次世代の子どもの感性を育む、森の学校の教育とは。
Lifestyle 2020.01.05
大自然の中で読書したり、泥まみれになりながら文章を書いたり、木の枝から算数を覚えたり……。それらは「森の学校」が提供する、スカンジナビア流の教育だ。自然の中で学ぶ、人気上昇中の学校を紹介しよう。
森の学校の教室では、ペンケースと鉛筆の代わりに、ハンマーとノコギリが使われることがよくある。photo : Getty Images
とある朝、フランス中北部のイル=ド=フランス地域にあるマレイユ=マルリ(イブリーヌ県)の森では、十数人の子どもたちがカーペットの上で靴下を履いてソワソワしている。子どもたちは皆、不器用ながらも一生懸命、先生を真似てヨガのポーズを取る。鐘が鳴り、休み時間になると、遊び場はすぐそこだ。ここには校庭と教室の境界線はない。生徒たちは栗の実や柏の葉をまるでポケモンカードのように集めている。
昨年9月、この生徒らはパリにある「フォレスト・インターナショナルスクール・パリ」に入学した。この学校では森の中で授業が行われている。やや独特なこの学校は、1950年代にデンマークで誕生し、ドイツ、イギリス、そして最近ではフランスでも人気が高まる「自然教育」に則っている。
フランス自然科学教育ネットワーク(RPPN)には現在、15の学校と約40の進行中のプロジェクトが登録され、2〜15歳の1000〜2000人の子どもがそれらの教育を受けている。その教育の目的とは? 自然の中での自らの経験を通じて、社会性、感情、認知能力を養うことだ。
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五感を育む
ポワトゥー=シャラント地域圏のマルサックにあるシャントメルル森の幼稚園(la maternelle de la forêt de Chantemerle)では、生徒も先生も季節や気温に関係なく、毎日森の中で授業をする。
「悪天候というのはありませんが、ふさわしくない服装はあります」と、森の学校の教師であり、スーパーバイザーでもあるナンシー・バリヴェ氏は言う。冬には暖かいダウンジャケット、夏にはドライスーツや雨靴、夏用の帽子が、持ち物の中で最も重要なアイテムだ。それ以外に、ペンケースやクレヨンは必ずしも必要ではない。児童精神科医のパトリス・ヒューレ医師によれば、自然は五感を発達させるのに理想的だという。
「幼稚園から小学校までの間は、子どもの好奇心が特に強い時期です」。RPPNネットワークの創設者であり、カンペール近郊、プロネイスにある森の学校(Autour du feu)の課外授業の共同創設者であるジュリー・リカール氏は、こう述べる。「実際、小さな子どもたちは、平らではない地面を歩いたり、木に登ったり、花を摘んだり、自然を観察したりすることで運動能力を発揮します」
特殊なポリシーを持つ学校
子どもたちはピタゴラスの定理を使って小屋を建てた。
−−フォレスト・インターナショナルスクール・パリ校長 ジュリー・ミュラー氏
親として認識しておいてほしいことは、森の学校に通う子どもたちが学校でIQテストを受けることはほとんどない、ということだ。
これらのワークショップと私立学校は国の認可外の学校であり、国が定める教育プログラムに従う必要がない。独自の学習方法を取り入れており、一般に必要とされる主要スキルを習得できない可能性がある。
パトリス・ヒューレ博士はこう語る。「モンテッソーリとフレネの教育同様、子どもたちは自ら何らかの作業に取り組みます。そして子どもたちは大自然の中で実験と自由な遊びをとおして学習するのです」
したがって、アルファベットは森に散らばった枝や葉を文字に見立てて学んだり、字は炭で書いたり、火をおこすのに必要な木の枝を数えながら計算を学習したりする。マルサックでは昨年、アカデミー・ドゥ・ポワティエ(ポワティエにある教育機関)の調査により、プロジェクトの一貫性が検証された。
このように実用的なノウハウを学ぶことは、フォレスト・インターナショナルスクール・パリではミドルスクール(日本の中学校にあたる)まで続く。「もし子どもたちがピタゴラスの定理を学んでいなかったら、小屋を建てるにあたり、角度を計測できなかっただろう」と校長のジュリー・ミュラー氏は言う。子どもが自分のペースで進むことができるように、クラスは複数のレベルに分け、各クラス生徒数は15人を超えないようにしている。いっぽう、子どもたちの年齢が上がると森で過ごす時間は減る。
昨年、マレイユ=マルリの学校では、歴史上有名なローマの水道橋からインスピレーションを得て、高学年の生徒たちが排水システムを設計した。そしてこの秋、彼らはその技術で得た経験をもとにツリーハウスに電気を通した。
しかしながら、小児精神科医のパトリス・ユエール氏は断言する。「この教育法は、より高度なレベルの教育を目指す際には向かないでしょう。木の麓でルソーを読むように子どもに無理強いしても無駄です」
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子どもたちは危険を回避する方法を知っている
たとえ2歳であっても、小さなノコギリを注意深く使う方法を理解しています。
−−自然教育者 ジュリー・リカール氏
小さな子どもたちにとって、マニュアルは必要不可欠である。ラザールは赤毛のカーリーヘアで笑顔が印象的な4歳の男の子。彼はすでにドリルとハンマー、そして小さなノコギリまで使用している。しかし、フォレスト・インターナショナルスクール・パリのディレクターでもある彼の母親のジュリー・ミュラーは心配していない。「彼が多少怪我してしまうことは問題ではありません。むしろ私たちは、常に間違いを推奨しているのです」。30名ほどの先生たちは、子どもたちの行動には基本的に介入せず、注意深く見守っている。
イギリスで教育を受けたリカール氏は思いを語ってくれた。電話インタビュー中、彼女の4歳の息子は庭の木から落ちた。「子どもは一度、構造と限界を知れば、危険を回避する方法を理解します。常に1メートル未満の高さの木を登るようにさせているのはそれが理由です」。また、ワークショップ中に使用する道具に関しても、彼女は同様の意見を持つ。「リスクを分析し、段々と子どもたちを信用するようになりました。たとえ2歳であっても、子どもはナイフや小さなノコギリを注意深く使う方法を理解しています。そしてたとえ自分の指を切ったり、火傷したりしても、その時に身体の持つ回復力を知ることができます」と彼女は言う。
他者との協力、そして敬意を払うこと
もし子どもたちが小枝で戦いごっこをし始めたら、すぐに先生に呼ばれ、止められる。森の学校では、連帯や協力なども重要視される。一度協力関係が築かれると、争いごとが起きた時、小さな子どもたちは話し合い、自ら解決しようとする。
「子どもたちは一緒に小屋を建てることで、相手の存在は協力関係にあり、ライバルではないことを認識します」と小児精神科医のパトリス・ユエール氏は述べる。
フォレスト・インターナショナルスクール・パリの教師らは、このグループの絆を強化するために演習を増やしている。朝の授業で、子どもたちはみんなでパラバルーン(円形の軽い布のふちを持って上下させたり回転させたりする遊具)を持ち、振付に従って動く。「皆でしっかりとバランスよく保たないと、垂れてしまいます」と教師であるハンス氏は言う。茶色の髪の少女、ローラ(10歳)は、当初は恥ずかしがっていたが、最終的には思いきり楽しんだ。教師は誇りを感じ、その横で13歳のマエルは微笑んだ。「以前、学校に行くのが憂鬱だった。成績も悪くて、誰も僕のことなんて気にもかけなかった。でももう違う」とティーンエイジャーのマエルは告白した。
また、森の中でのお絵描きは子どもたちに自信を与える。「森の学校では、算数が不得意だとしても、木登りが上手だったり、絵が上手だったりすると尊敬されます」とディレクターのジュリー・ミュラー氏は分析する。
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実際にかかるコスト
アマディーンは5歳の息子、シリウスに幼稚園で何がいちばん好きか尋ねた。すると彼は「僕は自由でいられるのが好き」と答えた。彼の望む自由な教育を与えるため、シャントメルル森の幼稚園に通わせると、1カ月当たり160〜350ユーロ(約2万〜4万3千円)、フォレスト・インターナショナルスクール・パリの場合は年間2万4000ユーロ(約290万円)になる。
パリの学校では金額的に厳しいという家族にとっては、ポワトゥー=シャラント地域圏にあるシャントメルル森の幼稚園であれば検討の余地があるだろう。たとえば、アマディーンの支払う費用は幼稚園のフィーであるため、低めの設定だ。「以前の幼稚園で落ちこぼれてしまった時から比べて、シリウスは成長したし、自分に自信を持てるようになりました。ですから、コストは見合っていると思います」と若き母であるアマディーンは言う。
別の園児の母、ヴァネッサは言う。「植物や動物と触れ合うことで、子どもたちは繊細さを手に入れ、そして私たち親もそのよい影響を受けています」
2013年、全仏健康環境連合会(l'Association santé environnement France)の行なった調査によれば、3人に1人の子どもがネギやズッキーニ、イチジク、アーティチョークなどの野菜を知らない。森の学校では、果物や野菜だけでなく、食べられる花を見分けたり、虫や動物の鳴き声も聴き分けたりすることができるようになる。もちろん子どもたちのリサイクルの意識も高い。グレタ・トゥーンベリの活動を見てもわかるとおり、次世代の到来だ。
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texte : Tiphaine Honnet (madame.lefigaro.fr), traduction : Hanae Yamaguchi