岐阜・東濃地方の「宝物」とは
Travel 2022.10.06
2010年代半ばから日本社会の課題として注目を集めるようになった地方創生。コロナ禍を経て、その動きは各地でますます盛んになっている。世界的にも知られる白川郷を擁する岐阜県では「岐阜の宝もの」と名付けられたプロジェクトのもと、他にもたくさんある地元の魅力を発信し続けている。
中津川で最も古い芝居小屋である「常盤座」。
江戸期の庶民の熱気そのままに
江戸元禄期に現在の形になったと言われる歌舞伎。江戸や上方から始まってやがて全国各地で上演されるようになり、役者に憧れた地方の人々が自ら演じるようになったのが「地歌舞伎」の始まりと言われている。岐阜県はこの地歌舞伎が日本一盛んな地域であり、中津川には地歌舞伎の保存会が6つ、そして3つの芝居小屋が残っている。中でも最も古く、市の指定文化財となっている常盤座は、明治24年に常磐神社の境内に演劇所として建てられ、明治34年に名称を「常盤座」とした。重機のない時代に地元の木材を使って建てられた小屋は、竣工から10年ほど経った頃に茅葺き屋根を瓦屋根に変えて以降、改修を重ねながらも当時のままの姿を保っている。
東濃地方の特産でもある檜がふんだんに使われている。
コロナ禍以前は毎年3月の最終日曜日に歌舞伎保存会の定期公演と子ども歌舞伎教室の発表会を行なっていたが、2020年、21年は中止に。本年の3月はまん延防止重点措置が取られていたため6月に延期して開催された。公演の3ヶ月ほど前に役者を募集し、1ヶ月前には舞台で立ち稽古を始めて本番を迎えるのが常だ。おじいさんが町娘を演じたり、あるいは子どもがお年寄りの役を演ったり、その生き生きとした様子を間近に見ることができるのが地歌舞伎の大きな魅力だ。電気がなかった時代にろうそくの灯りでも映えるよう工夫された、メリハリの効いた衣装や化粧、地元の人々が作り上げる舞台ならではの観客と演者の一体感。江戸の頃から変わらぬであろう、庶民の熱気とその風情を体験できる、貴重な機会がここにはある。
市の主催で昨年11月に行われた特別公演の様子。
---fadeinpager---
その感性を注ぎ込んだ、希少な建築物
木曽川を望む鵜沼の地。昭和8年、日本初の女優として知られる川上貞奴はここに、別荘として「萬松園」を建てた。東京生まれの貞奴が鵜沼に邸宅を建てたのは、福沢桃介と共に関わった木曽川の電力開発を通じて、この地に愛着を持ったからであろうと考えられている。
貞奴はこの地に「貞照寺」を建立、萬松園は参詣する際の居所でもあった。
敷地面積1000坪、26室を擁する建坪150坪の邸宅は鋳鉄製桟瓦葺の建物で、どの部屋にも貞奴の細やかなこだわりが詰まっており、一つとして同じ意匠の部屋はないと言ってもいい。主に客人を迎えるために使われた「桐の間」は三間の畳床に高い天井、「木曽桃山飛和泉」と名付けられた6枚の襖絵には桃山発電所の風景が描かれる。また、木曽川を望むサンルームは、菱子組の桟が組まれたガラスの扉が特徴的。他にも中国風のあしらいが見られる「梅枝の間」、「藤袴の間」など、公演のために海外にたびたび足を運んだ貞奴ならではの経験と感性がそこかしこに散りばめられている。当時から電気も施設されており、水洗トイレやボイラー付きの風呂など、昭和初期の最先端技術が詰まっている。その様相が現存していることも希少で、2018年に国の重要文化財に指定された。
ゲストを迎えるための客室「桐の間」は高い天井が開放的。
---fadeinpager---
離れ座敷で時空を超える体験を
最後に紹介するのは、1万坪の広大な雑木林の中に建つ、6つの離れ座敷で客人を迎える宿「夜がらす山荘 長多喜」。およそ400年前、江戸期から続く料理旅館で、中山道中津川宿内から昭和8年、この地に移転した。栗の木を使った古民家「栗の間」、茅葺の入母屋造りの「つつじの間」など、趣を異にする6つの建物があり、一棟に一組が宿泊する離れ宿だ。多くの文化人にも愛され、庭内には若山牧水と高浜虚子の句歌が刻まれた碑があり、その内容からはかつてここが霞網で鳥を捕る猟場であったことが偲ばれる。
予約をしておけば食事だけの利用も可能。地元の旬の味を楽しめる。
旬の食材を使った料理と共に、広大な庭は四季の移り変わりを映し出し、いつ訪れてもその季節らしい風情を存分に味わうことができる。また、現在のオーナーが東濃地歌舞伎保存会のメンバーであった縁もあり、地歌舞伎見物のための仕出し弁当「歌舞伎十八番弁当」も作成。芝居小屋への配達や、テイクアウトもできる(事前予約必須)。往時から繰り返されてきた自然の営みに包まれて、変わらぬ趣をそのままに残す離れ座敷で過ごす時間は、まるでタイムトリップの如く時空を超えるような体験となるに違いない。
地元食材を使った、冬の季節に提供される料理。