夏オートクチュールコレクション、開始前に、シートベルトをお締めください。(グラン・パレ、2012年1月24日)Photo Getty Images
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ミネラル
クオーツとアメジストが真っ白な石の大地から突き出る。2012−2013秋冬プレタポルテコレクション。(グラン・パレ、2012年3月6日)Photo Getty Images
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風車
2013年春夏プレタポルテコレクションが行われたのは、風車の並ぶ大地で、(グラン・パレ、2012年10月2日)Photo Getty Images
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地球
2013年秋冬プレタポルテコレクションでは、地球が目の前に。
(グラン・パレ、2013年3月5日)Photo Getty Images
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アポカリプス後の劇場
クチュリエの仕事とは、昨日の遺産を明日のモードにつなげること。打ち捨てられた劇場の中に未来の街が姿を表す装飾に託されたビジョン。2013−2014 秋冬オートクチュールコレクション、(グラン・パレ、2013年7月2日)Imaxtree
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アートギャラリー
モードとアートはそれほど離れていないから、会場はモダンアートのギャラリーに。2014年春夏プレタポルテコレクション。(グラン・パレ、2013年10月1日)Imaxtree
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スーパーマーケット
モードファンの夢は?ダブルCのロゴがついたスーパー、シャネル・ショッピングセンターでお買い物。2014−2015秋冬プレタポルテコレクション(グラン・パレ、2014年3月4日)Imaxtree
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パリの街角
2015年春夏プレタポルテ。グラン・パレに出現したのはデモの雰囲気とパリの街角。もちろん、オスマン通り!(グラン・パレ、2014年10月1日)Imaxtree
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エキゾチックガーデン
カール・ラガーフェルドは、エキゾチッックでポエティックな庭園に花を咲かせることにもトライ。2015年春夏オートクチュールコレクション。(グラン・パレ、2015年1月27日)Imaxtree
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カジノ
ヴァネッサ・パラディ、リリ=ローズ・デップ、ジュリアン・ムーアといったスターが招待され、とってもロワイヤルなカジノで遊んだ。2015−2016秋冬オートクチュールコレクション。(グラン・パレ、2015年7月7日)Imaxtree
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空港
2016年春夏コレクションにご搭乗ください。(グラン・パレ、2015年10月6日)Photo Getty Images
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パリの街角
ローマで開催されたメティエ・ダールのショー。カール・ラガーフェルドが再現したのは、モノクロ映画の舞台装置風のパリ。(ローマ、2015年12月1日)Photo Getty Images
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日本庭園
緑、木、そして水。2016年春夏オートクチュールの装飾は、コレクション・マラソンの期間にゼンなブレイクを。2016年春夏オートクチュールコレクション(グラン・パレ、2016年1月26日)photo Imaxtree
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オートクチュールアトリエ
2016−2017秋冬オートクチュールでは、本物のお針子さんが仕事をするアトリエを再現。メゾンの成功を陰で支える人々にエレガントなオマージュを捧げた。(グラン・パレ、2016年7月5日)Imaxtree
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鏡の間
グラン・パレが、鏡の館に。2017年春夏オートクチュールコレクション。(2017年1月24日)Imaxtree
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打ち上げ台
そう、カール・ラガーフェルドはロケットの打ち上げだって行った。2017−2018秋冬プレタポルテコレクション。(2017年3月7日)photo Imaxtree
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オリンポス山
グラン・パレがオリンポス山に変化した、2017−2018クルーズコレクション (パリ、2017年5月3日)Photo Getty Images
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エッフェル塔
雲の中にそびえるエッフェル塔。さすがマエストロ! 2017−2018秋冬オートクチュールコレクション。(パリ、2017年7月4日)Photo Getty Images
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ヴェルドン渓谷
パリにヴェルノドン渓谷を出現させた、ラガーフェルドのマエストロぶり。2018年春夏プレタポルテコレクション(グラン・パレ、2017年10月3日)photo Imaxtree
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バラ園
シャネルがヴェルサイユのバラ園に行ったのではなく、バラ園がシャネルにやってきた。ル・ノートルが手がけたヴェルサイユの庭園とみ違うばかりの庭で行われた崇高なコレクション。2018年春夏、オートクチュール。(パリ、2018年1月23日)Imaxtree
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魔法の森
限りなく続くモード月間、2018−2019秋冬プレタポルテのショーは、秋の森を散歩するひとときに。(2018年3月6日、パリ)Imaxtree
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シャネル・バイ・ザ・シー
2009年5月、シャネルのモデルたちはヴェニスのリドのビーチを歩いた。2019年春夏プレタポルテのショーでグラン・パレの床に敷かれた砂がヴェニスから来たかは知る由も無いが、その人口の波は、2009年当時の本物の波に決して引けを取らなかった。(2018年10月2日、パリ)Imaxtree
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まるで南仏のよう
2019年1月22日、モードの首都に大粒の雪が舞っていたその時、カールの太陽はグラン・パレのガラス屋根の下で輝いていた。シャネルに不可能という文字はない。2019年春夏オートクチュールのショーの招待客は、地中海の豪華な巨大庭園にぬくぬくと集っていた。Photo Getty Images
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カール・ラガーフェルドが死去。
texte:Laurence Benaïm(madame.lefigaro.fr), traduction:Masae Takata