イタリアの巨匠ジョルジオ・アルマーニ、最後のインタビュー。
Fashion 2026.01.01
2025年9月4日、91歳でこの世を去ったイタリアの巨匠、ジョルジオ・アルマーニ。彼が築き上げた壮大な帝国と根底にあるエレガンスの哲学は、流行のはるか先を歩み続けた。その50年の軌跡を振り返る。

マート・アラス&マーカス・ピゴットが撮影した、印象的な2004年春夏のキャンペーンビジュアル。photography: Mert Alas & Marcus Piggott Victor
「私はある時代の新しい服のニーズにこたえただけ。それは"流動性"と"脱構築"という感覚だった。以来、妥協することなく、そのビジョンを追い続けてきた」
text: MarieNoëlle Demay (Madame Figaro)
2025年9月4日、ジョルジオ・アルマーニは91歳でその生涯を閉じた。彼が生み出したスタイルは、"女らしさ"の概念を根底から変えた。シンプルでありながら質素ではなく、エレガントでありながら気取らず、快適でありながら凡庸ではなく、官能的でありながら決して扇情的ではない。ジャケットの芯を取り除いても、信念の芯は揺るがない。
「ファッションとは、一貫した美の理念を現代のライフスタイルに合わせ、人々と共有するためのプロセスのひとつ。想像力と現実主義、知識と厳密さ、ひらめきとコントロールは、すべて対等な要素でなくてはならない。ファッションは人々に威厳とエレガンス、そして品位を与えるためにあり、本当の自分を隠すためのものではない」とアルマーニは語った。自らに厳しく課題を課し、確かな成果を積み上げる。それがアルマーニという人間だ。

1980年代のアルマーニ。photography: Courtesy of Giorgio Armani
ファンにとっては"マエストロ"、スタッフにとっては"ムッシュ・アルマーニ"、そしてセレブや友人たちにとってはただの"ジョルジオ"。アルマーニは徹底した多角化を、誰よりもストイックに推し進めた。ひとりのデザイナーがこれほどまでに自らの世界を広げた例は稀だ。ジーンズやアンダーウエアを含むプレタポルテ、2005年に始めたオートクチュール、さらにアクセサリー、コスメ、フレグランス、インテリア、レストラン、そしてミラノやドバイでのホテル経営にまで及んだ。スポーツチームのユニフォームを手がけ、晩年にはハイジュエリーでも自身の哲学を追求した。あらゆるものに興味を持ち、深くのめり込み、意味を見いだす。アルマーニは常に、ファッションという枠を超えて"アルマーニ的美学"を体現してきた。

少年時代、母のマリアと。photography: Courtesy of Giorgio Armani
1934年7月11日、北イタリアのポー川沿いの街ピアチェンツァに生まれたジョルジオ・アルマーニ。幸せな子ども時代を過ごした少年は母マリアを深く敬愛し、後に所有したヨットに「マリア号」と名づけている。医師を志してミラノの学校へ進むが、映画に夢中になり、学業は振るわなかった。フランチェスコ・ロージ、ベルナルド・ベルトルッチ、ピエル・パオロ・パゾリーニ、ロベルト・ロッセリーニ―名監督の作品がアルマーニの感性を育てた。「映画から多くを学び、想像力や美意識が養われた」と後に語っている。
兵役を終えたアルマーニは学校を辞め、ミラノの高級百貨店リナシェンテでディスプレイデザイナーとして働き始める。デザイナーになった後もウィンドーのディスプレイは自ら厳しくチェックし、スタッフを震え上がらせたという。メンズウエアのバイヤーを経て、1965年にはニノ・チェルッティのもとでデザイナーに抜擢される。その頃トスカーナのリゾート、ピエトラサンタでセルジオ・ガレオッティと出会い、強く惹かれ合う。互いの才能を補い合い、アルマーニはデザインを、セルジオは経営を担った。ふたりでコンサルティング会社を立ち上げ、1975年、セルジオの説得でジョルジオ アルマーニのブランドが誕生したのだ。

1978年、公私ともパートナーだったセルジオ・ガレオッティと。photography: Courtesy of Giorgio Armani
ブランド創設当時、アルマーニは41歳。フェミニズムの波が高まる中、感傷的でも弱々しくもない"現実を生きる女性"のための服を提案した。「女性が人生の重要な局面で決断する時、服がその助けになると確信していた」と語る。アルマーニの服を着る女性は、スカートを引き下げる必要も、窮屈なジャケットのボタンを外す必要もない。エレガントに発言し、堂々と主導権を握る――それが"ワーキングガール"の理想像だった。1981年には若者向けライン、エンポリオ アルマーニを立ち上げる。電話をしながらわずか2分で描いたという"鷲のロゴ"は、後にブランドの象徴となった。

『アメリカン・ジゴロ』のリチャード・ギアの衣装はすべてアルマーニが手がけた。photography: Courtesy of Giorgio Armani
1980年、ポール・シュレイダー監督の映画『アメリカン・ジゴロ』でリチャード・ギアの衣装を担当。映画は世界的ヒットとなり、アルマーニの名は一躍ハリウッドへ広がる。以後、クリストファー・ノーランやブライアン・デ・パルマら多くの監督と仕事を重ね、"レッドカーペットの帝王"と呼ばれるようになる。しかし1985年、最愛のパートナー、セルジオ・ガレオッティをエイズで失う。以降、アルマーニは経営者、デザイナー、そして株主として、すべての責任をひとりで背負った。家族を大切にしながらも、最終決断は常に自分の手で下す。弟子も取らず、後継者の話題は長らくタブーとされた。
1996年以降、ミラノ・リナーテ空港に降り立つ人々を、格納庫の上に掲げられた巨大なロゴが迎える。「ようこそ、アルマーニの国へ」。それは帝国の象徴だった。

2000年、ニューヨークのグッゲンハイム美術館にて開催されたアルマーニ展。photography: Courtesy of Giorgio Armani

アルマーニが作ったミラノの展覧会場、「アルマーニ / シーロス」。photography: Courtesy of Giorgio Armani
2001年に、安藤忠雄設計によるアルマーニ / テアトロが開館。竣工以来、ミラノコレクションのショー会場として使われ続けている。2015年にはその向かいに美術館アルマーニ / シーロスを開設。ストイックな日常を貫いたデザイナーは、朝6時に起床し、2時間の運動を欠かさなかった。自らにも他者にも節制を求め、美術品を自宅には置かず、「美術はすべての人に開かれるべきもの」と信じていた。ただし、母のように大切にした2点――マティスの素描とマン・レイの写真だけは例外だった。彼にとって、重要なのは常に"本質"だったのだ。
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ジョルジオ・アルマーニ、最後のインタビュー
text: Paola Genone (Madame Figaro)
2025年、アルマーニ帝国の50周年を祝うため、彼はヴェネツィア国際映画祭に合わせてデジタルプラットフォーム「アルマーニ/アルキビオ」を立ち上げた。半世紀にわたるコレクション、写真、文書を集めた壮大なアーカイブである。さらに9月24日からミラノの名門ブレラ絵画館で展覧会が開催中だ。名画に囲まれ、彼を象徴する120点以上の作品が並ぶ。そして9月28日、ミラノ・ファッションウィークの最後を飾る壮大なショーが予定されていた――だが、その舞台を目前に、アルマーニは静かに息を引き取った。ここに紹介するのは、フランスの「マダム・フィガロ」誌が7月31日に行った、ジョルジオ・アルマーニの最後のインタビューである。

設立50周年を記念するエキシビション『Giorgio Armani. Milano, per amore』は、ミラノのブレラ絵画館にて2026年1月11日まで開催。(https://pinacotecabrera.org/)photography: @agnese_bedini @melaniadallegrave @dsl_studio
50周年を迎えたアルマーニグループ、長寿の秘訣とは?
独立性を守り続けたこと。そして挑戦する気持ちを失わず、自分のスタイルを貫きながらも時代の流れに寄り添ってきたことだと思う。私の持ち味は"洗練された自然体のエレガンス"。服であれ家具であれ、人を無理なく包み込む存在でありたい。"エレガンスとは、目立つことではなく記憶に残ること"。この言葉を常に心に刻んでいる。
ファッションにまつわる最初の記憶を教えてください。
子ども時代は戦時中だったが、穏やかに過ごせた。当時、イタリアに"ファッション"という概念はまだなかった。けれど、服が人の印象を決めることには幼い頃から強い関心があった。父はいつもスーツでエレガントだったし、母は日曜日になると少し華やいで見えた。その姿が、自然体のエレガンスとは何かを考える原点になった。
1975年にブランドを創設した時、どんな女性像を思い描いていましたか?
メンズコレクションを発表した年、女性のためのジャケットを男性用の仕立てで作れないかと思った。妹や友人たちが私のメンズジャケットを着たがっていたのだ。動きやすく、柔らかく、シンプルなものを求めていた。その声に背中を押され、自分のアイデアを形にする勇気が生まれた。
あなたの服は女性の自立にどんな影響を与えたと思いますか?
決定的だったとは言わないが、確かに大きな役割を果たした。1970~80年代、女性たちは社会で活躍する場を広げていた。職場で品位と存在感を保ちながらも、女らしさを失わない服、それが求められていた。いまの女性は自分を飾るよりも、自分をさりげなく引き立てる服を選ぶ。あの時代に芽生えた"自立した新しい女性像"が現代まで続いているのだと思う。
「ファッションに携わること自体に崇高さはない。センセーショナルである必要もない。それは"美"について一貫した考えを深め、大衆と共有すること」

1982年4月、ジョルジオ・アルマーニは「タイム」誌の表紙を飾った。photography: Bob Krieger
ジェンダー・フルイドという概念が注目されています。
私はかなり早い段階から、性別の枠を超えた服作りをしてきた。メンズジャケットを女性用に仕立て、メンズスーツに柔らかな生地を使う。そうした試みは、自然な流れだった。ただ最近は、何もかもがショー化して"本質"が見えにくくなっている。私は常に、人々が日常で着る服を観察し続けていたい。
あなたの創作には、生まれ故郷ピアチェンツァの影響もありますか?
もちろんだ。ピアチェンツァはポー川沿いの街で、水に恵まれた穏やかな土地だ。あの柔らかな風景や淡い色調が、私の美学の原点になった。ミラノに出て働く決心をした時、まるで鏡の中の自分を見つめるような気持ちだった。冷たく見えて温かい――ミラノはそんな街だ。隠れた宝を見つけた瞬間、この街の特別さがわかる。
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エンポリオ アルマーニ、アルマーニ/カーザ、アルマーニ プリヴェ......この多様な展開はどのように生まれたのですか?
常に"必要とされるもの"にこたえてきただけだ。芯を抜いたジャケットは快適さとエレガンスを両立し、働く女性たちに自信を与えた。若い世代のためにエンポリオを作り、特別な一着を求める人のためにオートクチュールを始めた。アルマーニ/カーザは、私の世界を訪れる人々に"調和と静けさの体験"を提供したかったからだ。すべての均衡が取れ、過剰なものがない世界、それが理想だ。

2006年、フィッティング中の様子。photography: Courtesy of Giorgio Armani
オートクチュール、アルマーニ プリヴェの哲学とは?
私のスタイルの頂点にあるコレクションだ。商業的な制約はなく、想像力を存分に解き放てる。顧客は要求水準が非常に高いが、だからこそ挑戦しがいがある。オートクチュールには、職人技を通して"唯一無二のエレガンス"を表現できる自由がある。プレタポルテにはない世界。それが私をこの領域へと導いた。
あなたは「反保守派」だといわれます。
初期の私は、むしろ"反逆者"だった。いまでは"厳格""タイムレス""ミニマル"と評されるが、当時の私の提案は主流とは正反対。芝居がかったり、過剰になったりしたことは一度もない。いつも"常識の外"から始めた。
シグネチャーカラー、グレージュとアルマーニブルーにはどんな思いが?
求めたのは、温かみがありながら都会的で、落ち着きと意外性を兼ね備えた色。グレージュは私の理想とする"控えめな洗練"を体現している。自然の色は、どんな色にも調和するベースとなる。ブルーは心を鎮め、無限の可能性を秘めている。力強く、シンプルで、努力を感じさせないエレガンス。海の色を思わせる点で、私の人生とも深く結びついている。
影響を受けた映画は?
私にとって映画は最大のインスピレーション源だ。アルフレッド・ヒッチコックの『汚名』の純粋なエレガンス、ルキノ・ヴィスコンティやヴィットリオ・デ・シーカのネオレアリズモの厳粛さ――それらは私の人生の一部になっている。映画は"現実の美"を教えてくれた。
監督になりたいと思ったことは?
ある。物語を語り、感情や空気を伝えることに惹かれる。自分のショーでも映像的な演出を意識している。私はよく、完成した服を手でフレームを作って眺めてみる。それによって、服が現実の世界の中で息づいていることを確かめるのだ。

アルマーニを着用したセレブリティたちと。左から、ケイト・ブランシェット、ジョルジオ・アルマーニ、ジュリア・ロバーツ、トム・クルーズと姪のロベルタ・アルマーニ。photography: SGP
あなたの服を愛する俳優たち、ジョディ・フォスター、ダイアン・キートン、ケイト・ブランシェット、ジュリア・ロバーツ......共通点は?
彼女たちは皆、"芯のある自然体の女性"だ。私の服は華やかではなく、静かな力を持つ。上質な素材と美しいカッティングで着る人の個性を引き出す。個性と知性のないところに美は存在しない、と私はいつも思う。真の美しさとは、心身の調和、表現力、そして優美さと気遣いの結晶なのだ。

アルマーニ ホテル ドバイ10周年記念コンサートとファッションショーの風景。photography: SGP
アルマーニ メゾンの未来とは。
私は楽観している。この50年で事業はファッションからホテル、レストランまで広がった。そして長年近くで働き、私の哲学を体得した仲間たちがいる。彼らがきっと、時代にふさわしい形で"アルマーニの理念"を受け継いでくれるだろう。
*「フィガロジャポン」2026年1月号より抜粋
text: MarieNoëlle Demay (Madame Figaro), Paola Genone (Madame Figaro)







