90歳になった巨匠、ジョルジオ・アルマーニに6000文字の独占インタビュー。

Fashion 2024.07.21

90歳となったイタリアファッション界の巨匠、ジョルジオ・アルマーニは今もなお精力的に活動し続けている。過去や現在から後継者問題についてまで、フランスの「マダム・フィガロ」誌が独占取材を行った。

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ジョルジオ アルマーニ プリヴェ2024-2025年秋冬オートクチュールコレクションのランウェイにて。(パリ、2024年6月25日)photography : spotlight

巨匠の鋼青色の瞳は昔と何ひとつ変わらず、日焼けした肌やショーの最後にいつも見せてくれる晴れやかな笑顔までももちろん健在。時の経過を感じさせるのは美しい白髪のみ。2024年7月11日、ジョルジオ・アルマーニは90歳の誕生日を迎えた。その人生はまるで一編の小説、華やかなハリウッド映画、はたまたNetflixのスリリングなドラマのようでもある。このイタリアの偉大なる巨匠の人生に興味を持つプロデューサーがいないことに驚きを隠せないが、いずれは実現するに違いない。

それはともかく、誰の脳裏もよぎるのはブランドの後継者問題だ。
ファッション界のマエストロ、時代を超越したエレガンスとシックを極めた帝王ジョルジオ・アルマーニは、1975年にパートナーの建築家セルジオ・ガレオッティと共に設立したブランドを核に一大帝国を築いた。独学で全てを築きながら、今も精力的に活動しつづけている。2024年パリ五輪ではイタリア代表チームのデザイナーを務め、ミラノでメンズコレクション、そしてパリではオートクチュールコレクションを発表したばかり。7月にはパリのフランソワ・プルミエ通りのフランス本社がオープンし、秋以降も新しい計画が満載。たとえば10月にはマディソンアベニュー旗艦店の改装オープンを記念して、ニューヨークで大規模なファッションショーが予定されている。この旗艦店にはアルマーニがデザインした19軒のレジデンスも併設されている。最高のアリュールとスタイルを作り出す、アルマーニ。そんな衰え知らずのデザイナーが答えてくれたインタビューの言葉は率直なものばかりだった。

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ーーマダム・フィガロ:90歳でなお創作欲が衰えない、その秘訣はなんでしょうか?
ジョルジオ・アルマーニ:今も昔も、私を突き動かしているのは、これまでの自分を超えたいという思いです。完璧主義者なのでいつまでも満足しない点はこれからも変わらないでしょう。それに、今でも興味津々なのです。自分を取り巻く世界にも、自分にどんな貢献ができるのかも。それはファッションにとどまりません。実のところ、自分はライフスタイル全体を提案していると思っています。

ーーファッション界で何十年ものキャリアがありつつも、常に新しいことに挑戦されています。時代をキャッチアップする原動力はどこから来るのでしょうか?
もっとも難しいのは、誰にも真似できないシグニチャーを保ちながら、更新し続けることです。今の時代はスピード感を求められますが、長続きするクオリティー、ワンシーズンを経ても古くならないファッションというものがあると信じています。手軽に消費してすぐに忘れ去られる世界にあって、このビジョンを維持することは大変なことです。

ーー今は、どんなものにインスピレーションを感じていますか?
インスピレーション源は無数にあります。通りすがりの人、ひとつの仕草、ひとつのフレーズ、一本の映画、一枚の写真。アイデアが創作に結実する過程は予測不可能でわくわくします。それがこの仕事の素晴らしい点のひとつです。

ーーいちばん腹立たしく思うことはなんでしょう?
ファッションの世界で流行を受動的に受け入れて、魂のこもっていない反復作業に終始する怠惰な態度が嫌いです。私は、魂を込めて取り組む首尾一貫した態度を好みます。

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ーー今年は五輪の年ですが、あなたはクリスティアーノ・ロナウド、デビッド・ベッカム、セリーナ・ウィリアムズらを起用しているほか、プロバスケットボールクラブのオリンピア・ミラノの会長でもあります。スポーツはお好きですか?
スポーツは好きです。人間性を高めてくれますから。何かを犠牲にして打ち込まないと結果は出ません。スポーツは深い感動と素晴らしい思い出を与えてくれます。特に記憶しているのは、私のバスケットボールチームの試合やブランド「EA7」、1982年と2006年のサッカーワールドカップでのイタリアチームの活躍です。私自身は、パーソナルトレーナーと1日1時間、トレーニングをしています。基本的には健康的な食生活ですが時には羽目も外します。それも大事なことです。

ーーそもそも、なぜファッションデザイナーを志したのでしょう?
ファッション界に足を踏み入れたのはちょっとした偶然からですが、すぐに気に入りました。最初、医者を志しましたが、自分には向いていないとすぐに気づいたのです。イタリアの老舗デパート、ラ・リナシェンテの仕事をしたことでこの世界に入り、そこからエキサイティングな道を歩むことになりました。ファッションを基軸に家具やインテリア、香水、化粧品、ホテル、レストランなどの他分野へ活動は広がり、今ではライフスタイルを全て網羅するようになりました。

ーー若い頃にラ・リナシェンテでショーウィンドウ・ディスプレーの仕事を始めた頃と今とでは、だいぶ変わりましたか?
あれはずいぶん前のことですからね。もう一生が過ぎました。あの頃と同じ自分ではもちろんありません。経験を重ねましたから。でも明晰な洞察力、周囲で起こっていることへの好奇心、アイデアを実現したいという願望、何事にも立ち止まらない姿勢は変わりません。年齢は単なる数字です。人は現実を直視できなくなった時や、身の回りで起きていることへの興味を失った時に老いるのです。そうした興味や意欲はまだまだあります。

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ーー子供時代の思い出といえば?
戦争を経験しましたが、比較的穏やかな暮らしでした。物はほとんど何もありませんでしたが、幸せでした。全てがとても単純で、心がこもっていたのです。父はミラノのトラック運送会社の会計士で、母は主婦でしたが両親とも芸術が好きで、ふたりはピアチェンタのアマチュア劇団で知り合ったそうです。両親からその頃の話を聞いたことは一度もないのですが、演劇好きは血筋のようです。なにしろ父方の祖父は市立劇場(スカラ座の縮小版)のカツラを作る小さな工房を経営していましたから。

ーー映画との出会いはどのようなものでしたか?
映画がなかったら違った人生になっていたでしょう。2つの世界大戦の間に生まれ育った世代にとって、第7芸術は常に現実から逃れられる時間であり、想像力をふくらませることのできる場所でした。映画が好きなのは、観客をひとつのストーリー、ひとつの世界へといざない、別な現実と同一化するメカニズムを作り出すからです。たとえその筋立てが荒唐無稽であっても。映画はまた、スタイルというものを大いに学ぶ場となりました。エレガンスとはなにかを学んだのも映画からです。だから私の美的感覚はいやおうなく、映画と結びついているのです。最近の映画も含めて、長編映画はたくさん観ます。繰り返し観る作品もあります。アルフレッド・ヒッチコックの『汚名』は今もお気に入りのひとつですし、ネオレアリズモ(イタリア・ネオリアリズム)の作品、たとえばヴィットリオ・デ・シーカの『自転車泥棒』、ルキノ・ヴィスコンティの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』、ロベルト・ロッセリーニの『無防備都市』もそうです。これらの作品はドラマチックで美的感覚に優れ、辛くも強烈な時代に特有の、仕事へのこだわりや誇りに満ちています。最近では、『関心領域』がとても面白かったですし、1999年の映画をベースにしたアンドリュー・スコット主演のドラマ『リプリー』も熱心に見ています。

ーー1980年代、映画がきっかけでアルマーニのスーツが大人気となる成功を予想していましたか?
最初は戦略的な選択ではありませんでしたが、映画『アメリカン・ジゴロ』でのリチャード・ギアのスタイリングを担当したことで、映画が大衆の想像力や、登場人物のスタイルへの憧れに与える影響の大きさに気づきました。そこから、ビジネス戦略が体系化されました。ただ、そもそもは直感的に引き受けたので、ほとんど偶然でした。

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ーーニコール・キッドマン、ケイト・ブランシェット、ミシェル・ファイファー、イザベル・ユペール、ソフィア・ローレン、グウィネス・パルトロウ。多くの女優がレッドカーペットでアルマーニを着ていますが、彼女たちとはどのような関係ですか?
私の服を着てくれる女性は数えきれないほどですが、みなさん、私のスタイルに共感し、私の仕事の本質を理解してくれています。私はいつも着る人のエレガンス、個性、主体性を引き出すように心がけてきました。真の美しさとは肉体と精神の調和、つまり内面と外面の気品から生まれるものだと信じています。これが「アルマーニの女性たち」に共通する特徴です。

ーーレッドカーペットでオートクチュールドレスを成功させるには?
それは着る人との対話にあります。ドレス自体はただのアイデアであり、動かない単なる物です。着る女性の個性が加わって服は命を吹き込まれるのです。コレクションをデザインするときにレッドカーペットでの姿を想像することはできませんが、彼女たちのことは知っているので、デザインの段階からどんな格好や感じになるかを想像します。でも毎回、人が身につけたドレスが動き出すのを見るのは大変な感動であり、新たな驚きです。

ーー世界中が憧れるドレスをデザインするのは楽しみですか?
まず第一に、ファッションはひとつのニーズを満たすものです。服を着ることで社会的に認められるのです。ですが同時に夢見たり、気分を高揚させたり、違う自分になる機会も服は与えてくれます。ファッションは誇示するためのものというよりも、個人的な満足感を得るためのものとして重要な役割を果たしていると思いますし、そのような機会を私たちはいつでも満喫すべきだと思います。

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ーー2005年に誕生したオートクチュールライン、アルマーニ プリヴェのビジョンは現在も、変化し続けているのでしょうか?
私にとってオートクチュールとは人間を特別な存在にしている資質、わくわくするような想像力と手仕事の極みです。アルマーニ プリヴェは、時代を超えた私のビジョンや私の世界の頂点に位置します。最高のクラフツマンシップで作られた服は、何年も着続けられるもので、このラインを通じて職人技やさまざまな技法を試すことができるのです。オートクチュールは時代錯誤に見えて、そのアプローチは先進的です。その点に興味があります。進歩の出発点は単純に美しさなのですから。

ーーコレクションではよく、日本からインスピレーションを得ていますね?
日本には深く惹かれています。柔軟なのに頑なでもある日本の美意識への傾倒は、私の考え方や仕事に、さまざまな形で影響を及ぼしています。自分の中で日本のイメージは、版画、歌舞伎などの伝統文化、そして映画によって形成されてきました。しかし、いざ日本を訪れてみると、驚くほどモダンでほとんど未来的な都市を発見し、そのコントラストに衝撃を受けました。

ーーイタリア語でエンポリオはバザールやショッピングセンターを意味します。1981年にエンポリオ アルマーニはどのようなコンセプトで創設されたのでしょう?
80年代初頭、とても大きな可能性を秘めた市場があることに気づきました。そこで若い人たちが手に取りやすい商品を提供することを思いついたのです。最初の主力商品はジーンズでした。それまでジーンズを作ろうと考えたデザイナーはおらず、リスキーな試みだと酷評されました。1981年にエンポリオ アルマーニを立ち上げたとき、多くの人が驚き、私とパートナーのセルジオ・ガレオッティに止めるよう忠告しました。ブランドが苦境に陥ることを心配してくれたのです。ですが幸いにもそうなりませんでした。時代と世の中は逆に私の味方となり、このブランドは瞬く間に成功を収めました。民主的なファッション・コンセプトを意味する「エンポリオ」という名前もですが、エンブレムも良かったのでしょう。エンブレムにイーグルを選んだのは、力強く空高く飛ぶワシがひとめで見分けられ、ポジティブなブランドのスピリッツを体現しているからです。

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ーージョルジオ アルマーニの世界は服だけでなく、家具、レストラン、ホテル、ビューティなど多岐に渡ります。グローバルな体験のブランドなのでしょうか?
ファッションのさまざまな分野で、自分の美的哲学を反映した完全なアルマーニ・スタイルを提供することは私の夢のひとつでした。ファッションは服や小物を超えたものであるというのが私の信念です。だからこそ本格的なライフスタイルを提案しようと、ホテルやデザート、そして花屋に至るまで、さまざまな分野に進出しました。アルマーニの世界に足を踏み入れてくれた人たちに、ユニークな体験を提供したい。今日、これまで以上に消費者とのつながりが重要になってきており、それは単に製品を提供するだけにとどまらないはずです。絶えず変化しつづける世界にマッチした、持続可能な本物のライフスタイルの創造に成功したと思っています。

ーーコロナ禍であなたはいち早く、現在のファッション・システムを変えようと呼びかけました。現在、環境問題はどのように取り組んでいますか?
ここ数年、地球温暖化、自然災害、社会災害、パンデミック、紛争などが起きている中で、私は行動を起こすことが不可欠であることに気づきました。それは単なるファッションの問題ではなくビジネスの観点からも必要なことです。持続可能な開発という選択は、いまや私たちのグローバル戦略の一部です。

ーー後悔していることはありますか?
後悔はしません。もう少し失敗を恐れず、今日のような勇気と強さを持っていればとは思いますが、私はチャンスがあればいつでもつかみたいと思っています。そのように私は今日までやってきました。過去を懐かしんだりしません。ノスタルジーは私たちを麻痺させると思うからです。私は行動派です。常にまっすぐ前を見て、次々と設定した目標を達成したいと思うタイプなのです。ただ、自分のやってきたことを意識することは重要です。それはアーカイブのようなものだからです。だから時々、新しいアイデアを定義して膨らませ、発展させるために過去を振り返ります。ちょっとしたひらめきが過去の仕事の中から見つかるかもしれないからです。

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ーー私生活について滅多に語らないのはなぜでしょうか?
もともと無口な性格で、私生活は常に守ってきました。なるべく影のなかにいて、自分の仕事に語ってもらいたいと思います。

ーー後継者問題と会社の将来をどのように考えていますか?
アルマーニ・グループの未来を決定し、導いていくのは財団です。財団は私と親しい人たちに任せています。メンズスタイルオフィスの責任者であるレオ・デル・オルコ(1977年からアルマーニに勤務)とレディススタイル担当のシルヴァーナ(彼の姪、 亡き兄セルジオの娘)、セレブ担当のロベルタ(兄の次女)、持続可能な開発担当のアンドレア・カメラーナ(姉ロザンナの息子)です。財団の主役割は、私が会社を設立した原点として大事にしてきた価値観に従い、今後もグループの財産を守り続けていくことです。適切な時期に運営の詳細は決定されるでしょう。私がいなくなってもグループが発展できるような枠組みを作りたかったのです。

ーーラグジュアリーグループに買収される可能性はありますか?
独立性は創業時の価値観のひとつであり、私が最も粘り強く、頑固に守ってきたものです。ビッググループからの独立は今後もアルマーニ・グループの原動力となると思いますが、可能性は排除しません。私の仕事の成功を特徴づけてきたのは、時代の変化に適応する能力です。ですから、財団が最も適切な方法で進路を決めるだろうと確信しています。

ーーどのような形で人々に記憶されたいですか?
仕事でも家庭でも公明正大であり、誰に対しても誠実な人であったと記憶されたいですね。

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ジョルジオ・アルマーニ:15枚の写真が物語るもの。

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1942年の初聖体拝領時のジョルジオ・アルマーニ。photography : Courtesy of Giorgio Armani

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母マリアと少年のジョルジオ・アルマーニ。photography : Courtesy of Giorgio Armani

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1957年、兄セルジオの娘で姪のシルヴァーナ・アルマーニと。photography : Courtesy of Giorgio Armani

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1978年、公私ともパートナーだったセルジオ・ガレオッティと。photography : Courtesy of Giorgio Armani

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1980年代のジョルジオ・アルマーニ。photography : Courtesy of Giorgio Armani

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1980年公開の映画『アメリカン・ジゴロ』でジョルジオ・アルマーニが担当したリチャード・ギアの伝説的ワードローブ。photography : Allstar Picture Library Limited / Alamy Stock Photo / Alamy Stock Photo

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1982年、タイム誌の表紙を飾ったジョルジオ・アルマーニ。photography : Bob Krieger

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1986年のヴァレンティーノ・ガラヴァーニ、ジョルジオ・アルマーニ、ジャンニ・ヴェルサーチ。photography : Courtesy of Giorgio Armani

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2000年、姪のシルヴァーナとロベルタとニューヨークにて。photography : Courtesy of Giorgio Armani

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ニューヨークのグッゲンハイム美術館で2000年に開催されたジョルジオ・アルマーニ展。photography : Courtesy of Giorgio Armani

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2006年のコレクションバックステージ。photography : Piero Biasion

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2019年、ロンドンのブリティッシュ・ファッション・アワードにて、ケイト・ブランシェット、ジュリア・ロバーツ、トム・クルーズ、姪のロベルタと。

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2013年のイベント、「One Night Only New York」にてマーティン・スコセッシ、レオナルド・ディカプリオと。

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ジョルジオ アルマーニが2015年にオープンさせたミラノの展示スペース「アルマーニ/シーロス」。photography : Davide Lovatti

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2023年のオートクチュールイベント「One Night Only Dubai」。photography : Stefani Guindani/SGP

text : Marion Dupuis (madame.lefigaro.fr)

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