「力強い女性たちを彩った」ファッション界の巨匠、ジョルジオ・アルマーニの生涯。
Fashion 2025.09.05
多岐にわたる帝国の頂点に立ち、ジョルジオ・アルマーニは妥協のない自らのエレガンス観を貫き、ステレオタイプや流行とは一線を画した。イタリア人デザイナーの彼は、時代と常に共鳴し続けながら、2025年9月4日(木)、91歳でこの世を去った。
初聖体拝領の際のジョルジオ・アルマーニ。(1942年)photography: Giorgio Armani
「私はただ、ある時代に求められていた新しい服、従来の型にはまらない、軽やかで流れるような服を作っただけ。私はずっと自分のビジョンを持ち、それを妥協せずに追い続けてきた。」イタリアを代表するデザイナー、ジョルジオ・アルマーニは、9月4日(木)、91歳で亡くなった。彼が遺したスタイルは、女性らしさの概念を永遠に変えた。シンプルでありながら単純ではなく、エレガントでありながら気取っておらず、快適でありながら凡庸ではなく、官能的でありながら過度に性的ではなかった。
ジョルジオ・アルマーニ、イタリアンシックの極致

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エレガントで永遠のファッション
2000年、ニューヨーク・グッゲンハイム美術館でのジョルジオ・アルマーニ展。photography: Giorgio Armani
ジョルジオ・アルマーニは、神の啓示のようなひらめきや創作の苦悩に頼ることはなく、作品の滑らかで洗練された美しさとは対照的に、非常に厳格で規律正しい制作方針を貫いていた。「ファッションとは、現代のライフスタイルに適応しながら、一貫した美の概念を発展させ、それを観客と共有するプロセスである。想像力と実用性、知性と綿密さ、才気とコントロール、すべてが等しく組み合わさって初めて、アルマーニの世界は成立する。ファッションは、決して真の個性を隠すことなく、権威と優雅さ、そして品格をまとうためのものだ」と彼は語る。仕事。こだわり。効率性。アルマーニのすべてがここにある。
ファンには「マエストロ」、チームには「ムッシュ・アルマーニ」、スターや親しい人には「ジョルジオ」と呼ばれていた。アルマーニは第一に、ストイックな姿勢を持っていて、それが多彩なデザインやブランド展開を可能にした。実際、これほどまでに自らの世界の限界を押し広げたデザイナーはめったにいない。プレタポルテのコレクション(ジーンズからアンダーウェアまで)やオートクチュール(2005年に開始)に加え、アルマーニは自身のスタイルをアクセサリー、化粧品、香水、インテリアライン、レストラン、ホテル(とりわけミラノとドバイ)にも刻んだ。さらに、アスリートのユニフォームや、最近ではハイジュエリーラインも展開している。あらゆるものが彼のインスピレーションであり、情熱の対象であり、すべてに意味がある。ファッションの枠を超えて、アルマーニは常に、自らのスタイル、すなわち真のスタイル哲学を提案し続けてきた。
ファッションに生きる人生
ジョルジオ・アルマーニ、母マリアと共に思春期の頃。photography: Giorgio Armani
ジョルジオ・アルマーニは1934年7月11日、北イタリアのポー川沿いの町ピアチェンツァで生まれた。穏やかな幼少期を過ごし、母親を深く愛した(自身のヨットに母の名「マリア」をつけるほどだった)。そしてミラノで学び、医者になることを夢見ていたが、学業は必ずしも順調とは言えなかった。やがて彼は映画に魅了された。ロージ、ベルナルド・ベルトルッチ、パゾリーニ、ロッセリーニの映画について、彼はこう語っている。「彼らの映画が、私の文化観や想像力、好みを育ててくれた。仕事での美的センスの土台になっている。」
1957年、兄セルジオの娘シルヴァーナ・アルマーニと共に。photography: Giorgio Armani
兵役を終えた後、ジョルジオ・アルマーニは学業の夢を完全にあきらめ、ミラノの百貨店「リナシェンテ」(パリのギャラリー・ラファイエットに相当)に就職した。彼はまずウィンドウディスプレイの担当となった(ショーウィンドウの前で、彼の目は常に絶対的な厳しさを保っていた。その厳しさにチームは震え上がるほどだった)。その後、メンズのバイヤーとなり、1965年にはニーノ・セルッティに彼のコレクションのスタイリストに任命された。
1992年春のジョルジオ アルマーニのプレタポルテコレクションのショーに登場したモデルのリンダ・エヴァンジェリスタ。photography: WWD / Penske Media via Getty Images
1978年、パートナーで共同経営者のセルジオ・ガレオッティと。photography: Giorgio Armani
トスカーナ州リヴィエラの街ピエトラスンタでの週末、ジョルジオ・アルマーニはセルジオ・ガレオッティと出会った。互いに強く惹かれ合い、愛と信頼で結ばれる関係となった。ジョルジオはデザイナーとして、セルジオは経営面を担当し、ふたりは互いに補い合うパートナーだった。共にコンサルティング事務所を開設した。1975年、セルジオはジョルジオを説得して自身のコレクションを立ち上げさせた。ジョルジオ・アルマーニは41歳。フェミニズムが盛り上がる時代だった。彼は女性に対して、力強く自立したファッションを提案する才能を発揮した。「服は女性が会議の結果を左右するような重要な選択をする手助けになると、私は常に信じてきた」と彼は語っている。アルマーニの服を着れば、膝にスカートを押さえつけたり、きつすぎるジャケットのボタンを外したりする必要はない。アルマーニの服は、エレガンスを通して発言力と影響力を与え、働く女性にとって理想的な装いとなった。
1981年には、ミレニアル世代の台頭を先取りするかたちで、より若々しいライン「エンポリオ・アルマーニ」を立ち上げた。彼は電話を片手に、もう一方の手に鉛筆を持ちながら、わずか2分でロゴとなる鷲のデザインを描き上げた。そのロゴは1996年以降、ミラノ・リナーテ空港の格納庫に巨大な形で掲げられている。アルマーニの世界へようこそ!
充実したキャリア
1980年代のジョルジオ・アルマーニ。photography: Giorgio Armani
1980年、ジョルジオ・アルマーニはポール・シュレイダー監督の映画『アメリカン・ジゴロ』で、若き俳優リチャード・ギアの衣装を手がけた。この映画の世界的な成功によって、アルマーニは映画界での地位を確立した。それ以降、彼は映画界での仕事をやめることなく、クリストファー・ノーラン、ブライアン・デ・パルマ、ウォルター・ヒルらの作品に携わり、数多くの監督や俳優、女優の衣装を手がけ続けた。
1986年、ヴァレンティノ・ガラヴァーニ、ジョルジオ・アルマーニ、ジャンニ・ヴェルサーチェ。photography: Giorgio Armani
1985年、ジョルジオ・アルマーニより11歳年下のパートナー、セルジオ・ガレオッティがエイズで亡くなった。この日以降、ジョルジオは株主、経営者、デザイナーというすべての役割を一手に担うことになった。ある種の絶対的なコントロールフリークとして、家族に囲まれることを好みながらも、最終的には自分自身の判断だけを信じて動いた。弟子も後継者もいない。後継問題は?それはまたいずれ考えるとして、彼は2015年、自身のブランドのデザインや展示を行う場所である「アルマーニ/テアトロ」の向かいに、自身のミュージアム「アルマーニ/シロス」を開館した。こちらも安藤忠雄が設計した。
秘密主義で控えめ、孤独を好み、忠誠心が強い一方、激しい怒りを見せることもあった彼は、禁欲的な人生を送っていた。朝6時に起き、2時間の運動で一日を始め、自分の体型だけでなく、周囲の人々の体型にも気を配っていた。
彼の数多くの家(ミラノ、パンテッレリーア、ブローニ、パリ、アンティグア、サンモリッツ、ニューヨーク、サントロペ、フォルテ・デイ・マルミ)の壁は、すべて何も飾られていなかった。彼にとって、芸術作品は美術館に展示され、誰もが鑑賞できるべきものだった。例外は、彼が大切にしていたふたつの贈り物だけ。アンリ・マティスの小さなスケッチとマン・レイの写真である。重要なのは常に本質だったのだ。
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text: Marie noelle Demay (madame.lefigaro.fr) translation: Hanae Yamaguchi