プリミティブ・アートとピカソの関係を紐解く展覧会。
Paris 2017.05.11
「ゲルニカ」が制作されてから今年で80年、ということでマドリードの国立ソフィア王妃芸術センターではピカソの大規模な展覧会が開催されている。それに併せて、フランスでもさまざまなテーマでのピカソ展が現在多数開催中だ。例えばアフリカ、オセアニア、アジア、アメリカ大陸という非西洋の文明を紹介するケ・ブランリー美術館は、「Picasso Primitif(ピカソ プリミティフ)」と題してピカソにとって重要な原始芸術との緊密な関係を辿る展覧会を企画した。展示は約300点。その3分の1がピカソの作品で構成されている。
多数開催されているピカソの展覧会の中でも、この「ピカソ プリミティフ」はケ・ブランリー美術館ならではの企画だ。
異文化の芸術を大いに称賛し、コレクションしたピカソ。1908年に撮影されたバトー・ラヴォワールのピカソ、1955年に撮影された南仏のヴィラ・カリフォルニのピカソ……アトリエでポーズする彼の背景にお面、彫刻、マスコット、トーテムなどプリミティブ・アートが飾られた写真をこの展覧会では、その証言として展示している。 非西洋芸術作品が彼の人生に最後までついてまわったことが、明快だ。
1906年夏、ピカソは非西洋芸術に初めて出会う。それはドランの持つガボンの仮面で、ドランがブロカントで見つけたというヴラマンクから買い取ったもの。ピカソ自身による初の買い物は、ポリネシアのトーテムだったそうだ。彼は1907年にトロカデロにあった民俗学博物館で、アフリカのお面や彫刻に強い印象を受けている。自然の脅威への恐れなどを乗り越えようと、アフリカの人々が彫り物にフォルムと色を与えていること。恐怖と願望を形にすることで、力を得ようとする方法。こうしたことにピカソは自分の道を見つけた、と後に語っている。
左:1904年から09年までを過ごしたバトー・ラヴォワール。1908年に撮影されたこのカットには、後方に非西洋芸術が飾られている。
右:1921年に撮影された最初の妻オルガ。壁にかけた彼女の肖像画の左右にもピカソのコレクションである非西洋芸術作品を見ることができる。
友人のマティスがピカソに贈ろうとしたところ、ピカソが拒んだという「マティスのモンスター」。1960年代にルシアン・クレルグがピカソの南仏のアトリエで撮影した、問題の贈り物とピカソの写真の展示も。
展覧会の第一部は、彼がパリに来る1900年から南仏で亡くなる1973年までの、ピカソと原始芸術の関係を時代順に紹介。第二部では原型、変身、無意識的衝動と3つのテーマに分けて、ピカソの作品と非西洋文明の作品が対話をするように並列されている。これはケ・ブランリー美術館だからこそ可能な展覧会で、マレのピカソ美術館とは別の味わいがある。
左:ピカソの『nu debut de profil』(1908)とアフリカの19世紀の聖遺物箱の管理人像。
右:1951年にヴァロリスで制作された『雌猿と子供』。
ピカソによる『闘牛士』(1970年)と、ガボンやパプア・ニューギニアのお面を並列。
視線をテーマにした展示。左から2番目がピカソによるダンボールのお面(1919年)。左右は19〜20世紀のアフリカなどのお面。
見慣れたピカソのデッサン、絵画、彫刻をこれまでとは異なる視線で眺める展覧会だ。
photos:Mariko OMURA

「Picasso Primitif」展
会期:2017年7月23日まで
会場:Galerie Jardin
Musée de Quai Branly
37, quai Branly
75007 Paris
開)11:00~19:00(火、水、日)、11:00~21:00(木〜土)
休)月
www.quaibranly.fr
réalisation:MARIKO OMURA