グッチのアレッサンドロ・ミケーレ「真の美は不完全の中に宿る」
Fashion 2021.01.07
型にはまらず、先見の明があり、博学な人物。アレッサンドロ・ミケーレが2015年にクリエイティブ・ディレクターに就任して以来、フィレンツェの老舗メゾン、グッチのエネルギーは高まる一方だ。独自の世界観を発信し、精神と身体を解放する衝撃的なファッションを提案する、時代を完璧に把握した男にインタビュー。
グッチのクリエイティブ・ディレクター、アレッサンドロ・ミケーレ。「真の美は不完全の中に宿る」と語る。photo Courtesy of Gucci
スペクタクル史劇映画時代のチネチッタさながらのざわめきの中から、彼の声が聞こえてくる。さざめくアシスタントたち、どっと起こる笑い声、そこに突然、「マドンナ!」と、皮肉っぽく威圧的な口調で彼の声が響く。声の主はアレッサンドロ・ミケーレ。2015年に彼がクリエイティブ・ディレクターに任命されてて以来、船艦グッチは2つのGを組み合わせたアイコニックなロゴマークを揚揚と掲げ、順調に航海を続けている。いまや先見の明をもった国際的なブランドとして、ラナ・デル・レイ、ビリー・アイリッシュを筆頭とするZ世代のアーティストや、シャルロット・カシラギ、エルトンジョンといったスターたちの熱い支持を受ける。ファッション界のアンファン・テリーブル(恐るべき子ども)がラディカルな選択をするとき、彼は美しさだけを基準とするのではなく、本質を見据えている。グッチのファッションウィーク公式スケジュールからの離脱と、1年間に開催するショーを5回から2回に減らすというメゾンの方針を発表したとき、モード界が築いてきた制度は揺らぎ、ほかもグッチに足並みをそろえることになったのだ。
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アレッサンドロ・ミケーレは生粋のローマっ子。
何から何まで型破りのデザイナーだ。美しく屈託のない白黒写真時代のイタリアを思わせる彼の姿に、『イタリア式離婚狂想曲』のマルチェロ・マストロヤンニや、アルベルト・ソルディの映画の舞台でおなじみの庶民的な界隈の表情が重なる。「車に荷物を山ほど積んで田舎の家に到着したときは、確かにまるで昔のイタリア人の古いバカンス写真そのものだった」と彼は笑う。
アート、インテリア、歴史、哲学、ポップカルチャーに情熱を傾ける彼は、カール・ラガーフェルド率いるフェンディで働いた後、イタリアの名窯リチャード ジノニでアーティスティック・ディレクターを務めた。こうした経験はすべて、エキセントリックで退廃的な美学をたたえたクリエイションに影響を与えている。そこではローマの宮殿のアンティークローズと、ニューヨークのグラフィティの高彩度の色彩がぶつかり合う。ツイードとボンバージャケットのアセテートが同居する。パンクファッションと、イギリスの馬具を起源とするアイコニックなモチーフであるグッチの赤と緑の縞のリボンが響き合う……。
「真の美しさは不完全の中に宿る」と彼は主張する。
たとえばそれは、規格外のミューズたちの不均整な唇に塗られた真っ赤な口紅。グッチのランウェイに登場するのは、トランスジェンダーモデルのハリ・ネフやアルメニア人アーティストのアルミネ・アルチュニアンといった、危うい美しさを持った女性たちだ。自らのショーについて、彼は言い放つ。「モデルの時代は終わった」と。彼の手がけるショーでは、それぞれ姿も形も異なる人間たちが、多くの意味が盛り込まれた映画的で暗示的な舞台を背景に生き生きと動き回る。
丈の長い白いシャツ姿でインタビューの場に現れた彼の姿は、どこか修道者を思わせる。なにもかもが魅力的で、本物の輝きを放つ、長い黒髪のクリエイター。その姿には、ヒッピー、預言者詩人、ゴージャス、キッチュ、そして、イドラ島に住み着いてタイプライターに向かっていたころのレナード・コーエンのような穏やかな雰囲気も漂う。
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――相反するものを提示するのはあなたの得意とするところです。広い視野を持った画家のように、歴史や幻想に溢れた舞台を背景に、コンテンポラリーな服を見せる演出などがその例で、今もまさに、あなたは中世末期の大きな絵画の前に立っていらっしゃいますね。これは何を描いた絵でしょうか?
これはオリエントの夕日を描いた、想像上の風景。それぞれの要素に一貫性はありません。イタリアの風景画によくあるタイプの木々以外は、古代の中国を思わせる要素が描かれています。私はタイムスリップさせてくれるものに惹かれるので、奇妙なものを色々とコレクションしています。ローマの自宅にはそこらじゅうにそうしたオブジェが転がっています。オルヴィエートの森の中にある隠れ家も、ティム・バートンの映画から飛び出したような感じです。1000年頃の建造物で、部分的に改装はしましたが、あとは元のままにしているので、まるで眠っている奇妙な動物のようですよ。子どもの頃は考古学者になりたかった。ものごとの起源を見つけたいという私の探索癖はそこから来ているのでしょう。またサイエンスフィクションも大好きです。ルネッサンス期のフィレンツェの絹織物に未来派的なポップなプリントを重ねたり、金箔を張ったヴェネツィアの宮殿を背景にして神秘的なプリントを施したボンバージャケットを撮影したりするのはそのせいです。
――時間に対する思索を深めるうちに、グッチのショーのスケジュールを見直すに至ったということですが、これはどういうことでしょう?
モード界の慣習は時代遅れになってしまいました。産業革命時代ならともかく、いまの時代にはそぐわない。流行遅れの着心地のよくないドレスを着ているようなものです。それも常軌を逸した数のイベントを企画し、ヒステリックなリズムでショーを開催するという、きわめて不自然なスケジュールをこなすために。1年間に5回もコレクションを発表し、さらにカプセルコレクションまで……。こんなことには意味がありません。たとえばクルーズコレクション。この時代に、いったい誰が豪華客船の桟橋を歩く自分を想像しながら服を選ぶでしょうか。ファッションのシステムは素晴らしいものでしたが、もはや病んで老いてしまっている。ロックダウン中に、そんな確信が自分の中でさらに強まりました。ファッションの時間をもう一度たて直し、コードを見直さなくては。つまり、特に何も革新的なことではないのです。
――その確信はどこからきているのでしょうか?
経験です。父は私と待ち合わせをするとき、「じゃあ夕日が沈む頃に」と言っていた。年齢をたずねると、「ああ、もう44の季節を過ごしたなあ!」という答えが返ってきたこともあります。母は映画制作会社のアシスタントという職業柄、映画界の時間に合わせた生活を送っていました。私は、時間を脅威だと思ったことは一度もありません。とはいえ、不安をかき立てるばかりの時計というモンスターの虜には絶対になりたくなかった。定めた時間の奴隷にはなりたくない。クリエイティブ・ディレクターとして、クリエイションと需要、欲しいと思う気持ち、そのすべてを尊重するスケジュールで、私はグッチというブランドのために新しいシルエットをデザインしたい。1年に2回ショーを開催するのは非常に妥当だと思います。コレクションに追われるようにアイデアを吐き出し続け、あふれんばかりの商品で店舗をいっぱいにし、あっという間にセール対象品になる。そんな時代はもう終わりました。グッチは今後、自主管理で運営していきます。
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――グッチで働いて18年間、そのうち5年はクリエイションのトップ……。伝統を重んじるあなたにとって、イタリアのモードを象徴するグッチというブランドにかける思いとはどんなものですか?
トム・フォードとドメニコ・デ・ソーレ(グッチの元最高経営責任者)に呼び出されたとき、とても特異な招待状を受け取ったような興奮を覚えました。ひとつの家族、とてもイタリア的な家族への誘いだったからです。グッチのもつエネルギーをさらに高めることは、その時からの目標です。グッチ・コミュニティのおかげで、いまそのエネルギーはさらに高まっています。私たちと顧客の間に、買うという行為だけでない別の絆が生まれました。
――このエネルギーは暗示に富んだコレクション「エピローグ」の形に昇華されています。このコレクションの元は、ロックダウン中にあなたが書いた、深刻な問題提起を含んだ文章「Notes From Silence」ですね。あなたは何を探求していたのでしょうか?
photos:GUCCI
photos:GUCCI
photos:GUCCI
コロナ禍が始まる前から、頭のなかでさまざまなことを考え続けていました。これはもう私の性格の一部です。ローマの修道院のような自分のアパルトマンに帰宅しながら、あるいはバールでカフェを前にして、無数の疑問を自分に投げかけました。「なぜお前はファッションという言語を選んだのか? なぜ服を通して語りかけたいと思ったのか? なぜ人の観察ばかりしているのか?」そして自宅待機期間中、私はこの上なく美しい混沌というものを想像してみました。乱れた髪、ハイパーリアリズムの肖像画、自分が打ち捨ててきた色彩、アンナ・マニャーニのざらついた美しさと豪華絢爛な仮装舞踏会が出合う世界。私はクチュリエやリタッチ職人に、こう依頼しました。自分たちが作った洋服をじっくり感じてほしい、その服が二度と自分の手から取り上げられることがないように着てみてくれ、と。この「同棲生活」の現場をポルノグラフィ的に撮影しようと思いつきました。エピローグコレクションで発表した服には、私が決して飽きることなく、何度も使っている要素が盛り込まれています。何も変えないために変化する。それは根本的な欲望が変わっていないからです。
学生時代のフランス語の先生が言っていたように、混沌の中にあらためて秩序を作りたい、そう思っています。
――その先生の名前は?
名前は覚えていませんが、素晴らしくシックな女性でした。とても厳しい先生でしたが、そこが実にフランス的だった。彼女が「秩序」という言葉を発音すると、それはまるで「革命」という言葉のように響くのです。毎朝、完璧なシニョンを結って学校に来るのですが、授業の間、その彫刻のように完璧なシニョンからほぐれている後れ毛を探すのが私の楽しみでした。パリジェンヌの魅力を備えた彼女は、パリジェンヌらしく服の着こなしも完璧でしたが、そのなかにいつも、風に乱されたり、一瞬のすきに生まれたような、ちょっとした不協和音がある。彼女はよく、マスクラットの毛皮の下に白いタンクトップというルックでやって来ました。イタリア語で話すと、訛りがチャーミングでした。自分の美しさを自覚しながら、その美しさをぞんざいに扱い、苛み、完璧なシニョンのように試練にかける必要があることを知っていた。彼女は息をのむほど美しかった。いまも私のミューズのひとりです。
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――どんな子ども時代を送りましたか? お母さまが読み聞かせてくれた映画のシナリオのような子ども時代だったのでしょうか?
母はチネチッタで働く正統派でしたから、子どもの頃からデ・シーカやパゾリーニ、ロッセリーニといったイタリアネオレアリズモの監督たちの恋愛映画や、長い沈黙シーンが印象的なヌーヴェルヴァーグの作品、昔のハリウッド映画の傑作を見て育ちました。母はいつも完璧で、自分に似合う口紅を選ぶのが上手で、女性が決してトイレに行ったりしない映画を愛していた。超人的な登場人物や、古代ギリシャのゼウスの彫像に匹敵する恐ろしくも魅力的な巨人たちを通して神話の世界を再創造することを急務の課題としていた頃のアメリカ映画を好んでいました。父は航空工学の技術者で、私にとってはシャーマンです。6つの楽器を演奏し、奇妙な顔の巨人の彫刻を作り、長距離の山歩きもものともしない。動物に話しかけ、「これが神だよ」と言って風の声を聞かせ、川が生まれる水源を見せてくれた。私が10歳で髪の毛を脱色したときも、父はそれを見て微笑んでいました。両親は愛情をたっぷり注いでくれ、やりたいことは自由に何でもやらせてくれた。ローマの郊外で育ち、そこで美も醜も、シンメトリーもアシンメトリーも学びました。ファッション界で働くために20歳で実家を出ましたが、お金がなくて、ボローニャで6人で同居生活をしました。私は自分の人生を自分で切り拓いてきた。支援は受けませんでしたが、家族は自分自身の探求を続ける私を見守ってくれました。
――あなたのクリエイションは男性にも、女性にも着られています。ジェンダーもトランスジェンダーも包み込むひとつのファッションという広い視野に立って、それぞれの違いを賛美する姿勢を貫かれています。あなたにとって何よりも重要なのは人の個性といえるでしょうか?
もちろんです。あらゆるものを決まった枠の中で整理する考え方は、人生をシンプルにするために必要だと思いがちですが、実際にはその考えが人生を複雑にしています。なぜならその考え方が、理解できないものに対する恐れから生まれているからです。そして、恐れは、恐れるほどにますます大きくなります。メンズコレクションとレディースコレクションをひとつのショーとして発表したのは、自分が街をぶらぶら歩いているときに目にする光景を再現するためでした。そこには女も男もいる、ウンベルト・エーコ流の、色とりどりのニュアンスをもった人間たちがいます。美の話をするとき、私はいつも異種のものを交ぜ合わせることについて話してきたつもりです。私たちは均一なものに囲まれて育ちましたが、世界は、ふたつの世界大戦を経た後に人類が定義した世界像より、はるかに自由で、はるかに複雑なのです。この複雑さと闘うのではなく、それを讃えることが必要です。曖昧さとは、私にとって美の同義語です。
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――「Notes From Silence」の中で、あなたはこう書いています。「これまで想像したこともないほど、私たちはいま自分たち本来の運命の脆さと深く結びついている。私たちは誰もがちっぽけな存在だということに気づいた。奇跡はいつでもどこでも起きている」と。この脆い未来はどうなるのでしょうか?
大なり小なり調整を行うことになります。私たちは自然のバランスに対する脅威であり、私たち自身がそのことを徐々に意識しています。幸いにもグッチが所属するケリング・グループの最高経営責任者ピノー氏は、環境への影響をできるだけ小さくしようと熱心に取り組んでいます。私は汚染物質を一切使用しませんし、オフィスでは、あらゆるものをリサイクルしています。世界は私たちの家。私自身これまでさんざん無駄な消費をしてきましたが、それは避けられると気づきました。とはいえ、贅沢やエレガンスは倹約の同義語です。倹約はグッチを動かすエンジンのひとつ。ちょうどマーガレット・サッチャーが、自分でそう望まずして、パンクムーブメントのエンジンとなったように。私は未来にあふれんばかりの希望を抱いています。TikTokなどのSNSに自分の未来があるとは思いませんが、これらのツールを介してコミュニケーションする人がこれからますます増える以上、彼らとともに前進し、互いに働きかけ合い、こうした形での交流にも意味を与えなければなりません。私は目を大きく見開いていたい。いつまでもレゴで遊び続ける子どものように……。
texte : Paola Genone (madame.lefigaro.fr)