portrait de parisiens パリの気になる男たち アドリアン・グロアゲン:パリのホテルをおもしろくした仕掛け人。

Paris 2021.02.24

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「Touriste Ltd」を率いる若き実業家アドリアン・グロアゲン。

10年くらい前まで、手の届く金額で、設備も整っていて、おしゃれなインテリア……そんなホテルをパリで見つけるのは不可能に近かった。理想の条件のうち何かひとつは犠牲にしなければならなかった。だから2012年に「Hotel Paradis (オテル・パラディ)」が10区にオープンした時は、スキャンダルが起きたかのようにマスコミは大騒ぎ。とりわけお金持ちでなくても、快適でこんなおしゃれなホテルに泊まれるなんて!!と。オテル・パラディの生みの親はアドリアン・グロアゲン。この後もいまにいたるまで、彼はホテルをオープンし続けている。

アドリアンのコンセプトに触発されたパリ市内のホテル主たちは、彼に続けとばかりインテリアに凝ったホテルを造り、あるいは改装し……。高級ホテルでなければインテリはそこそこ、という定説は覆され、パリには手頃な価格のブティックホテルが次々と生まれてゆくことに。このようにパリのホテルがおもしろくなったのは、アドリアンのおかげである。いったい、どんな男性なのだろう。彼の情熱の物語が気になる。

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左から、オテル・パナッシュ(2016年開業)、オテル・ビアンヴニュ(2017年開業)、オテル・レ・ドゥ・ギャール(2020年開業)

始まりは10区のオテル・パラディ。

アドリアンは1983年生まれ。オテル・パラディは若き彼にとって、2つ目のホテルだった。オープンしてから6カ月の間にホテルを紹介する記事が世界中で400!という数字が記録に残っているという、オテル・パラディのこの大成功ぶり。

「こんなに話題になるなんて、まったく想像していなかった。ちょっとエゴイストだけど、ここは僕自身のために作ったといってもいいホテル。内装を任せたドロテ・メリクゾンの仕事が好きだったので、だから、たとえほかの人が気に入らなくっても僕が好きなら……というように思っていて。自分の可能な範囲の工事費で作れる、若々しくフレッシュなホテルがほしかった。開業直後、近所に住むヴォーグ誌のジャーナリストが偶然ホテルの前を通りかかって、記事にしてくれて。そこから火がついたんです」

さらにNYタイムズ誌が追い打ちをかけた。当時、新しい胎動が感じられたプティット・ゼキュリ通りをいち早く特集する2ページの記事の中で、オテル・パラディも取り上げたのだ。こうしたマスコミからのリクエストに埋もれてしまったアドリアン。これらに対応することになったのが、アドリアンの妻ジュリーである。彼女は高級ブランドに勤めていたが、ちょうど辞めたところ。PRエージェンシー「Dallas」を設立したジュリーの最初のクライアントが、オテル・パラディとなったのだ。

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2021年12月に開業したオテル・パラディ。ドロテ・メリクゾンが初めて手がけたホテルで、壁には彼女特有のブルーが用いられた。現在このホテルはアドリアンの手から離れている。 ©Romain Ricard

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アドリアン、ホテル業を目指す。

「高校時代も学生時代も、僕はアルバイトや研修を山のようにしてるんですよ。英語を学ぶことも目的に、ロンドンので2〜3カ月の夏のアルバイトをしたことがあって……それが偶然にもユースホステルの仕事。働いてる人は25歳、宿泊客は20歳とみんな若くって、ここの雰囲気がすごく気に入ったんですね。知らなかったことだけど、社会に出る前の若者たちは世間勉強として、世界一周したり、外国に1年滞在したりというのが英国式典型。オーストラリア、南米、日本まで働きに行ったりも……こういうの、最高だって思いました。ユースホステルの地上階には必ずパブがあるんですね。スタッフも集まって、ビールを飲みながら、そこで宿泊客の冒険談を聞いたり、いろいろなことを話し合ったり……。大企業に勤めるよりも、旅の世界はなかなかおもしろいぞって思いました」

アドリアンは子どもの頃から多くの旅をしている。アドリアンの父親はフランスで有名なガイド本の創始者で、彼も16歳の夏には父の出版社でアルバイトを体験。旅を求める気質は彼にも備わっているという。ロンドンでの経験からオトゥリエ(ホテル業)という職業の選択にいたるのは自然のなりゆきだったようだ。

小さい時から各地のホテルを知る彼自身は、どんなタイプのホテルがお気に入りなのだろうか。どんなホテルに彼は魅了されるのだろうか。

「星の数は1つでも4つでも。昔ながらの魅力の中に佇んでいるようなホテルが好き。たとえばコルシカ島のアジャクシオのシンボル的存在の、オテル・マキ。50年くらい何ひとつ変わってない、という感じ。レストランのサービスは少し畏まっていて、オールドスクールでパーフェクトです。同じくコルシカのロシュ・ルージュは、オテル・マキほどリュクスではないけれど、快適。建築当時のままの風情が残っていて、サービスもよくて最高です。こういうタイプのホテルが僕は好きなんです」

2008年、25歳でホテル経営者に。

バカロレア(大学入学資格)取得後、商業の高等専門大学に進み、5年の学業期間中、ユースホステルかあるいはホテル業界に進もうと決めたアドリアン。卒業後、さまざまなタイプの宿泊施設について学ぶべく、ルレ・エ・シャトー系、家族経営のホテル、グループ経営のホテル、ユースホステルなどで働いた。パリにはユースホステルは少なく、あっても宗教団体系だったり。もちろんロンドンのようにパブなどは備えていない。 あちこちで働くうち、ユースホステルではなく、典型的なホテル経営を目指そうと、徐々に彼の中でプロジェクトが具体化していった。

「それまでに一度もレセプショニストの仕事をしてなかったので17区の小さなホテルのレセプションに仕事を見つけ、並行してパリ市内で買収するホテルを物色しました。パリの中心部から少し外れた場所で僕が購入できる範囲のあまり高くないホテルを。リノベーションによって新しいエネルギーをもたらしたい、というのが買収のアイデアだった」

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アドリアンのデザインへの興味は母親譲り。彼が2008年にホテル経営に乗り出した時に、ネクタイを締めカバンを持った実業家の小さな彫刻が彼女から彼に贈られた。以来、彼が働く場所には必ずこのカトリーヌ・ホフマンの作品が。photo:Mariko Omura

14区に高年齢夫妻が経営するオテル・ソフィー・ジェルマンを見つけた。しかし融資してくれる銀行を見つけるのに、経営経験のない25歳の若者はおおいに苦戦。6行に断られ、7つ目の銀行で願いが叶ったのだ。

「担当者が僕を信頼してくれたんですね。“ホテルを買うのを助けましょう。でも改装費用は助けてあげられません”と。そして彼はこう続けました。“あなたが期待する数字の売り上げを出せたなら、1年後に工事の費用を貸しましょう”と 。ノーチョイスですよね、ウイと答えるしかありません」

ホテルのスタッフは誰も解雇せず、コンピューターを導入して、彼らにコンピューターの教育を彼は施した。そしてブッキングコムやエクスペディアといったサイトに登録し、周囲の企業にはクライアントや従業員に特別価格を提案します、と電話をかけて……一年間必死で戦ったアドリアン。目標を達成したことで、銀行からの新たな融資を得てホテルの改装ができ、それによりホテルの経営はますます上々に。いまではアドリアンが新しくホテルを手がける、というと、誰が今度は室内装飾を?ということが話題になるが、当時はデコレーターに依頼する費用がないだけでなく、そういったことは念頭にまったく浮かばなかったという。

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今度は銀行から提案! 2つ目のホテルが生まれた。

それから3年、今度は銀行のほうから融資の提案がきたのだ。「アドリアン、ひとつ目のホテルがうまくいってるのだから、2つ目のホテルをプレゼントしましょう!」と。

この時、アドリアンの頭には次のホテル、という考えはなかった。まだ若い彼はひとつ目のホテルに満足し、そのための借金の返済もあり……。こうして銀行にプッシュされるようにして生まれたのが、前述のオテル・パラディなのだ。

「ホテルを作った10区のパラディ通りはいまのようにはまだ開発されていず、それに僕は14区の左岸育ちなので、この辺りのことは何も知らず。でも、10区に誰も欲しがらないホテルがあり、買収価格も高くないから、と提案されたんです。ホテルは気に入りました。で、僕が思ったのは、ここでホテルをやるには、特徴となるような何か特別なタッチが必要だな、と。それで改装にあたって室内装飾をドロテ・メリクゾンにお願いすることにしたんです。彼女にとってこれが初のホテルの仕事だったんですよ」

オテル・パラディの成功で知名度をあげたドロテに、彼は次のオテル・パナッシュも任せることにした。新たな挑戦を突きつけられたドロテから、パリの古いビストロの椅子にインスパイアされたベッドのヘッドボードや照明など、信じられないような仕事が生まれた。なおオテル・パナッシュにはとても感じのよいディレクターがいる。彼女はアドリアンの最初のホテル、オテル・ソフィー・ジェルマンでディレクターを勤めていた女性だという。ちょっといい話では?

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Hotel Panache (オテル・パナッシュ/ 1, rue Geoffroy-Marie 75009 )。インテリアはドロテ・メリクゾンが担当。このホテル以降、アドリアンは味自慢でおしゃれなレストランをホテルに併設してオープンしている。またホテルのバスルームに置くシャンプーやスキンケアのオリジナルブランドBonne Nouvelle(ボンヌ・ヌーヴェル)もスタートした。

その次のホテル、オテル・ビアンヴニュの室内装飾はドロテではなくクロエ・ネーグルに声をかけることにした。3軒とも9区、10区といった同じ界隈にオープンすることになったのは偶然だという。

どこもインテリアが美しく、ビジュアル的にも紹介しがいのあるホテル。しかしアドリアンが仕掛けるホテルの素晴らしさは、見た目だけに止まらないのだ。デザインの美しさに加え、快適、回線状況のよいWi-Fi……これらが彼のホテルに共通している。

「単にいま風なデザインを試してるだけのホテルというのは、むっとしますね。僕が追求してるホテルは違います。ミニマムなサービスだけどクオリティが高く、朝食はおいしく、ベッドは寝心地が良い。Wi-Fiが確実に機能し、デザインが綺麗で……。8区やサンジェルマンといった地区ではなく、パリジャンが暮らす界隈にあり、高級と安宿の中間層のホテルで一泊150ユーロ程度でといったホテルです」

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Hotel Bienvenu(オテル・ビアンヴニュ/ 23, rue Buffault , 75009 )、インテリアはクロエ・ネーグルが担当。

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規格統一は大嫌い。同じことは繰り返さない。

自分の気に入らないことはしない。これがアドリアン。彼はスタンダリゼーションを嫌い、だから同じプロジェクトは繰り返さない。たとえばオテル・パナシェ2は存在しないのだ。

「オトゥリエという職業につくというのは、子どもの頃の夢じゃなかった。でも、小さい時からわかっていたのは自分の上にパトロンがいず、インディーとして仕事をするということだった。いま8つ目のプロジェクトに取りかかっています。仕事の中で特に僕が好きなのはホテルを作るごとに新たなデコレーター、新たな料理人を探し……と毎回違うことをすること。このおかげで新しい視線との出合いもあります」

その結果、思いもかけない成功を収めたのが、昨秋に開いたオテル・レ・ドゥ・ギャール。このホテルを紹介する記事は、オテル・パラディを紹介した数をすでに超えている。内装を英国人のルーク・エドワード・ホールに依頼したのだが、最初に彼によるホテルのムードボードを見たときにはビックリ仰天したという。

「白い壁もなければ白い天井もない……一室に5色も6色も使われている。かなり特殊です。こうしたホテルが人々の気にいるのだろうか。自問自答しました」

新しいプロジェクトのたびに新しい才能を探すアドリアン。“若く、フランスであまり知られてなく、新しい人を探してるのなら”と、ルークのエージェントが彼を提案してきたのだ。インテリア業界で人探しをしていた彼なので、アーティストに依頼することは考えてなかったのだが……ルーク・エドワード独特の世界に魅了された。

「年齢が若いことにはさほど拘っていない。僕が探しているのは、第一に僕の気に入ること。そして、過去にホテル経験がないことです。それによってホテルに新しい視線、新鮮味が与えられますからね。経験が豊富だとアイデアが決まり切ったものとなってしまう」

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Hotel Les Deux Gares(オテル・レ・ドゥ・ギャール/ 2, rue des Deux Gares 75010)。インテリア担当はルーク・エドワード・ホール。地下には小さいけれどジムを作り、また、向かいのビストロもホテル所有に。

ついに海外進出 !  8つ目のホテルはロンドンに。

こう語るアドリアンだが、次のホテルの内装は経験豊かなファブリツィオ・カシラギに任せることにした。この8つ目のホテルはパリではなくロンドンだ。

「エネルギーとアイデアにあふれたロンドンは大好きな街なので、ここにホテルを持ちたいというのが長年の夢でした。パリを出たいという気持ちがあって、海外に進出するにはロンドンはよい第一歩。ファブリツィオの仕事は前々から気に入っていて、話す機会もよくあって……。ロンドンは僕にとって、とても大きなプロジェクトなんです。だから、仕事のベースがしっかりとあり高い評価を得ている室内装飾家にお願いしたいと。彼ならホテル経験もあり、安心して任せられます。インテリアの基本は今回はクラシックを希望。60室あって、これまでで最大のホテルとなります。昨年3月1日に買収し、工事を始めたのは3月15日。コロナ禍でクローズされた工事現場がロンドンでは少なくなく、そのおかげで僕のホテルの工事に大勢の作業員が集まれたんです。予定より工事が少し遅れているけれど、5月か6月にはオープンの予定です」

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そしてツーリストというホテルグループが誕生。

オテル・レ・ドゥ・ギャール、オテル・パナッシュなど彼のホテルのインスタグラムをチェックしている人なら、気がついたかもしれない。これらホテルは「Touriste Ltd」というグループに属しているのだ。アドリアンの各ホテルに物語があり、各ホテルにアイデンティティがある。これらのホテルの裏には誰がいるのだろうか……と人々は思うようになり、また彼の名を知る人は、これはアドリアンのホテルだ、と見分けられるようになった。

「去年の夏、何か新しい事を始めたいということもあって、ホテルのグループを作ろうと決めました。やるからには僕が楽しめなければ、と……まずツーリストを世間に知らせる手段として、Tシャツを作ったところ、これが意外にも大ヒット。日本からもオーダーがきましたよ」

もしホテルのグループを作るなら、とツーリストという名前を提案したのは、友人でクリエイションスタジオ「Al Dente」のパトリツィオ・ミチェリだ。ツーリスト(観光客)。この言葉はトラベラー(旅人)に比べ、一般にはランクがひとつ下の扱いを受けているが、アドリアンは気に入った。

「旅をするのにツーリストではいけない、ということに僕は反対です。ツーリストであることは恥ずかしくない。旅をするのに気取る必要はないんだから……と。おまけにtouriste.comのドメインが使える、という偶然も重なって、グループ名が決定しました」

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パリのブティックホテルとうたうサイトのtourist.comではアドリアンが経営するホテルの予約ができるだけでなく、ショップでTシャツ(サイズ、色は複数あり。35ユーロ)、グループに属するホテルの宿泊に使えるギフトバウチャー(110ユーロ〜)も販売している。www.touriste.com


上記に紹介したほかにもアドリアンはホテルを所有している。アクティブに活動し、アイデアに事欠かないアドリアン。若きホテル王ではあっても、気さくで謙虚な人柄は以前から変わらず。メール、ショートメッセージに追われる日々を送る彼は、スポーツジム、そしてパリ市内を歩くことによって充電を図るそうだ。週末には子どもと一緒に目的もなく3時間くらいパリを歩き回ることも。

「もし1日が30時間あったら? 特別なことをするのではなく、家族、読書、インテリアなどいましているひとつひとつについて時間をかけたい。仕事、私生活について将来を考えて、新しいプロジェクトも……」

さて、彼の頭の中で、どんな新しいアイデアが浮かんでいるのだろう。サンジェルマン・デ・プレ界隈にいつかホテルが持てたら、という気持ちはあるが、これはいまのところ現実的なプロジェクトではないという。いずれ日本にも進出?と期待してみたくもあるが、日本は彼にとって未踏の国。小さな女の子3人のパパであるアドリアンは彼女たちがもう少し大きくなったら、一家で日本を旅したいと思っている。

最後に、未経験の彼の最初のホテルに大胆にも融資を決めた銀行の担当者について触れておこう。

「彼、ジェローム・レイナルといって、いまもずっと僕の担当なんですよ。彼には大勢のクライアントがいて、25歳の僕を信頼する必要などもなかったのだけど……。こうして僕のことを信じてくれた彼のおかげで、成長できている。彼には常に感謝していますよ」

パリで素敵な宿を探す人すべてが、ジェロームに感謝すべきだろう。

réalisation : MARIKO OMURA

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