「見えている」のではなく「見ている」のです。「見よう」と思うものだけが目に入っています。同じ風景を見ていても、その中で認識している要素は、人によってすべて違います。見事な大木に心を奪われている人がいる隣に、その下に停まっているバイクの車種に心を奪われている人がいます。しばらくして「さっきの木は樹齢、どのくらいなんだろうね!」と話しかけて、「木?どんな木?」と返されます。
今週、貴方の世界にはありとあらゆる情報が流れ込んできます。乱れ打ちのボールのようです。すべてのボールはキャッチできず、受け取れるのは「構えているところに来たもの」だけです。ゆえに、貴方が今週受け取る情報は、貴方自身が何を気にしているか、というそのことを映し出しています。場合によっては、貴方の心の不安、悩みを情報に映し出して、それを「見た!」と感じているだけなのかもしれません。
自分の心の中に隠れている不安や悩みを自ら語るなら、今週は「本気で本当の話ができる時」です。一方、外部に正解を探そうとすると、そこに見つかるのは上記のような「不安の幻」になってしまうかもしれません。つまり、今週何か不安を掻き立てるようなものが外から現れたら、それは実体のない幻です。一方、内側から外側へと何かが流れ出したら、それは貴方の中にあるひとつの真実です。