60s〜70sのロンドンファッションを支えたビバとは?

Fashion 2024.04.03

60年代から70年代のイギリスで、アール・デコやアール・ヌーヴォーをテーマとしたグラマラスなスタイルで一世を風靡し、スウィンキングロンドンの代表的なブランドとされるビバ。現在ロンドンのファッション・アンド・テキスタイル・ミュージアムではその歴史を振り返るエキシビション「ザ・ビバ・ストーリー:1965−1975」が開催されている。

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「ザ・ビバ・ストーリー:1965−1975」より。鮮やかな色が印象的な、60sのビバによる服の数々
©Fashion and Textile Museum

ファッション・イラストレーターとして多くの有名ファッション誌で活躍していたバーバラ・フラニッキは1963年に「手頃な値段で手に入る若い世代のための服」というコンセプトのもと、通信販売のファッションブランド、ビバをスタートする。その頃のイギリスでは現在は当たり前の若者向けのファッションは存在せず、たとえ20代の女性であっても10歳上の世代が着るような服を「洗練された装い」として好んでいたという。

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エキシビション開催にあたって、同ミュージアムを訪れたバーバラ・フラニッキ

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フラニッキが1964年に描いたファッション・イラストレーション
Photography: Tessa Hallmann ©Barbara Hulanicki

そのなかで1964年の初夏にビバが売り出したピンクのギンガムチェックのノースリーブドレスとヘッドスカーフのセットはそのフレッシュさで1万7000枚を売り上げる大ヒットとなり、以降フラニッキはビバのデザイナーの仕事に専念するようになる。

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「ザ・ビバ・ストーリー:1965−1975」より。大ヒットとなったノースリーブドレスとヘッドスカーフ

その年の9月にはロンドンのケンジントン地区に位置する閑静な住宅街内のアビンドン・ロードに初めてのショップをオープン。ファッションに枯渇していた女性たちをますます虜にする。

店内はナイトクラブのようなダークな照明にアール・ヌーヴォースタイルの壁紙や家具で飾ったインテリアで、ショップスタッフたちは訪れたカスタマーに「マダム、本日は何をお探しですか?」と丁寧かつ上品に声をかけた。しかし低価格であることは変わらず、ビバと並んで当時のロンドンファッションの代表的なブランドのマリー・クワントはドレスを30ポンドで販売していたのに対してビバではたった3ポンドだったとか。黒や深みのある紫、マスタードイエローなど、独特なダークな色彩に、ベルベッドやサテン、シフォンなどの素材を多用した装いは、ハイストリートに集まる10代の女性たちからモデルのツイッギーやアニタ・パレンバーグなどセレブたちも夢中にさせた。

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1970年にビバ店内で撮影されたファッション写真
Duffy(c)Duffy Archive

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1972年撮影のファッション写真。すみずみまでビバの世界観で満たされている
Duffy(c)Duffy Archive

1967年には服以外の初めての商品としてオリジナルダイアリーを発売。これは日々のスケジュールを書き込めるだけではなく、ビバの世界観を共有するお薦めのレストランやナやクラブのリストも掲載して、装いだけではなくスタイルのある暮らしの提案もしていた。

ビバの人気が最骨頂に達した1973年にはケンジントン・ハイストリートに7つのフロアを持つ、ビッグ・ビバをオープン。ここではレディースだけではなくメンズ、キッズの服とともに、アクセサリーや化粧品、インテリアグッズ、さらには石鹸などの日用品から缶詰めや瓶詰めなどの食品まで、生活に必要なものはすべて扱っていた。

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「ザ・ビバ・ストーリー:1965−1975」より。ビッグ・ビバで扱っていたオリジナルのビューティープロダクトの数々。有名なゴールドのロゴをあしらったものも

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「ザ・ビバ・ストーリー:1965−1975」より。缶詰めのスープ、瓶詰めのオリーブ、ワインなどの食品も、シックなパッケージデザインで統一していた

館内には500席のレストラン「レインボールーム」やフラミンゴのいる池があるルーフテラスのティールームも完備。1日のランチだけで1200食も提供するほどだったという。

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ビッグ・ビバ内でポーズをとるツイッギー
©Justin De Villeneuve_Iconic Images

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ビッグ・ビバのレストラン「レインボールーム」
©Justin De Villeneuve_Iconic Images

ビッグ・ビバに足繁く通うことができない遠方のカスタマーには「ビバ・カタログ」を郵送してビバ・ワールドを伝えた。高級ファッション誌はビバを「チープな服」として掲載しないことも逆手に取り、このカタログはフラニッキの美意識を詰め込んで作られ、サラ・ムーンやヘルムート・ニュートンら有名フォトグラファーの写真が誌面を飾った。

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「ザ・ビバ・ストーリー:1965−1975」より。「ビバ・カタログ」は誌面の充実に加えて、折らずに各家庭の郵便受けに入れられるサイズ感にもこだわって作られていた

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「ザ・ビバ・ストーリー:1965−1975」より。ヘルムート・ニュートンの手による「ビバ・カタログ」用のファッション写真

だが目まぐるしく変化する時代のなかで一時期は大盛況だったビッグ・ビバが運営破綻となり、1975年にビバは終焉を迎える。

しかし12年の短い歴史の中でデザイナーのフラニッキが成し遂げた功績は大きい。若い世代のファッションというジャンルを築き上げただけではなく、60年代にはミニスカートとともにパンツスーツの普及にも貢献した。

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ビバによるパンツスーツ。この時代ならではのテキスタイルのデザインとワイドなパンツが目を引く

またオリジナルのコスメでは業界初のアフリカ系やカリブ海系など濃い色の肌を持つ人専用の商品も発売。さらにはゲイ雑誌に広告を出して、まだ認められて間もないクィア・コミュニティ(イングランドとウェールズで同性愛が合法化されたのは1967年)を支援した。そしてビッグ・ビバの設立とともにファッションだけではなく暮らしにまつわる品も扱って、世界初のライフスタイルブランドともなった。

ロンドンファッションを語る際に決して欠くことのできないビバ。フラニッキのさまざまな新たなアイデアによってビバがモードの歴史に残した功績は、半世紀以上の時代を経た今でも限りなく大きい。

editing: Miyuki Sakamoto

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