高級なワインを飲むことの意味って? 「幻のシャンパーニュ」サロン、2015年ヴィンテージのリリースに合わせて考えてみる。
Gourmet 2026.01.17
今日のワイン選びがちょっと楽しくなる連載「ワインテイスティングダイアリー」。フィガロワインクラブ副部長・カナイが日々、ワインを求めて畑へ、ワイナリーへ、地下倉庫へ、レストランへ、セミナーへ......。美しいワインがどのように育まれるかの物語を、読者の皆さまにお届けします。
今回は「幻のシャンパーニュ」とも呼ばれるサロン、新ヴィンテージ「サロン 2015」のお披露目セミナーへ。およそ10年の熟成を経て完成するサロンの唯一無二の味わい、その秘密とは? ディディエ・ドゥポン社長が語る、シャンパーニュの未来とは?
モノがあふれかえる現代、人間はしばしば「有限性」ということを忘れてしまう。スーパーやコンビニには価格とクオリティの限界に挑んだ食品が所狭しと棚の取り合いをし、ワイン売り場の棚ではソムリエたちやワインコンサルタントたちが選び抜いたリーズナブルなボトルが並び、その満足度はとても高い。そして、それはとても幸せなことだと思う。日々の糧となる「食事」のクオリティが、そもそも日本は高いのだ。
では高級なワインを飲んだり、レストランに行く意味とは? 「自己満足」以外にそれらを追求する意味とは? それらを考える時、サロンのシャンパーニュについて思いを馳せると、糸口の一端が掴める気がする。
時に「幻のシャンパーニュ」と呼ばれ、「実際のボトルより空き箱を見たことの方が多い」とまで言われるほど希少価値の高いサロン。数が少ない理由はいたってシンプル。単一年、単一村(コート・デ・ブラン地区ル・メニル・シュル・オジェ村)、単一品種(シャルドネ)で造られる。そして"極めて"作柄のよい年にしか造らず、ボトルに入れてからもおよそ10年熟成させて出荷されるという、他のメゾンでもまず見受けることがない手法を取る、特別なシャンパーニュなのだ。1905年の創業以来約120年、このサロン 2015のヴィンテージまででリリースされたのは45回のみ。グローバリズムがこの上なく高まり、SNSで写真や動画付きで情報が広がる現代、サロンの人気はさらに上がるばかり。
一般的な感覚で考えれば、生産量を増やす方向に舵を切ったり「セカンドライン」としてサロンの看板を使った商品開発をしても良さそうなものなのに、このメゾンは一切それをしない。サロンというシャンパーニュを造る上で使用する区画はひとつの自社畑と、創業者が指定した19の区画のみ。その範囲を広げることもしないし、熟成年数を短くしてビジネスの循環を早めることもない。
かつてフィガロへのインタビューで、ドゥポン社長は「サロンは極めて個性的なシャンパーニュで、私たちがブドウを選ぶ際に最も重要視するのは、"このブドウはサロンになり得る強靭な酸を持っているかどうか"」と語ってくれた。サロンというメゾンが目指すスタイルがあり、その核心が揺らがないと思った瞬間でもあった。
---fadeinpager---
サロン 2015は「若いのに花開き、飲みやすい」
「シャンパーニュ地方はここ数年とてもいい気候が続いており、気候変動のおかげでブドウがよく熟すようになりました」とドゥポンは言う。とはいえ、気候変動の影響は顕著だ。ドゥポンがメゾンを担当し始めた90年代末、ブドウの収穫は9月末~10月初めにかけて行われるのが一般的だった。しかし2013年の収穫を10月に行なって以降、収穫は8月末から9月初頭へと変わった。畑の生態系も徐々に変化しているという。冷涼なシャンパーニュでは育たなかった植生が北上し、シャンパーニュまで伸びることに。すると鳥や虫、病害も同時に移動してくることとなった。それでも「これを大きな問題としては捉えていません」とドゥポン。
「ブドウ畑は変化するものだと思っていますし、サロンの時間軸では20年後、30年後を考えて対処することが肝心です。糖度が上がる、酸度が下がるといった変化も起きてくるでしょう。でも、収穫日の変更をコントロールすることで理想の味わいを引き出すことは可能です」
グラスに注がれたのは淡く輝く金色の液体。豊かに立ち上る泡は、他のどのスパークリングワインよりも微細に感じられる。鼻を近づけると繊細な白い花に、爽やかだがよく熟した柑橘の香りが混じる。口に含むと、まず感じるのが「ピュアさ」。純粋な、凛とした酸味が心地よく広がる。そこから中盤にかけ、口内で味わいが変化していくのが愉しい。焼きたてのブリオッシュを嗅いだような、清々しい酵母感。コクがあり、心地よい苦味さえ感じる複雑さ。そしてしっかりとしたミネラル感が、その余韻を長く長く引き延ばしていく。
「2015年は1、2、3月と、とても気温が高い日が続きました。春先は湿度も高く、カビの被害がないよう畑を見回りました。夏はとても暑く、乾燥した気候に。秋に強い豪雨があり、ブドウ畑にも影響しましたが9月上旬、天候は回復し毎日太陽が照りました」とドゥポンはヴィンテージを説明する。2013年に続きリリースされたのが今回の2015年。実は2014年のヴィンテージもリリース予定なのだ、と彼は笑顔を見せる。
「ヴィンテージの特徴でもあるのですが、2014年のヴィンテージはまだ少し硬さがあるので熟成を続けています。逆に、2015年は若くして開いているタイプのヴィンテージになりました。いま飲んでもおいしいという確信があり、先にリリースしたのです。ですがしっかりとした酸味、特筆すべきミネラル感はやはりサロンそのもの。ここからさらなる熟成ももちろん可能です」
---fadeinpager---
サロンを飲むこととは、「知る悲しみ」を知ること。
金額感を考慮しないで個人的な感覚で言えば、サロンを味わうということは歌舞伎を観に行くことに近いかもしれない。歌舞伎役者が伝統と型を守りながら、現代に生きるその俳優にしか出来ない芝居を「いま、ここ」のいちど限りで演じる。そして後年、その俳優が同じ演目を演じるのに立ち会う機会もある。前と変わらない役者の良さがあり、歳を重ねた表現の変化や円熟に涙することもある。彼らの父や祖父の演技を観ているならば、その想いはひとしおだ。そしていい芝居とは、役者の鍛錬とそれに応える観客の関係性のみによって維持され得る。
それはシャンパーニュのボトルを開け、飲む時も同じだと思うのだ。リリースされた時、サロンはすでに約10年の熟成を経ているというのに、その味わいにはフレッシュ感がみなぎっている。フレッシュなサロンを味わうのも素晴らしいし、もし違うヴィンテージのサロンを味わえたのなら、もしさらに瓶内で熟成されたサロンを愉しむ幸運に恵まれたなら......。その感動は、グラスを口にした時しかわからない。
サロンというシャンパーニュは、ある種の「知る悲しみ」なのだ、と思う。この言葉は小説家・開高健がつぶやいていた言葉だと、エッセイスト&バーマンの島地勝彦から伝授された。別に知らなくても生きていける。だが、知ってしまえばそれなしの人生など耐え難くなる。つまり知識や経験は人生に悲しみももたらす。それでも、知らない平穏よりも知る悲しみのある人生の方がいい。
「飽食の時代」と言われ、情報があふれる現代。過剰な煽動やフェイク、冷笑主義が蔓延る中で、自分はどう生きていたいのか。圧倒的な指針があり、そして神秘のヴェールに包まれた存在でもあるサロンというシャンパーニュ。その味わいに憧れることは単なる贅沢を超えて、人生の深みを知ることだ、と私は信じている。そしてサロンに巡り合えない日常につぶやくのだ。「悲しみよこんにちは」と。
ラック・コーポレーション
03-3586-7501

フィガロJPカルチャー/グルメ担当、フィガロワインクラブ担当編集者。大学時代、元週刊プレイボーイ編集長で現在はエッセイスト&バーマンの島地勝彦氏の「書生」としてカバン持ちを経験、文化とグルメの洗礼を浴びる。ホテルの配膳のバイト→和牛を扱う飲食店に就職した後、いろいろあって編集部バイトから編集者に。2023年、J.S.A.認定ワインエキスパートを取得。
記事一覧へ






