メティエダールが花開く、パリの商業空間 アラン・パッサールの野菜料理を、ルサージュが刺繍で描く。

Paris 2022.06.28

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レストラン「アルページュ」の地下、魅惑の空間サロン・ルサージュ。ランチとディナーでは照明を違える工夫も。photo:Julie Ansiau

パリ7区の3ツ星レストラン、「Arpège(アルページュ)」。営業時間外に店の前を通ると気がつくことがある。“閉店中”の代わりに「いま、庭にいます」と看板がかかっているのだ。これはアパルトマンのコンシェルジュが建物の上階に掃除に行っていたりする時に、コンシェルジュ室の前にたとえば “いま、建物A館にいます”と掃除中の居場所を告げる習慣をもじったもの。アルページュのシェフのアラン・パッサールはいまから20年以上も前に誰よりも早く、まだ誰も思いつきもしない時に肉を扱うのをやめ野菜専門を宣言した。15年前からは自分のふたつの畑で栽培する野菜だけで、レストランの料理を作っている。というわけで、彼の居場所は店でなければ畑という遊び心をこめた看板なのだ。

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アルページュのある日のメニューから。毎朝、畑から届いた野菜をもとにその日のメニューが決まる。まずは採れたてのミニ野菜から。photos:Mariko Omura

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左: 白味魚のようにホワイトビーツを寿司仕立てに。上にはルリジシャの花、周囲にはタプナード。 右: ルバーブのタルトを飾るニワトコの白い花が壁の刺繍に呼応するよう。photos:Mariko Omura

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Maison Lesage(メゾン・ルサージュ)& Gossens(ゴッサンス)

レストランの地下スペースは16世紀には石貯蔵倉だったそうで、むきだしの石の壁が囲み、アーチ型の丸天井である。上のフロアの食事客から帰りがけに、地下を見たいという声が最近増えているそうだ。レストランのホームページの掲載写真や口コミで興味を持った人々である。地下はパリはおろか世界のどこにもないスペシャルな内装が自慢の空間で、「サロン・ルサージュ」と呼ばれている。ルサージュ……刺繍でおなじみのメゾン・ルサージュだ。アラン・パッサールは長いこと、ここに刺繍を施した内装があったら、と夢見ていたという。「僕は糸や布が好きなんです。母がクチュリエだったせいでしょう。もし料理人になっていなければ、クチュリエになっていたかもしれません」とパッサールは語る。自分のアイデアにメゾン・ルサージュが興味を持ってくれるとは思っていなかったが、ある日、思い切って彼がメゾン・ルサージュに電話をし、そこから話がとんとんと進み……昨年末に内装が完成した。

メゾン・ルサージュはシャネルが傘下に迎えたメティエダールのひとつ。いま、12のメティエダールはパリ19区のle19Mという建物内にまとめられ、メティエ間のやりとりが簡単になり、また複数のメティエがひとつの同じプロジェクトに関わるということも推奨されている。アルページュのための仕事も、メゾン・ルサージュとゴッサンスが関わっている。

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左: まずはキャンバスにデッサンがペイントされ、その上に刺繍が重ねられた。 中: メゾン・ルサージュの担当者によると、玉ねぎの刺繍化がいちばん難しかったそうだ。 右: アラン・パッサールの切り絵を生かしたMaison Fragileの位置皿、キャンドルスタンドはGoossens。photos:Mariko Omura

ここに蝶々を、ここにてんとう虫を……と昨年12月の完成以降もシェフからルサージュにリクエストがあるという。そのサロン・ルサージュをここに紹介しよう。丸天井の古い地下倉がシェフの野菜畑の温室と同じフォルムであることから、彼がイメージした内装は温室の再現だった。木枠の骨格が用意され、シェフ指定の色で染められたコットンのトワルが壁を覆うようにそれに張られた。「ある時、彼は100近いデッサンのコピーをもってやってきました」とメゾン・ルサージュが語るのは、料理のデッサンのことで、ここから選ばれた料理20点が、壁を覆うトワルの左右にまずペイントされ、その上に刺繍されたのだ。

温室を模した空間なので、ひとつの壁には扉が描かれ、もうひとつの壁には麦が刺繍された。これはシェフがあるジュエリーのブティックで麦の装飾を見たことからの希望だという。また温室ではぶどうの葉は日陰を作る役を果たしているということをシェフが語ったところ、それをこの地下にも生かそうということに。それで、ルサージュからの提案でシャネル傘下で金銀細工のメティエダール「Goossens(ゴッサンス)」が、このプロジェクトに加わることになったのだ。24金液に浸された真鍮が素材のぶどうの蔓と葉が天井の一角に這わされ、トンボやカブトムシがその中に見つかるというポエティックな仕上がりである。

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温室を模した空間。屋根のぶどうのつると葉をゴッサンスが製作した。photos:Mariko Omura

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刺繍に用いられたテクニックはクラシックなものだが、メゾン・ルサージュのアーカイブにあった1924年以前の素材が刺繍に用いられた料理もある。1858年に創業した刺繍工房「Michonet(ミショネ)」を1924年にストックごと買収したのがメゾン・ルサージュで、ミショネが守っていた創業からの古い素材を所有しているのだ。たとえば料理の刺繍にあしらわれた小さな花々、あるいは麦の茎は内側に金箔を貼ったクリスタルのチューブである。いまはもう見つけることのできない希少な素材は量が限られているため、どんなに素晴らしくてもプレタポルテには使えず、今回のようなプロジェクトでの出番となるのだ。また、今回はゴッサンスも参加していることから、麦の穂から顔をのぞかせる丸みのある実はぶどうの葉と同じ素材でゴッサンスによるものだ。

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手仕事の驚異。刺繍はパリのMaison Lesamge(メゾン・ルサージュ)のアトリエとインドのLesage Intérieurs(ルサージュ・アンテリユール)のアトリエにて。

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麦の茎に用いられたのは内側が金箔のクリスタルチューブだ。こちらの壁、よく見るとミツバチが。photos:Mariko Omura

メゾン・ルサージュによると、このサロンの刺繍にかかった時間は延べ3,800時間で約18カ月の仕事だったそうだ。なおインドに拠点を置くルサージュ・アンテリユールもこのプロジェクトの実現に参加。料理のペイントはパリで行われ、刺繍はパリとインドで進められた。ふたつのアトリエの間に素晴らしいシナジーが生まれたという。

「僕の料理に似たインテリアが欲しい、そう思ったのです。野菜料理というのは美しさ、洗練、繊細さへの招待。自然は素晴らしい仕事をしてます。だから、季節をリスペクトして料理をしてるので、3カ月ごとにメティエを変えているという感じがあるんです。冬は根セロリ、春はアスパラガス、夏はトマト……素材が変われば、僕は同じ料理人ではなくなります。それが素晴らしいことなんですね」

こう語るアラン・パッサール。彼は18カ月の間、進行状況の情報をもらい、何度もミーティングに参加して……。その結果の出来上がりには良い驚きばかりだと目を細める。「刺繍は色の遊びに目を奪われます。ディテールを仔細に見て、毎日のようにそのアイデアや細かい仕事に驚かされて……。近づいてみると、遠くからではわからなかったことにワァー!となります。絵画のようですね。遠くからああ馬の絵だと認識していて、近づくとその筆使いに圧倒されるという」。ガストロノミーと装飾芸術というフランスが世界に誇るふたつの文化が共鳴する空間での食事。素敵な思い出とともに、レストランを後にすることになるのだ。

Arpège
84, rue de Varenne
75007 Paris
Tel 01 47 05 09 06 
開)12:00〜14:30、19:30〜22:30
休)土、日
www.alain-passard.com

 

editing: Mariko Omura

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