ブルーム・パリの新作と創業者が卒業した16区リュベック校のこと。

Paris 2023.09.11

これまでにも何度か紹介したが、ブルーム・パリはインドのブロックプリントによる手染めのコットンを用いたテーブルリネン、ベッドリネンで始まったブランド。2020年9月にオンラインショップをスタートし、昨年秋にブティックを16区にオープンした。着々とファンを増やし、この夏はニューヨークのイーストハンプトンとサウスハンプトンにあるエアリン・ローダーのブティック「Aerin(エアリン)」でゲストに招かれてポップアップを開催した。ブルーム・パリを創設したのはTV業界から転身したパリジェンヌのポーリーヌ ・ファヴィエである。

彼女によるとブランドはゆっくりと、でも確実な成長を遂げているそうだ。昨秋にオープンしたブティック、デパートのル・ボン・マルシェのメゾンフロアでのポップアップも好評につき、6月の終了予定時期を越えても売り場が続いている。

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7月下旬、イースト・ハンプトンでのポップアップにてエアリン・ローダー(右)とブルーム・パリ創業者ポーリーヌ ・ファヴィエ(中)、共同経営者のアクセル・デルーヴィル(左)。インドのコットンにパリジェンヌの洗練されたセンスがもたらされたアール・ドゥ・ヴィーヴルのアイテムはアメリカ女性のハートもとらえている。

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ブルーム・パリの定番アイテムであるベッドリネンとクッション。

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テーブルリネン。デザインは変わらず、シーズンごとに新しいプリントが加わる。

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ブロックプリントのアイテム数も増え、パジャマ、トートバッグ、ラップトップケース、ティシュボックス・ケース……それに今年のクリスマスシーズンのために進めているのは、パジャマやベッド用品などベビー・ブルームのプロジェクトだ。インドのポンディシェリとパリのアトリエでブルーム・パリの品は制作されているが、いま、パリにふたつ目のアトリエを、と考えているところとか。また昨年オープンしたブティックではインドの真鍮のジュエリーやグラス、南アフリカのハンドペイント食器なども扱っている。海外からのオーダーにはDHLで発送をすることから、日本にもすでにブルーム・パリの熱狂的ファンがいるという。

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左: 増え続けるブルーム・パリのアイテムから。オリジナルのルームフレグランス。フリージア、月桂樹などを調合した優しくフレッシュな香りをおさめたボトルにブロックプリントの端布で作ったポシェットがプレゼントされる。 右: ブロックプリントのコットンをキルティングしたラップトップケース。

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左: パジャマ。 右: ティッシュペーパーボックス・ケース。

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モード界にも出身者がいるお嬢様校リュベックって?

ブルーム・パリ。途中からアクセル・デルーヴィルがこの冒険に参加した。ポーリーヌの子ども時代に学校が一緒だったそうで、ふたりが通ったのは16区のリュベック通りにある私立のカトリック校「Institut de l’Assomption」。所在地からリュベック校と呼ばれ、現在は共学だが彼女たちの時代は女子校だった。ポーリーヌの異父姉ヴィクトワール・ドゥ・カステランヌも姉マチルド・ファヴィエ(ディオールのPRマネージャー)も同校の出身である。プッチのアーティスティック・ディレクターを務めるカミーユ・ミチェリ、そしてデザイナーのヴァネッサ・シワードもこの学校で学んでいる。ちょっと気になるこのリュベック校。どんな学校か、ポーリーヌに話してもらおう。

「85歳の母もリュベック出身者なんですよ。彼女の学校時代の仲良しはブリジット・バルドーの妹でミジャヌーって呼ばれていたマリ・ジャンヌ。ブリジットは別の私立に通っていたんじゃないかしら。母は自分と同じ学校に私たち姉妹を入れたのね。私は幼稚園、小学校、中学、高校をリュベックで過ごしました。私自身は7区に住んでいるので娘は7区の学校にいれたけれど、もし16区に住んでいたらやはり同じようにリュベックに娘を通わせたでしょうね。学校って人生最初のネットワークを形成する場だと思うの。友だちを最初に作る場所で、学校を出た後もその友情をずっとキープし続けます。リュベック時代に最初の友だちができ、その中のひとりが同級生だったアクセルなんですよ」

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ポーリーヌ とアクセル。photo:Alexandre Weinberger

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リュベック時代から仲良しのポーリーヌ(3列目右から2人目)とアクセル(後列左から2人目)。photo:Courtesy of Pauline Favier

3歳から18歳まで通ったポーリーヌと違い、アクセルは途中でリュベックを去り、大学で商業をマスターした後は地方でシリアルの会社やジットを経営というように地理的にも距離があったものの、ふたりはずっとコンタクトを取り合っていた。ポーリーヌがブランド発展のために共同経営者を探した時に、すぐに白羽の矢がたったのがアクセル。彼女もまたポーリーヌのように日常生活におけるアール・ドゥ・ターブルの大切さを母親から学んでいたという。アクセルがパリをベースにできる仕事を探していた時期でもあり、またポーリーヌの夫も母も彼女を知っていたこともあり、すぐに実現へと。

「子どもを迎えに来る両親同士も毎日のようにリュベックで顔を合わせ、そして親子ともに仲良しになっていて……。私の母が来られない時は弟で私の叔父(ジル・デュフール)が迎えに来てくれました。彼、私たち姉妹にとってまるで父親のような存在なんです。私はカミーユ・ミチェリと10歳のころからの仲良しで、ジルが私を迎えに来て一緒にいるカミーユを見ると、“なんてシックなんだ! なんてきれいなんだ!”と言っていたんですよ。彼女の両親はファッションとアート関係で、だから彼女は装い方もほかの生徒とは全然違ってた。ジルは当時カール・ラガーフェルドの右腕としてシャネルでスタジオ・ディレクターを務めて、そんな関係から私の最初の研修先はシャネルでした。ジルと夜の外出をよくしていたヴィクトワールはカールとも顔見知りになっていて、彼が彼女のスタイルを気に入ったのかもしれません。22歳の頃に彼女にファンタジー・ジュエリーを任せることに……。その後カミーユもシャネルに入ったんですよ」

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左: 2歳上のマティルドとのコラボレーションによるバスケット「マティルド」。 右: ブティックで販売している南アフリカの手描きの食器。姉のヴィクトワールへのギフトを探している時にマティルドが見つけたブランドであり、また偶然にもポーリーヌがブティックで販売したいと見つけたブランドだったというエピソードがある。姉妹のアール・ドゥ・ヴィーヴルの嗜好は骨董商だった母からの影響だという。

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リュベック・コネクションとでも呼べばいいのだろうか。デザイナーのヴァネッサ・シワードはポーリーヌやアクセルより下の学年だったが、ブルーム・パリのファンということから2年くらい前に一緒に何かしましょうということになったそうだ。こうして彼女がドレスをデザインし、そのための布を一緒に選んで……その後、同じデザインでシルクのバージョンを販売し、それからシャツを。この秋にはスカートが加わる。これらはインドのポンディシェリにあるブルームのアトリエで制作されている。

「彼女はすごくカットに強くって、アザロ、アー・ペー・セーなどで素晴らしいキャリアを築いたわね。リュベックは理工系よりアートや哲学とか文化系の授業に力を入れていたせいか、生徒の中にはモード界に進みたいって願っている子がけっこういて、ヴァネッサも早いうちからデザイナーになると決めていたよう。エマニュエル・アルト(元ヴォーグ誌編集長)も卒業生だと耳にするけど、年齢が違うので彼女が通っていたかどうか私にはわかりません。リュベックには制服があったのよ。白と紺。白いシャツに紺色のパンタロンかスカートというように、ユニフォームといっても英国とは違って色だけが決まっていたんです。低学年の時は紺色のエプロンをつけていました。ジーンズやスニーカーは禁じられていたけど、私が通っていた当時はこれらはいまほどの必需品じゃなかったから……。ボンポワンとか高級子どもブランドで紺や白の服が売られていたのは、リュベックやラ・トゥールといった制服のある私立校の生徒のためだったのよ。制服によって私たちの人生には規則があり、それとともに生きるということを学ぶのね。10歳の頃だけど、覚えてるわ、ラコステのポロシャツを前後逆さに着ていた生徒がいたことを。ジルはそのアイデアは最高だ!って、褒めていたわ。いまその生徒は自分のジュエリーブランドをもつクリエイターです」

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ブルーム・パリとのコラボレーションのドレスを着たヴァネッサ・シワード。

リュベック通りは16区という高級住宅街にある。ポーリーヌの時代はいまと違って遠くから通う生徒は少なく地元の子どもたちが通ってくる学校だった。生徒たちは学校を終えても、お稽古事などで顔を合わせ……。管理人の娘もいれば、アフリカの大統領の娘もいてと生徒は幅広い。カトリック学校ゆえにミサもあったが、これは生徒たちにとっては笑ってばかりの時間だった、とポーリーヌは振り返る。厳しい学校だったけれど、エスプリはオープンだったとアクセルとふたりで語る。たとえばアクセルはカトリックではなくプロテスタントだけどリュベックで学べたし、生徒の中にはユダヤ人もいた。またニューカレドニアやブラジルといったさまざまな国からの生徒も受け入れていて、とくに1980年代はレバノンの内戦を逃れてパリに引っ越してきた裕福なファミリーの多くはキリスト教徒なので、子どもたちがリュベックに多く通ってきていたそうだ。

出身校への愛情をこめて、昔を思い返しながら話すポーリーヌは突然大丸デパートのパリ店を思い出して、「リュベック校で日本といったら、私たちにはパリ17区のパレ・デ・コングレ内にあった大丸デパートのことだったわ。この店(1994年閉店)はとても大きな思い出よ! リュベックの生徒たちが何か誰かに贈り物をする、という時に探しにゆくのが大丸だったの。ハロー・キティ、マイメロディ、リトルツインスターズ……こうしたキャラクターグッズがあったから。16区のフォッシュ通りとかに住んでいる友だちも多かったから、17区のパレ・デ・コングレが遠い、という感覚はなかった。初めて東京に行った時、私が真っ先に行ったのもキディランドだったわ。姉のヴィクトワールも大の日本びいきよ。私たち、この世界が大好きなの。70年代に『キャンディ・キャンディ』や『キャプテン・フューチャー』とか日本の漫画がテレビで放映されるようになって、私たちはこれらとともに育ったって言っていいくらい。フランスにおける日本の到来を私たちは体験したのね」。仲良し同級生のポーリーヌとアクセル。その証拠とばかりに、「キャンディ・キャンディ」のテーマソングをふたりは披露してくれた。

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Bloom(花)とブランド名につけたように、ポーリーヌは日常生活の中に色彩をもたらす品々を提案している。

Bloom Paris
7, rue Nicolo
75116 Paris
営)10:00〜19:00
休)日、月
www.bloom-paris.fr
@bloomparis

editing: Mariko Omura

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