印象派たちが愛したジヴェルニーへ、パリから日帰りの旅。
Paris 2018.05.09
印象派美術館で知るジャポニスムの影響。
今年の7月から来春にかけて、パリを中心にフランスで日仏交流160周年を記念するさまざまなイベントが開催される。日仏通商条約が締結され、2か国の間の外交関係がスタートしたのが1858年10月。いまから160年前のことで、このイベント開催期間中、とりわけ印象派がらみの展覧会が続くのは、160年前のフランスでは印象派が芸術運動の主流の時代であり、そこに日本の芸術が大きく影響しているゆえだ。
ジヴェルニーの印象派美術館では160周年記念年に先駆けて、7月15日まで『ジャポニスム/ 印象派』展を開催中である。ジヴェルニーという地名に、すぐに思うのは画家クロード・モネの家や庭だろうか。そこから徒歩10分もかからない距離に、2009年にオープンした美術館だ。ヨーロッパの芸術家たちは、160年前に日本の文化に初めて接し、日本の美学があまりにも欧州のものと異なることに大きな衝撃を覚えた。鮮明な色彩、2次元でフラット、パースの無視、アシンメトリー……彼らは発見し、影響を受け、さらにそこからインスピレーションを引き出して独自の創作活動を始めるのだ。この展覧会では1860年から20世紀初頭までのヨーロッパやアメリカの画家たちの作品を、「芸者」「収集家の画家たち」「印象派の版画」「コードの変化」という4つのテーマで展開し、ジャポニスムが印象派に与えた影響の大きさをわかりやすく見せている。
ジヴェルニーの印象派美術館。かつてアメリカ芸術美術館だった場所に2009年にオープンした。
ポスターのビジュアルに使われているのはポール・シニャックの『髪を結う女性 ,opus 227』(1892)。平面的で、ポーズも浮世絵的だ。
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「芸者」
明治時代、大量の芸術作品がヨーロッパに輸出され、1872年にパリで世界万博が開催された折には、多くの来場者が日本の文化に触れる機会となった。その中でも版画、とりわけ歌麿のカラフルな作品に登場する優雅で官能的な芸者たちに、ヨーロッパのアーティストたちは触発されて、閉ざされた空間で着物を纏った女性を描いた。アングルやドラクロワが描いたテーマ「ハーレム」同様、エキゾチスムとエロチズムが共存する「芸者」も絵画のひとつのテーマだった。着物を着た女性の背景には、扇、屏風、傘、陶器など日本的オブジェも描きこまれている。
ウィリアム・メリット・チェイスによる2作品。『着物を着た若い女性』(1887年頃)では女性の後方に日本の屏風が描かれ、右の『くつろぎのコーナー』(1888年頃)は着物姿の女性が団扇を持っている。
ジョルジュ・ヘンドリック・ブライトナーの『白い着物の女性』(1894年)後方の屏風は漆のようだ。
日本的なフォルムも画家たちを魅了したようだ。ドガ、ピサロ、ゴーギャンなど多くの画家たちが、扇のフォルムの小さな作品を制作。折り畳んで扇として使うという実用ではなく、壁の装飾としてで、これらは身近な女性たちへの贈り物であることが多かったようだ。もっともピサロは売れ行きがよいので、販売するために多数作成したらしいが。
カミーユ・ピサロは収穫の光景(左、1880年頃)、縁日の光景(1881年)を描いた。
左はポール・シニャックによる日没は。中央はエドゥアール・ドガによる舞台裏のダンサーたち。右のジョゼッペ・ドゥ・ニティスはこうもり、葉に隠れた月、あやめなど日本的モチーフをモノトーンで。
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「収集家の画家たち」
1860年代の中頃以降、東洋の品を輸入販売するブティックやプランタンやボン・マルシェといったデパートで日本の浮世絵や縮緬画を手ごろな価格で購入できるようになった。その結果、画家たちのアトリエや家の壁を飾るのは日本の版画、というブームが起きる。ゾラ、マネ、モネはこうした店で出会ったとか。モネがどれほど大量の浮世絵をコレクションしたか。この展覧会を見終えた足で、彼が暮らした家を訪問してみよう。玄関、食堂……部屋のあちこちの壁に彼のコレクションが飾られている。
展覧会のこのセクションでは、モネを筆頭にゴッホ、シニャック、さらにナビ派のヴュイヤールやランソンも含めさまざまな画家たちの版画コレクションを展示。ドガが持っていた珍しくエロティックな版画も! 画家それぞれ好みが見えるようで、なかなか面白い。そして、版画を壁に飾った画家たちのアトリエの光景が見える絵画も展示され、この時代のジャポニスムの証人のよう。
エドゥアール・ヴュイヤールが所蔵していた歌川国定の四季より『夏』。
クロード・モネが所蔵していた版画コレクションより。モチーフは波、魚、猫、女性など。
エドゥガー・ドガが所蔵していた鳥居清長作の『女風呂』(1787年頃)。
左は歌川広重、右は歌川国芳。ヴィンセント・ヴァン・ゴッホが所蔵していた。
エドゥアール・マネによる『エミール・ゾラの肖像画』(1868年)© RMN-Grand Palais (Musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski
フェリックス・ヴァロタンの『フェリックス・ヴァロタンのアトリエのマックス・ロドリゲス』(1900年)。その作品と、中に描かれているアトリエを飾る浮世絵も同時に展示。
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「印象派の版画」
このセクションは、1890年春にパリのボ・ザール校で開催された「日本の巨匠」展のポスターから始まる。掛物、版画、挿絵入りの本などが展示されたらしい。ポスターを描いたのはパリのラデュレ本店の天井にパティシエ・エンジェルを描いたジュール・シュレだ。
エドゥアール・ドガ、ポール・ゴーギャン、フェリックス・ヴァロタン……新しい美学に挑発された画家たちが挑戦した版画が、展示されている。メアリー・カサットによる3点の版画は、この1890年の展覧会開催の直後に制作されたものだ。版画のテクニックは、商品の宣伝のポスターにも活用された時代である。会場では、ボナールによるFrance-Champagneのポスターを見ることができる。
ジュール・シェレによるポスター。
日本の版画に影響されて制作された、1891年頃のメアリー・カサットによる作品。
ピエール・ボナールによるシャンパンの宣伝や屏風。
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「コードの変化」
日本がもたらした新しい美学を吸収したヨーロッパの画家たちは、各人各様に自分の作品の発展にそれを取り込んでゆく。クロード・モネは北斎のように波を描いている。ホイッスラーは掛け軸のような縦長のフォルムで絵画を描き、自分の名前を印鑑のように刻印。フィリップ・ヴァロタンは夕日を立体感なしに描き……。会場に展示されている印象派からナビ派まで大勢の画家たちの作品に、日本の影響を見出してみよう。
ジェームス・マックニール・ウィッスラー『Variations en violet et vert』(1871年)。
ギュスターヴ・カイユボットは花で画布を埋め尽くした作品を描いた。
クロード・モネ作『Le Bassin aux nymphéas, harmonie verte』(1899年)©RMN-Grand Palais (Musée d’Orsay)/Photo:Stéphane Maréchalle
左はアンリ=エドゥアール・クロ、右はポール・シニャック。
これほどまで日本の美がヨーロッパの芸術家たちに衝撃を与えたのか!と、日本人としては驚き、そして、ちょっと鼻が高くなる展覧会である。展覧会前と後では日本の版画、浮世絵に向ける視線も変わるはずだ。
印象派美術館内にはレストランが設けられている。フォンダシオン・クロード・モネと2箇所を同日に観光する人には便利だ。
ジヴェルニーへはサン・ラザール駅から列車に乗り、Vernon(ヴェルノン)で下車。ここからシャトルバス(有料)でジヴェルニーへ。
会期:開催中〜2018年7月15日
会場:Musée des impressionnismes Giverny
99, rue Claude Monet
27620 Giverny
開)10:00~18:00(最終入場時間17:30)
料金:7.5ユーロ
http://www.mdig.fr/
réalisation:MARIKO OMURA