戦時下の英国を支えた、ウィメンズ・ランド・アーミー。
Fashion 2023.10.20
マックスマーラの2024年春夏コレクションのインスピレーション源となった、ウィメンズ・ランド・アーミー。最初に結成されたのは1917年の第一次対戦中のイギリスだった。
Max Mara 2024 Spring & Summer COLLECTION
兵士として多くの男性が戦地に赴いたために農業などの力仕事の現場で人手が足りなくなり、国は彼らに代わる国内の労働力として女性たちに呼びかけた。そうして集まった彼女たちはランド・ガールズと呼ばれ、「女性が男性の代わりを務められるはずはない」という声も上がるなかで戦時中のイギリスの農作物生産に大きな役割を果たして国民の台所を支えた。
ケント州にあるジャム工場に併設されたティップツリー・ジャム博物館の展示から。1942年に約40人のランド・ガールズたちがジャム用の果物園で働いていたという。
そして第二次大戦が始まる直前の1939年6月に再び結成となる。最初は対象年齢は20歳から30歳までの未婚の女性、もしくは子供のいない未亡人だったが、のちに19歳から43歳までに広げられた。さらには自主的な参加ではなく徴兵制になる。1944年には8万人以上がランド・ガールズとして職務にあたっていたという。
その多くは家族の元を離れ、農場や作業場場近くのホステルを宿として暮らしていた。彼女たちの仕事は多岐に渡り、畑での農作業以外にも、酪農や林業、土地の開発、さらにはロンドンのキューガーデンなどで園芸作業に従事するものもいたという。
ケント州にあるジャム工場に併設されたティップツリー・ジャム博物館の展示から。ジャム用の果物園で作業するランド・ガールズたち。
当時の農作業に従事する男性の週給は平均38シリング。しかしランド・ガールズたちは28シリングしか受け取れず、さらにその半分の14シリングは宿泊料として納めなくてはならかった。なかには無給で働かされていた女性たちもいたとか。休日はなく、労働時間は冬場で週48時間、夏場で50時間。しかし1943年には労働基準が見直されて、1年のうち1週間だけは休暇が認められるようになった。
アーミーという名前とはいえ軍隊ではないながらもグリーンのセーター、ベージュのジョッパーズもしくはダンガリーなどの制服があり、その着用が義務付けられていたという。
ウォリックシャー博物館のウィメンズ・ランド・アーミーにまつわる展示。制服などが並ぶ。
パトロンは当時の王ジョージ6世の妻、エリザベス王妃が務め、彼女や、まだ王女だったエリザベス(のちのエリザベス女王)もたびたび慰問に訪れている。
1945年にサマーセット州でのウィメンズ・ランド・アーミーのパレードに立ち会う、当時はまだ王女だったエリザベス。
戦時中の厳しい時代に、国を支えたウィメンズ・ランド・アーミー。過酷な作業を請け負いながらも十分な待遇を受けていなかった彼女たちだがその時に築いた友情は厚く、戦後も交流を続けていた元ランド・ガールズたちも多かったという。